9月18日(日)
姫川の右岸・左岸に広がる農村景観の中を行く
石坂越えコースです。
雨具を付けてのスタート
ガイドさんから
明日は「いきなりの上り坂です」と予告されていました。
・・・と ピカリ ゴロゴロと先行き少し不安な道行きです。
車坂を上り切った所に在る 火伏の神・秋葉様
車坂から
切り立った断崖に刻まれた塩の道・フスベと呼べれる所
フスベとは 四つん這いになって渡るという意味で
かっては通学路だったと・・・
集落の産土神・池原諏訪神社前を過ぎると
街道の往来が華やかだった頃歩荷の宿があったと言う
塞の神
岐の神(ちまたの神) 村の入口を悪霊から守る神です。
石坂を下り 幸田 文文学碑へ
1911年8月
長野県姫川水系の浦川上流の稗田山の大崩落により
下里瀬(くだりせ)集落などが浸水 様相は一変した。
作家・幸田文氏は
1977年(昭和52年) この地を訪れその痕跡を確かめ
紀行文「崩れ」を執筆しました。
災害を後世に伝えるための記念公苑が設けられ
「歳月茫茫碑」が建てられています。
「水は 人間の暮らしの根源を支え恵みをもたらす資源である反面
時には 大雨・洪水で人間の暮らしを脅かす恐ろしい存在である」と
記された碑 大なり小なり今も起こっている状況です。
浦川橋から稗田山方面
台風の影響か濁流の速さは迫力があり 眼前で見る光景は
怖さが感じられれるものでした。
松ヶ峯への道は 急坂を下ります。
濡れて滑りやすくなった坂を慎重に下り
少し上ると舗装された道・松ヶ峯へ
松ヶ峯無線中継所 展望台より
旧来馬集落のあった河原と後方に稗田山
来馬へ
60cmほどの 身代わり六地蔵
少し高い所にあるので見落としそう。
稗田山の崩落を免れた
来馬諏訪神社と鬼来山常法寺
富山城主・佐々成政ゆかりの 来馬西方堂
来馬から下寺へ
道の駅・小谷がゴール地点です。
小谷村で発見された日本最古の小型肉食恐竜
翼竜(爬虫類の一種)と戦う恐竜親子のモニュメントがありました。
12時40分 雨具を脱ぎ
バス移動で姫川のほとりに在る施設へ
敷地内に湧く自家源泉の「美肌の湯」でさっぱりすっきりとして
遅めの昼食 手打ちそばがとても美味でした。
しっとりと濡れた石仏の優しい表情に心和みながら
雨天での道程は 思いで深いものとなりました。