11月19日(土) 名古屋発 参加人員・43名

大阪府南河内郡千早赤阪村に在る 千早城跡

 

   

 

         資料館前に在る 楠木正成生誕の石碑

千早赤阪村立郷土資料館にて 地元ガイドさんの説明を受けます。

 

千早城(詰め城)とは

後醍醐天皇に奉じ鎌倉幕府打倒のため拠点として 楠木正成が

築いた城の一つで 標高・1125mの金剛山の中腹に在ります。

 

   

 

 

城への大手道となる傾斜のある石段(後世になってつくられた)を

上って行きます。

 

   

 

     

 

   

 

 

目の前に続く石段 500数段あるそうですが 

それほど苦とは思わせない今の時期の光景 

木々の色付きがとても綺麗です。

 

   

 

   

 

   

 

 

石段を上り詰めると広い空間があります。

四の丸跡 今は境内となっています。

 

   

 

 

その先社務所付近 三の丸跡

 

  

 

   

 

 

 

築城時は 

千早城の鎮守として創建され 1874年(明治8年)に再建された

 

千早神社

社殿前は二の丸跡 拝殿背後が本丸跡

標高・660m 比高・150に築城された 千早城

 

城の南北そして西の三方は急斜面で 東側のみ尾根伝いに金剛山に通じる

天然の要塞だった千早城 

足利氏の一門・畠山氏に敗れ 1392年(明徳3年)

61年間の歴史の幕を閉じました。

 

遺構残存なしだそうです。

 

   

 

 

帰路は 裏参道から下ります。

 

楠木正成は 智謀奇策を駆使して幕府軍を滅亡へと追い込みました。

1336年(延元元年)足利軍と戦い破れ自害 43歳没

 

正成が千早城を築城する前に 下赤坂城を急きょ造りましたが 

すぐに落城し退きますが 翌年には奪還するも再度落城 

 

下赤坂城の遺構は 皆無だそうです。

 

下赤坂城落城後に築城された 上赤坂城(本城)

残存状態が比較的良好だと言われ 今回 ここも巡る予定でした。

 

ところが 

名古屋を出てから自治体から禁止となったと添乗員さんから

告げられ すごく楽しみにしていていたのに・・・

 

本城へ行けるというから 

今回のツァーに参加したのに がっかりです。

 

取りあえず麓までは行きますがその先は駄目ですと言うことです。

 

   

 

 

一人の方が 吸い込まれるように先に進んでいます。

私も つい・・・(もう一人いました)

 

   

 

 

尾根道を掘削した狭い大手道 傾斜・高さはまるで土塁ようです。

道沿いに 石仏が置かれています。

 

   

 

 

切通の切れ目には 木戸(城門)が設けられていたようです。

 

   

 

 

   

 

 

先に進みたいけど 此処まで残念の一言です。

先に行かれた方は そろばん橋までだったそうです。

 

時間にして10分ほど(足元は少々危ないけど急ぎ足で)ツァーの方に

迷惑かけたかなぁと反省 

でも ほんの少しでも雰囲気が味わえたという

気持ちの方が勝っているかも。

 

中途半端な消化しきれない気持ちで終わった元弘の乱の舞台となった

楠木正成が築いた山城めぐりでした。