新宿で父と会食。久しぶりに飲んだ。カキフライが大きかった。事業の方もまあ順調だそうで何より。
5日目 曇り
微妙に寝不足。しかも寝坊。とにかく寒かった。テントの中で煮炊きする気にはなれないが小屋の自炊場まで移動する気にもなれない。上半身を起したまましばらくボーッとしてさらに時間を無駄にする。結局自炊場に移動することにするも、箸を忘れてもう一度テントに戻る破目に。
かつてない劣悪な環境に妙に苛立ちながら朝ごはんを作る。今日は頑張れば下山の日である。しかしそのために必要な努力を考えると素直には喜べない。寧ろ気が滅入るばかりだ。
炊事セットを片づけて外に出ると幾分暖かくなっていた。少しほっとする。テントを急いで片づけて5時半出発。この大事な日には30分のビハインドも痛い。
いきなり今山行の目玉大キレットである。最初の20分くらいは嵐の前の静けさ。そこから高度感のある(落ちたら困ったことになりそうな、という意味の言葉と理解している)鎖場、梯子が最低コルまで連続する。でもここはあまり落ちる気遣いもないし可愛いもんである。コルにつけば1つ目の関門はクリア。
コルから暫く緊張感のないアップダウンが続く。次第に道が悪くなり、気づけば大きな岩の上を歩いている。人に依るかもしれないが僕はあまり怖くない。そんな道を漫然と登って行くと、特に手がかり足がかりのない岩の上を稜線の右手から左手に乗り越す箇所に遭遇する。あれ、これはちょっと怖いなと思っていたら「Hピーク」のペンキマークでここが長谷川ピークであることに気づく(素直に長谷川と書けばいいのに)。十分気をつければ何てことはないだろうが、僕は油断して妙な姿勢で突入したもので、ヒヤリとしてしまった。
長谷川ピークから20mほどこれぞ大キレットというような難所。ナイフリッジというのだろうか、本当に馬の背中のような稜線を打ちつけられたスタンスを頼りに渡る。怖い。怖いけど死ぬかもという感じはなかった。ジェットコースターに乗っているような気分、と言えばいいのか。同じような距離と怖さの箇所をもう1度通過すればA沢のコルはすぐである。
腕の皮がバラバラ剥がれて鬱陶しい。一遍に剝がれてくれないものか。
A沢のコルについて初めて、これから登る北穂の北面がじっくり見れる。全体を見ると、ここを登るとはとても思えない。でも鎖やスタンスの付いた個所を見れば、まあ何とかいけそうな気がしてくる。
北穂の小屋までは今までよりもっとえげつない。長谷川ピークのような足を滑らせたら終わり感はないものの、最低コルまでの鎖場をもっと急にしたのが延々と続く。所々金属の棒が岩肌に打ってあって、はじめはこんなのに足を乗せるのか・・・と思うのだが意外と安心して乗せられる。そして長い。とにかく長い。北穂高の小屋直前まで、少々緩やかになりながらも、気の抜けない梯子鎖場が続く。まあでも、同じことを繰り返していたらいずれは着く。
そして着いた。あまり自分が大キレットを抜けたって実感がなかった。小屋で休憩を終えて1分先の北穂山頂に至り、北穂高岳の標識を見たときに、今北穂にいるってことは大キレットを越えたのか、と頭で気づく程度。不思議と乗り切ったぞ!やった!みたいな感慨はない。でも今部屋でこの記事を書いていると、まあ楽しかったなとは思える。ともかく山行前に期待していた通過儀礼みたいなものにはならなそう。
あとは穂高岳山荘まで面倒な岩場の上り下りを繰り返す。途中涸沢岳への上りがやや大キレット後半と似ていて危なっかしいが、なんてことはない。まあ、去年滝谷側へ落ちて亡くなった人もいるそうだから油断は禁物である。
涸沢岳手前の最低コル直前で休憩した後、5歩も歩かないうちに浮き石を踏んで尻もちをつき、尾てい骨を思い切り岩過度にぶつけてしまった。地面が広くて滑落にはならなかったが一歩間違えば涸沢のテント場まで墜ちていた。くわばらくわばら。
何故転倒したか。1.膝が痛くて歩きに集中していなかった。2.歩き始めでまだバランスが取れてなかった(つまり歩き始めを考慮できていなかった油断だが)。3.長く休憩した後で気持ちがなんとなくふわふわしていた。 これで死んでいても全く不思議ではなかった。鳶岳のザック滑落以上の不祥事だ。今後に生かさねば。
この時打った尾てい骨がジンジンと痛んで暫く動けず。10分くらいして動き出すも100m位でまた座り込んでしまった。通りすがりのお兄さんに心配された。藁にもすがる思いで痛み止めのロキソニンを服用し、さらに30分待つと何とか歩けるくらいにはなった。普段は持ってこない薬を持ってきて本当によかった。これからはかかさず薬類を持っていくことにする。
一歩足を上げるごとにお尻の疼痛を忍びつつ、なんとか涸沢登頂。穂高岳山荘はすぐそこ。少し悩むが、ここまで来たんだし奥穂高には登ることにする(この時点で今日中の下山はあきらめ、涸沢で泊まることに決めていた)。急なのは初めだけ。山頂はガスでほとんど視界がなかったが、常念と上高地が見えたのは良かった。そうか、そういえば河童橋から奥穂高見えるもんなあ・・・。上高地から3度見た奥穂高を、今度は逆から観返しているのか・・・。
ザイテングラートは何年か前におじいちゃんと孫が落石でなくなった事故で恐れていたけれどそれほど怖いところではない。下の方はいかにも落石が落ちてきそうな地形だが、注意していれば気づけるだろう。なんでも例の事故は先行者が落とした石が原因だったそうで、一人ならそれほど問題ないのかもしれない。
途中道が二つに分かれる。右の雪渓を通る道を選んだら迷ってしまい、結局左の道に合流していた。素直に左を選んでおくのがよい。
流石に涸沢は人が多い。初めて入った涸沢ヒュッテの立派なこと。ちょっとしたリゾートである。夜には何やらビデオの上映会をやっているようだった。明るい自炊場でカレーを食べて就寝。薬が切れてきたのか、痛くて仰向けに寝られない。
6日目 快晴
今日は小学生でも一人で降りられる道を通って上高地まで僅か5時間、もったいない位ゆとりの日である。今までのハードな行程を考えると最終日がこれというのは少々残念。1時間半寝過ごして5時起床。朝ごはんのラーメン餅は面倒なのでパス。ゆるすぎ。
たらたら撤収して6時出発。緑を愛でながらサクサク降りる。いずれの区間でも休憩を含めてCTを切るペース。最終日で略平らな道なんだから当たり前か。
しかし明神から上高地までの1:15はきつかった。7日分の疲れが一気に出たようだ。美しい自然、歩きやすい道の下、歩けど歩けど目的地に着かぬこの苦しさよ。本当に何であんなに長かったんだろうか。CTが間違っていたとしか思えない。一度歩いたことのある道のはずなんだが・・・。
それでもいずれは着く。上高地は人だらけ、まさに下界の風情だ。僕は帰ってきた。幾多の視線を乗り越え、ここに五体満足で(お尻は疼くけど・・・)。流石に感慨もひとしおだった。しかし最後の1ピッチが効いていて、特に観光をするでも余韻を味わうでもなく、そそくさとバスに乗り込み、北アルプスを後にする。こうして僕の人生初の長期単独山行は幕を閉じた。
松本で1人打ち上げ。前にネットで見たとんかつとカレーのお店に入る。確かにボリュームはある。御飯がお代わりできるのもよい。しかしボリュームのある店と聞いていて1000円だと、まだもう少し期待してしまう。味は良かった。
1時間後の高速バスまで本屋で立ち読み。高速バスは都内で渋滞に引っ掛かって30分ほど遅れ、新宿まで3時間30分だった。値段(3400円)を考えれば、鈍行で帰るよりはずっといいと思う。新宿から家までの混んだ京王線がまた辛かった。
総括
初めての単独長期縦走としては、事故なく完遂で来ただけでも上出来と言うべきだろう。曇りが多かったようだが(4日目以外は)展望にも恵まれた。また多少の雨は涼しくて却ってよかった。しかしザックの滑落、5日目の尻もちなどうっかりミスが多すぎる。(尻もちはまだ痛みが引いていない。病院に行くべきなのだろうが、億劫でまだ行っていない。明日は行く。)それに行動の切り上げどころなど、勢いで押し切って結果オーライという場面も多かった。気ままな単独行の特権とはいえ、遭難にもつながりかねない態度であることは忘れてはならないだろう。忘れてはならないといったって遭難しない限りこれからもそうあり続けるのだが、それでもそれを当り前のこととせず、頭の片隅をニュートラルにしておくことが重要なのだと思う。なんだか自分でも何言ってるのかわからない。疲れてきたのかな。
まあ、概して素晴らしい経験であった。今回の経験はきっとこれからの個人山行の糧になることだろう。
5日目 曇り
微妙に寝不足。しかも寝坊。とにかく寒かった。テントの中で煮炊きする気にはなれないが小屋の自炊場まで移動する気にもなれない。上半身を起したまましばらくボーッとしてさらに時間を無駄にする。結局自炊場に移動することにするも、箸を忘れてもう一度テントに戻る破目に。
かつてない劣悪な環境に妙に苛立ちながら朝ごはんを作る。今日は頑張れば下山の日である。しかしそのために必要な努力を考えると素直には喜べない。寧ろ気が滅入るばかりだ。
炊事セットを片づけて外に出ると幾分暖かくなっていた。少しほっとする。テントを急いで片づけて5時半出発。この大事な日には30分のビハインドも痛い。
いきなり今山行の目玉大キレットである。最初の20分くらいは嵐の前の静けさ。そこから高度感のある(落ちたら困ったことになりそうな、という意味の言葉と理解している)鎖場、梯子が最低コルまで連続する。でもここはあまり落ちる気遣いもないし可愛いもんである。コルにつけば1つ目の関門はクリア。
コルから暫く緊張感のないアップダウンが続く。次第に道が悪くなり、気づけば大きな岩の上を歩いている。人に依るかもしれないが僕はあまり怖くない。そんな道を漫然と登って行くと、特に手がかり足がかりのない岩の上を稜線の右手から左手に乗り越す箇所に遭遇する。あれ、これはちょっと怖いなと思っていたら「Hピーク」のペンキマークでここが長谷川ピークであることに気づく(素直に長谷川と書けばいいのに)。十分気をつければ何てことはないだろうが、僕は油断して妙な姿勢で突入したもので、ヒヤリとしてしまった。
長谷川ピークから20mほどこれぞ大キレットというような難所。ナイフリッジというのだろうか、本当に馬の背中のような稜線を打ちつけられたスタンスを頼りに渡る。怖い。怖いけど死ぬかもという感じはなかった。ジェットコースターに乗っているような気分、と言えばいいのか。同じような距離と怖さの箇所をもう1度通過すればA沢のコルはすぐである。
腕の皮がバラバラ剥がれて鬱陶しい。一遍に剝がれてくれないものか。
A沢のコルについて初めて、これから登る北穂の北面がじっくり見れる。全体を見ると、ここを登るとはとても思えない。でも鎖やスタンスの付いた個所を見れば、まあ何とかいけそうな気がしてくる。
北穂の小屋までは今までよりもっとえげつない。長谷川ピークのような足を滑らせたら終わり感はないものの、最低コルまでの鎖場をもっと急にしたのが延々と続く。所々金属の棒が岩肌に打ってあって、はじめはこんなのに足を乗せるのか・・・と思うのだが意外と安心して乗せられる。そして長い。とにかく長い。北穂高の小屋直前まで、少々緩やかになりながらも、気の抜けない梯子鎖場が続く。まあでも、同じことを繰り返していたらいずれは着く。
そして着いた。あまり自分が大キレットを抜けたって実感がなかった。小屋で休憩を終えて1分先の北穂山頂に至り、北穂高岳の標識を見たときに、今北穂にいるってことは大キレットを越えたのか、と頭で気づく程度。不思議と乗り切ったぞ!やった!みたいな感慨はない。でも今部屋でこの記事を書いていると、まあ楽しかったなとは思える。ともかく山行前に期待していた通過儀礼みたいなものにはならなそう。
あとは穂高岳山荘まで面倒な岩場の上り下りを繰り返す。途中涸沢岳への上りがやや大キレット後半と似ていて危なっかしいが、なんてことはない。まあ、去年滝谷側へ落ちて亡くなった人もいるそうだから油断は禁物である。
涸沢岳手前の最低コル直前で休憩した後、5歩も歩かないうちに浮き石を踏んで尻もちをつき、尾てい骨を思い切り岩過度にぶつけてしまった。地面が広くて滑落にはならなかったが一歩間違えば涸沢のテント場まで墜ちていた。くわばらくわばら。
何故転倒したか。1.膝が痛くて歩きに集中していなかった。2.歩き始めでまだバランスが取れてなかった(つまり歩き始めを考慮できていなかった油断だが)。3.長く休憩した後で気持ちがなんとなくふわふわしていた。 これで死んでいても全く不思議ではなかった。鳶岳のザック滑落以上の不祥事だ。今後に生かさねば。
この時打った尾てい骨がジンジンと痛んで暫く動けず。10分くらいして動き出すも100m位でまた座り込んでしまった。通りすがりのお兄さんに心配された。藁にもすがる思いで痛み止めのロキソニンを服用し、さらに30分待つと何とか歩けるくらいにはなった。普段は持ってこない薬を持ってきて本当によかった。これからはかかさず薬類を持っていくことにする。
一歩足を上げるごとにお尻の疼痛を忍びつつ、なんとか涸沢登頂。穂高岳山荘はすぐそこ。少し悩むが、ここまで来たんだし奥穂高には登ることにする(この時点で今日中の下山はあきらめ、涸沢で泊まることに決めていた)。急なのは初めだけ。山頂はガスでほとんど視界がなかったが、常念と上高地が見えたのは良かった。そうか、そういえば河童橋から奥穂高見えるもんなあ・・・。上高地から3度見た奥穂高を、今度は逆から観返しているのか・・・。
ザイテングラートは何年か前におじいちゃんと孫が落石でなくなった事故で恐れていたけれどそれほど怖いところではない。下の方はいかにも落石が落ちてきそうな地形だが、注意していれば気づけるだろう。なんでも例の事故は先行者が落とした石が原因だったそうで、一人ならそれほど問題ないのかもしれない。
途中道が二つに分かれる。右の雪渓を通る道を選んだら迷ってしまい、結局左の道に合流していた。素直に左を選んでおくのがよい。
流石に涸沢は人が多い。初めて入った涸沢ヒュッテの立派なこと。ちょっとしたリゾートである。夜には何やらビデオの上映会をやっているようだった。明るい自炊場でカレーを食べて就寝。薬が切れてきたのか、痛くて仰向けに寝られない。
6日目 快晴
今日は小学生でも一人で降りられる道を通って上高地まで僅か5時間、もったいない位ゆとりの日である。今までのハードな行程を考えると最終日がこれというのは少々残念。1時間半寝過ごして5時起床。朝ごはんのラーメン餅は面倒なのでパス。ゆるすぎ。
たらたら撤収して6時出発。緑を愛でながらサクサク降りる。いずれの区間でも休憩を含めてCTを切るペース。最終日で略平らな道なんだから当たり前か。
しかし明神から上高地までの1:15はきつかった。7日分の疲れが一気に出たようだ。美しい自然、歩きやすい道の下、歩けど歩けど目的地に着かぬこの苦しさよ。本当に何であんなに長かったんだろうか。CTが間違っていたとしか思えない。一度歩いたことのある道のはずなんだが・・・。
それでもいずれは着く。上高地は人だらけ、まさに下界の風情だ。僕は帰ってきた。幾多の視線を乗り越え、ここに五体満足で(お尻は疼くけど・・・)。流石に感慨もひとしおだった。しかし最後の1ピッチが効いていて、特に観光をするでも余韻を味わうでもなく、そそくさとバスに乗り込み、北アルプスを後にする。こうして僕の人生初の長期単独山行は幕を閉じた。
松本で1人打ち上げ。前にネットで見たとんかつとカレーのお店に入る。確かにボリュームはある。御飯がお代わりできるのもよい。しかしボリュームのある店と聞いていて1000円だと、まだもう少し期待してしまう。味は良かった。
1時間後の高速バスまで本屋で立ち読み。高速バスは都内で渋滞に引っ掛かって30分ほど遅れ、新宿まで3時間30分だった。値段(3400円)を考えれば、鈍行で帰るよりはずっといいと思う。新宿から家までの混んだ京王線がまた辛かった。
総括
初めての単独長期縦走としては、事故なく完遂で来ただけでも上出来と言うべきだろう。曇りが多かったようだが(4日目以外は)展望にも恵まれた。また多少の雨は涼しくて却ってよかった。しかしザックの滑落、5日目の尻もちなどうっかりミスが多すぎる。(尻もちはまだ痛みが引いていない。病院に行くべきなのだろうが、億劫でまだ行っていない。明日は行く。)それに行動の切り上げどころなど、勢いで押し切って結果オーライという場面も多かった。気ままな単独行の特権とはいえ、遭難にもつながりかねない態度であることは忘れてはならないだろう。忘れてはならないといったって遭難しない限りこれからもそうあり続けるのだが、それでもそれを当り前のこととせず、頭の片隅をニュートラルにしておくことが重要なのだと思う。なんだか自分でも何言ってるのかわからない。疲れてきたのかな。
まあ、概して素晴らしい経験であった。今回の経験はきっとこれからの個人山行の糧になることだろう。