大東市野崎から 岸和田市に在る岸和田城へは

夕闇迫る 16時50分の到着でした。

 

1334年(建武元年) 楠木正成の一族・和田氏が当時 

呼ばれていたこの地に城を築き 根拠地としたことから 

岸和田と言う地名が付いたのでは言われています。

 

その後 城主が代わり

1640年(寛永17年) 美濃大垣藩~龍野~摂津高槻を経て

岡部宣勝が入城

以後 明治維新まで13代にわたって岸和田の地を治めました。

 

1827年(文政10年) 落雷で天守閣焼失

1954年(昭和29年) 鉄筋コンクリート造りの三層の天守閣を再建

 

 

1969年(昭和44年)に再建された 本丸隅櫓

石垣の下部に在る周堤帯・犬走りが見られます。

石垣の崩れを防ぐためのものだそうです。

 

水が溜められたお濠は風情があります。

石垣の隙間から生えているモミジの木に生命力を感じました。

 

 

明かりの灯された先 大手櫓門(1969年再建)を抜け城内へ

 

 

酒造用に使われていた 甑(こしき)用大釜

信貴本家酒造寄贈の大釜 何故か城内に置かれていました。

 

その先に広がる光景

千鳥破風付きの三層天守閣と二層の小天守閣の姿

 

 

その前には 岸和田城庭園(八陣の庭)が広がっています。

 

1953年(昭和28年) 重森三玲氏によって設計・作庭された庭です。

 

 

大将の石組を中心に その周囲にそれぞれに意味を持つ8つの石組が

配置されています。

これは 中国三国志の英雄・諸葛孔明の八陣法をイメージして

設計されたそうです。

 

水平方面だけでなく地上からは360度どの角度からも鑑賞できると言うことですが

陽射しのある中で見ることが出来たら良かったか

 

 

八陣法とは

平和確立のために外敵から守る陣形であると

作者は 平和への願いを込めて作庭されたそうです。

 

天守閣内の展示物は スルーして・・・

只 明智光秀の肖像画を目にしました。

(残念ながら 天守閣内は 撮影NGでした)

城近くに在る 普段非公開の本徳寺が唯一所蔵しているという

肖像画の複製だそうです。

 

 

駆け登り天守閣から見た光景は

説明の文字も分かり難く何処を眺めているのか・・・

 

大阪湾 そして神戸の街並み 淡路島もと言うことです。

 

 

 

短時間の 続・日本100名城 

161番目の岸和田城の登城となりました。

 

帰路 何時も心配される東名阪自動車道の渋滞は有りませんでしたが

名古屋到着は 予定時間の1時間余遅れ 20時18分でした。

何はともあれ 道中何事も無かったことに感謝です。

 

 

名古屋駅構内 太閤通口 銀の時計前

1560年(永禄3年) 桶狭間の戦い

今川軍に勝利したことにより 織田信長が天下統一へと

向かうきっかけとなった戦いです。

織田信長&今川義元のレプリカ像がありました。

 

 

朝 集合場所に向かう時に 目にしたのですが

此処は 何時も特に朝は大勢の方達が集う所

帰りに 撮りました。

 

スタンプ押しはしていないので 改めて今まで登城した城はと

調べてみました。

続・日本百名城は 37城

日本百名城は 93城 登城しています。

 

限りなくなくある城 数年後には 続・続と認定されるかも。

 

久し振りの山城

飯盛城の石垣に 萌え萌え!!!

ワクワクの時間を過ごしてきました。