JR山崎駅から乗車時間・3分でJR長岡京駅へ
目的地・長岡京天満宮迄は 1.3kmほど
西口から天神通りをほぼ真っすぐ
・・・と 道路の傍らに 長岡京発掘之地 の石碑がありました。
長岡京は
50代桓武天皇が784年(延暦3年)平城京から遷都
しかし 僅か10年で平安京へと遷都されたので幻の都と
呼ばれていました。
此処に住んでいた 中山修一先生は【この辺りの田んぼの長さから
長岡京が道路が碁盤の目のように区画された都であったのでは】と
このひらめきが長岡京発見のきっかけとなったそうです。
更に進むと・・・古墳 ?
1981年(昭和56年)の発掘調査で発見された塚本古墳
古墳の規模は小さいものの大きな権力を持った
6世紀の初めにこの地を治めた豪族の墓だそうです。
周濠の中から多彩な埴輪【円筒・朝顔・蓋・盾・太刀・家
人物・動物形】土器が出土し その中には石見型埴輪と
呼ばれる特殊な形のものもあったそうです。(説明文より)
数段の石段の先に立つ まさに大鳥居 見上げて
紅白の梅の花と金銀の枝が刻まれた石板で装飾された 正面大鳥居
2018年 大阪府北部地震で被害を受け脚部の補強工事が行われそうです。
真ん中は 神様がお通りする所です。
水上橋の架かった八条が池を見ながら 先ず右側の参道を進みます。
池には水鳥が・・・潜水して姿を現したのは 鵜でした。
左側は こんな感じです。
一の鳥居を潜り先に進むと
2018年(平成30年)近畿地方に被害をもたらした台風21号による
倒木が笠木を直撃し倒壊した 二の鳥居
1692年(元禄5年) 112代天皇・霊元天皇が上皇になられてから
寄進されたものです。
技術的に補修困難と言うことで 姿を変えて残すこととなり
ブルーシートで覆われた所が只今 建立中の所です。
長い参道 やっと社殿に辿り着いたって感じです。
菅原道真公のご誕生は845年(承和12年)丑年
茸狩りの宴の際 何処からともなく子牛が現れ如何にも道真公を
敬うが如くであったので御館に連れ帰り可愛がられました。
大宰府に左遷の時 刺客に襲われ危うい時 白牛が駆け出で
道真公をお守りしたのが可愛がっていた牛だったと。
大宰府でお亡くなりになった時 遺骸をお乗せしていた車を
曳いていた牛が突然ひれ伏し動かなくなり其処を墓所としたのが
現在の太宰府天満宮です。
また
都では次々と不幸な出来事が起こり これは道真公の祟りだと
畏怖の対象となり 鎮魂のためにとお祀りされているのが
京都・北野天満宮だそうです。
大宰府に行く途中 長岡に立ち寄り【我が魂長くこの地にとどまるべし】と
そして付き従っていた中小路宗則に自ら刻んだ木像と念持仏を託しました。
道真公亡き後 その木像を祀ったのが長岡京天満宮の創立とされているとか。
境内で見られる牛たち・・・
小振り 表情も可愛い小牛の像
金属製と石造りの牛像 それぞれお顔の表情が違います。
牛像のおみ足を撫ぜ 我が足にも感謝です。
勿論 頭も撫ぜ撫ぜしてきましたよ。
この石造りの牛像は とても古く手を触れないで下さい・・・と。
最後に 稲荷神社へ参拝
一角にある 菅公御歌 (古今和歌集羇旅収録)
このたびは 幣(ぬさ)もとりあえず 手向山
紅葉の錦 神のまにまに
(このたびの旅は急なことで 御幣の用意もできずに手向山に
参りましたが 錦のように美しい紅葉を 御幣の代わりに捧げますので
神の御心のままにお受け取り下さい)
紅葉庭園
少し 終盤気味と余り陽射しが無かったので冴えない紅葉です。
知らない街を歩いてみたい~~
どこか・・・それ程遠くではありませんでしたが
初めての地 山崎・長岡京とひたすら
京都駅は乗り継ぎ地点でしたが 帰路 土産をと思い
改札口を出て 人の多さにビックリ!!
慌ててホームに逆戻りをしました。
京都市街を訪ねて正解でした。