雑音盤獺祭録

雑音盤獺祭録

アマチュア音楽家の相馬泉は最近こんなのを聴きました。

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 『雨天決行』佐々木好
 1984年作品。

 それまでの“透明感”だけでは済まなくなってきた、サード・アルバム。
 まず声そのものが、微妙な屈折を帯びた色のあるもの(“色気”という意味ではない)に変化した。歌い回しも過去作品より(やや)くっきりしたものになって、一時期の中島みゆきから棘を抜いたような感じ? 最初は少し違和感があるが、全体として存在感は増したと思う。
 
 サウンドで耳に付くのは、コーラスの大々的な導入だ。佐々木好本人の多重録音による3パートはバッチリ決まっていて深みのある響き。町支寛二のウーワーコーラスは、ところによってはでしゃばり過ぎな気もするが、それなりに悪くない彩りを添えている。

 とはいえこのひとの場合はやはり歌詞に耳が行くわけで、「夜の風景」はタイトル通り夜の街をただ観察している“だけ”の歌。「本日も晴天なり」は道端(線路端?)に一本だけ竹が生えているという、だからどうしたという内容。ところがこれらはアルバム中最もポップな2曲なのである。リズミカルな曲調のせいもあるが、歌声と歌詞の相互作用で異様な広がりを見せて妙な説得力を放つこの感覚は音楽の魔法と認定しても良いだろう。

 全体としては、透明な上澄みを透かして見ると性根は存外どす黒いという、まぁそのへんは1~2作目でも見当は付いていたけど、少し深いところまで潜りましたというもので、瞠目すべきは「瞳」。この歌詞は怖い。“♪だ~~ぁれ~~にも~~”と引き伸ばして歌う譜割りもジワジワ絡み付くようで怖い。山崎ハコより怖い。
 「セブンスター」の、タバコの灰のくだりも強烈だ。それが歌の言葉としてちゃんと成立しているのも凄い。更に曲名を考慮すると、聴き手にこういう気分を与えることこそが狙いなのか。うわぁ。

 ただそういった表現の深化の一方で、一部の曲のアレンジや「恋です」の“♪涙 涙 涙が出ます”等、ポップ化を図っているフシもあって、なにかプレッシャーがあったのだろうか? だったら曖昧なコラージュを用いた印象の薄いジャケット・デザインは如何なものか。

 「待ってたのに」、おかしなタイミングで一言だけ入る台詞は余計だと思う。更に続くのかな~と待ってたのにそのまま終わってしまった。
 「浅草にて‥‥」、歌詞カードを見ると“不労者”と表記してあるのはレコ倫対策か。