3月5日(日)  8時30分 チェックアウト

 

北の丸公園へは靖国神社の前をと思い行くと 第一鳥居前の光景

ものものしい雰囲気になっていて吃驚です。

 

  

 

歩道橋側を渡った所にある九段坂公園 

今は緩やかになっていますが 坂の多い東京の中でも勾配が

きつかった坂だったそうで ホテル近くにも冬青木坂(もちのきざか)と

名付けられた勾配のきつい坂がありました。

 

常燈明台(高燈籠) 

かっては靖国神社の前にあり品川の沖・房総からも眺め

見ることができたそうです。

 

北の丸・・・ 江戸城本丸・吹上御所と接する北側に在り 春日の局・千姫

駿河大納言忠長(2代将軍・秀忠の三男 兄・家光により自刀)の

屋敷が在った所です。

 

北の丸公園には 

1638年(寛永13年)の刻銘のある 田安門から入って行きます。

現存唯一の建物です。

 

 

 

徳川御三卿・田安家が所有していた所です。

 

屋根の上に 玉ねぎ・・・

橋に見られる擬宝珠 東京オリンピック時に建設された

武道競技場(武道館)ですが 今日(3月5日)は 上坂すみれ

小倉唯・長瀬いのりさんのコンサートが開催されるようです。

 

只今 9時05分 

開場時間・16時30分/開園時間・17時30分ですが

すでに長蛇の列です。

 

 

 

 

先を進むと左側に 清水門

徳川御三卿・清水家が所有していた所です。

 

 

 

 

高さがあり幅のある階段 雁が群れをなし飛ぶ姿に似ていることから

名付けられた雁木坂 江戸時代そのままの姿が残されている所です。

 

凄く歩き辛い・・・

 

   

 

 

敗戦後の日本の復興に力を注いだ 内閣総理大臣・吉田茂銅像

1981年(昭和56年)に建立されました。

日本武道館で 1967年(昭和42年)国葬が営まれた唯一の人です。

 

 

北詰橋(きたはねばし)門から 東御苑へ入ります。

天守・本丸御殿に近く 有事の時は橋が跳ね上がるよう濠に架けられ

石垣も高く防御性のある重要な門です。

 

   

 

 

手荷物の点検を受け 入園票を受け取り門を潜ると 目の前に現れた石垣

天守台です。

 

1457年(長禄元年) 太田道灌によって築城 江戸城の始まりです。

1590年(天正18年) 駿河より江戸城へ 家康の居城となる。

 

3代に渡り幾たびか大改修が行われ 1636年(寛永13年) 大城郭と

しての形を成す。

 

天守閣は 家康(慶長度天守) 秀忠(元和度天守) 家光(寛永度天守)と

3度建て替えられるが 1657年(明暦3年)の大火により天守閣を含め

城郭がほぼ焼失 後 天守台のみ再建 現在残っているものです。

 

   

 

 

ぽっんと残された天守台 

この上にあった日本一と言われる天守閣を想像しただけでも

感動ものでした。

 

  

 

目の前に広がる空間 

大芝生その周辺は 本丸御殿の建物が立ち並んでいた所です。

 

 

 

  

吹上御所にある竹林の株分けされた竹 

13種類が植栽されています。

 

 

石室 抜け穴・金蔵? 

避難時に大奥の調度を収めた所では考えられています。

 

   

 

坂道を行くと 富士見多門櫓(多門長屋) 

防御を兼ねた長屋造りの倉庫でかっては15棟あった多門櫓の

唯一の現存遺構です。

 

 

昨年 11月から内部公開が行われています。

 

   

 

茶畑を過ぎると 忠臣蔵でお馴染みの松の廊下跡

 

 

1701年(元禄14年) 刃傷事件 

浅野内匠頭が吉良上野介に切りかかった所です。

江戸城中 2番目に長く500mの廊下で畳敷きだったそうです。

 

因みに ドラマで描かれる松の廊下 

刃傷の際の二人の立ち位置が反対だそうです。

 

朗々とガイドされている方の話をチョイ聞きしました。

 

   

                

富士見櫓跡 

1657年の明暦の大火で焼失した天守閣の代わりをした櫓です。

高層ビルがなかった頃は 富士山が見えたと。

 

   

 

 

中雀門 本丸・表御殿の正門で 徳川御三家(尾張。紀州・水戸藩)も

下乗しなければ駄目な所でした。

 

一角の石垣 明暦の大火で損傷した天守閣の石垣を転用 

再びの火災で類焼と表面が黒く焦げ 丸くなった石垣があります。

 

この辺りの桝形が 城らしい雰囲気を味わい想像を膨らませることの

出来る所でした。 

   

   

                                 中の門跡 

中の門の石垣は 

巨石の使われていて切込み接ぎ・布積みという技法で積まれた

見た目に美しい石垣です。

 

                                 百人番所

本丸・二ノ丸に通じる要所にあった番所で 江戸時代の建物です。

 

   

                                 同心番所

                                   大番所

二の丸跡

 

   

 

 

二の丸雑木林を抜けると 二の丸庭園

 

   

 

 

小堀遠州作庭の 回遊式庭園

明治以降 荒廃していましたが 1968年(昭和43年)に東御苑の整備

9代将軍・家重の時代の庭園が復元されました。

 

季節によっては風情の変わるゆったりと散策出来る庭園です。

 

梅林坂を横切り(右側は 工事中でした) 左手に白鳥濠を見ながら

汐見坂を行きます。

 

 

 

本丸跡・大奥跡

 

   

 

寒緋桜を眺めている人達は外国の方でした。

 

 

江戸城の正門・大手門

 

   

 

1607年(慶長12年)藤堂高虎により建てられ 最も警備の厳重な門でした。

後 焼失 1620年(元和6年)再建された高麗門と渡櫓の櫓門です。

 

大手門で 入園票を返し桔梗濠に沿って行きます。

 


 

   

                              巽櫓(辰巳櫓)                                  

本丸から見て東南の位置に在る櫓 関東大震災で損壊 後の再建。

 

                                   桔梗門

太田道灌の家紋・桔梗紋が門の瓦に付いていたことから名付けられ

皇居参観者など出入りする門です。

 

  

 

日比谷通りを渡ると 和田倉山濠に架かる橋 

その先には士衆通行の和田倉見附門があります。

 

 

1995年(平成7年) 

ご成婚の記念に噴水が設置された和田倉公園です。

ここから 御幸通りを抜け東京駅

 

 

東京駅発(14時37分) ~熱海~掛川~豊橋~岐阜着(21時04分)

 

十数年ぶりに青春切符を使いました。

 

往路は 富士山の姿 沿線の河津桜 由比のエビの看板

そして 東京に近づくほどに高層ビルと移り行く車窓の景色を

楽しみました。

 

帰路は お隣の方と話いろいろ その方が降りられてからは寝てたかなぁ・・・

目新しいことに出合い触れ合いと川越・皇居お濠端・靖国神社・江戸城と

 

気ままに巡ってきた3日間でした。

 

下調べはして行きましたが やはり不十分で尋ねることも度々でしたが

再度楽しみながら忘備録を記しました。