素音~SONE~
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朝から静かな雨が降っていた。

 

ときどき涼しい風が吹き込み

 

レースのカーテンをふわりと揺らしている。

 

 

耳を澄ますと雨音雨はいろいろな音を奏でていて

 

 

パラパラと葉っぱにあたる細かなリズミカルな音🎶

 

工事中の鉄板にあたると大きくカンカンカン♪

 

 

雨粒があたるものによって、そこで奏でられる音は様々なのだと改めてきづく。

 

 

その時の風の強さや風向きで雨音も一瞬一瞬変化しつづける

 

 

 

雨粒だけが奏でるのではなく、すべてが一緒になって奏でる音音符au 着フル

 

すべてはシンフォニーなのだと思った・・・

 

 

 

 

 

最近口数が少なくなったなぁと自己分析してみる

 

 

 

一緒に過ごす子供たちはいわゆる言語というものがない子も多いけれど

 

そこにダイブしていると

 

余計な言葉はなにも必要なくて

 

とても心地よく、包まれるような安心を感じている自分がいるおねがい

 

 

 

 

もともと大勢の中で賑やかに騒ぐのは得意でないのだけれど

 

でも苦手なりにも、なにか自分の意見を伝えなければならないとか…

 

その場の雰囲気に合わせなくてはいけないとか…

 

 

 

やはりどこかで無理に自分を取り繕って

 

無意識に自分ではない言葉を話していたのかもしれない

 

 

子どもたちの中で改めてそう感じた。

 

 

 

 

ことばはどこにあるのだろう

 

最近そんなことをよく思う。

 

 

 

それは

 

自己顕示欲のためではなく

 

自己正当性を堅持するためのものでもなく

 

 

決して、自分を守る盾でもなく、相手を刺す剣でもない

 

 

 

 

 

それはとてもふくよかで

 

あたたかく

 

奥深い優しさに包まれている

 

そして

 

自分の中でのしなやかな強さをもったものでもありたいと

 

 

 

 

 

そしてたまたま今回のエッセンスに

インディゴ エッセンス

  「クリソコラ・ジェムシリカ」

を選んでいました。

 

 

Chrysocolla-Gem-sillca

  内なるチャイルドの声を聴く

 

 

 

 

 

内なる言語

奥行きの中にあることば

 

 

私はそれを発見し大切に育んでいきたいのだなぁ

 

 

 

そう思いながら、だんだん激しくなってきた雨の音に耳を澄ましている。

 

 

今回もエッセンスとの内なる旅が楽しみです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

早いもので6月も終わろうとしています。

2018年の折り返しですね。

 

 

なんだか最近は時間の感覚が希薄笑い泣き

カレンダーを見てハッとすることもしばしばで・・

とにかく付箋メモは必須アイテムだわグラサン

 

 

 

 

 

思いもよらぬご縁をいただき、先月から障がいを持つ

お子さん方と過ごす時間を頂いています。

 

 

若い頃、何もわからぬまま特別支援学校の教員として

子供達と過ごした時間。

また障がいのある息子と過ごした母親としての時間。

 

そして今まで私の歩んできた人生のたくさんの場面。

 

 

その中で手を離れていった観念の数々。

その過程で気づいた全く違う角度でのあらたな視点の数々。

 

 

視線の角度は広がっていきながら

見える景色はどんどん変わっていき

 

 

そんな私の中のさまざまな記憶が重なりながら

それらは混然一体と入り交ざり

でも不思議にハーモニーを奏でて

今ここに現れているんだと感じます。

 

 

 

 

子ども達のまなざしはキラキラとして透明で、

彼らの笑い声はパワフルでゆがみがない。

それはまるで歌声♪のようであり。

 

 

やはり子ども達と過ごす時間は私にとって本当に貴重なのだと

改めて感じています。

 

放浪してまたホームに戻ってきた感覚というか(笑)

 

 

そして新しい子供達と向き合う私達大人に、

インディゴエッセンスは必要だなと感じます。

気づきは時には繊細であったり、時にはパワフルだったり面白いです。

 

 

 

 

辻さんの 6と7の架け橋 を再読しようとページを開いてたら

目に入ったのが、この1節でした。

 

「もし、きみが彼に対して罪悪感のようなものをいだいているとしたら、

それはうぬぼれというものだ。彼を子ども扱いしてはいけないよ。

彼の大いなる自己は、すべてを知っているのだからね。

たとえ、どんな小さな子どもにも、全知全能の魂が宿っている

そのことに対して、きみはもっと敬意を払わなくてはいけないね。

魂と魂の交流をしようとするならば、子どもも大人も区別がないんだよ。」

 

シリウスは、眉間から渦巻の光を発しながら、マヤの瞳にフォーカスを

合わせ、時間軸を巻き戻しているかのようだった。

 

       

          22を超えてゆけ・Ⅱ  6と7の架け橋  辻 麻里子 著  より抜粋

 

 

 

 

凍り付いた記憶に光を当て

その存在を認め、優しく溶かしていく

 

 

生身同士でであい

幾多の転生の中で忘れてきたイノチの破片とかけらを発掘していく道

 

 

その道には、盤上の華やかさはいらないのだと知り気づき。

地道にコツコツとイノチと触れ合っていくことを思いだしていく。

 

 

そして投影としての鏡で出会うのではなく

自分の鏡を透明にしていくこと

そこでイノチと出会っていくことなのだと

 

 

本当にどこにチューニングしていくかで

進む方向もちがってくるし

見える景色も全く違ってくるのだと感じます。

 

 

なんだかまとまらないのでここで終わります笑い泣き

 

 

私の中での子ども達との日々の気づきは

別ブログででも綴っていければいいなあと思ったりしてます。

 

 

読んでいただいてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

毎回、自分でエッセンスのテーマを決め

摂っていますが

 

今回は自立というテーマでブレンドした

エッセンスを摂り終わりました照れ

 

自立

 

うーん。

深かったなあ。

 

 

いかに自分自身で決断することを

やっていないのか

改めて感じました。

 

 

 

というか

今までは無意識でやっていたことに

意識的になったのだと思います。

 

 

自立した場所

 

 

そこには被害者も加害者もなく

誰のせいにもできない

完全に自己責任であり

言い逃れもできない場所でもあり

 

 

ただ流れと違うことに大きな怖れも生じ

わずかな違和感をいつの間にかなかったものとして

そんなもの忘れてしまったほうが楽だ・・

そう思える場所への誘惑もある。

 

 

でもそこは確実に一人一人がオリジナルで

オンリーワンの唯一無二の場所

そこは孤高の場所でもあり

一人一人が気高く美しい・・

 

 

 

エッセンスを摂りながら

どんどん違和感があふれ出す。

 

 

何の疑問もなく

ずっと自分の考えだと思いながら、選んできたことへの

かすかな違和感が少しずつ膨らみ始め

そして大きくなっていった

 

 

 

 

なんだか大きな流れの中にのまれ

無意識にやっていた迎合と諦めに

気が付いた時

 

 

 

私の生きたい方向は

もしかして全く逆ではないのかとハッと気づく

 

 

 

自分の意志で立ち続けることの

難しさと

 

でもそうありたいという

確信と決意と

 

 

違うことへの誇りより

 

孤独を怖れ

同じであることの安心感へと流れ

無意識にこびへつらう

 

 

そこに真の自立はないんだと

 

 

 

今自分は本当はどうありたいの?

問われるような場面も多くありました。

 

その度に過去の概念を

新しいバージョンに変換していく作業を意識し・・・

 

 

 

辻麻里子さんの「22を超えてゆけ」のCD付がでました。

辻さんは去年宇宙に帰還されたそうです。

 

持っている本なのですが、

CD付ということで購入してまた読んでいます。

 

 

「よいか、その技法や形態が重要なのではない。

大切なものは、その『ありよう』だ。

ありようとは、オマエたち一人ひとりの生き方

心の持ちよう、その動機、その方向性だ。

重要なのは、どの方向に意識をむけるかなのだ」

 

シンハの言葉が厳しくも

深く深く響いてくる。。

 

 

新しいバージョンへの変換・・・

私の中の羅針盤が立ち上がってきたかな

そんな感覚がしています。