春に家の中で倒れて、その際に横にあったゴミ箱の角に脇腹を強打して、肋骨が折れたんです。

しばらくは何をするにも痛くて、やらなきゃいけない仕事も家事もなかなか進まなくて、家族にもだいぶ迷惑をかけたり我慢させたりもしました。


今はもう痛みもなくすっかりくっついて、私の中では、「プラスチックに負けた貧弱な骨」という笑い話のレパートリーに加えられる程になってますけど。


たぶん貧血かなんかで意識が一瞬飛んで、倒れたんでしょうね。

ちょうどその頃、娘の卒園入学でいろいろ考えなきゃいけないこともあったり、普段より忙しくしていた上に、急に訪れた長老や家族とのやりとり。相当なストレスだったのだと思います。


親兄弟との問題と向き合うのに、今の家族には迷惑をかけないということを自分で決めて向き合って頑張ってるつもりだったんですけど、知らないうちに自分の体が蝕まれて、結局家族に迷惑をかけてしまってる自分に気づきました。

この問題に頭を悩ませて病んでいると、どうしても日常生活でイライラを抱えたまま家族に接してしまいますしね。


あー、まともに向き合ってたら、私ストレスで病気になるな。


これが親兄弟との問題にまともに向き合うのはやめようと思った大きな理由です。


親との関係を取り戻すために異常なストレスを抱えて病気になって、今の家族も幸せにできなくなったら、本末転倒。

どちらとも幸せに。なんてことは、現状無理。

だったら、どちらかとの幸せに集中するしかないのだと思いました。


とはいえ、まともに向き合うのをとりあえずやめただけで、親兄弟を諦めたわけではないので、JWの動きは常に見守ってるわけですけど。


親兄弟の結束力みたいなものは、私がJWだった頃よりもずっと強くなっていて、組織からの洗脳だけでなく、家族が互いに縛り合い、洗脳し合っている異常さを見てしまったので、誰か一人の心を少し動かしたからといってどうにかなる問題でもないな、と思ったのが正直なところです。



数的にも洗脳具合的にも、力に力でまともに対抗していては絶対に負けるので、力の流れを見極めて受け流し、その時が来たら弱いところに一撃を加える。

そんな水の呼吸の戦法で臨んでみたい、私も炭治郎になれるのか?なんてふざけたことを考えながら、最近は過ごしています。