10月30日(木)

 

今回の城めぐり 最後は岡山県津山市に在る 津山城

嘉吉年間(1441年~1444年) 美作国(岡山県東北部)

守護・山名氏が築いたのが始まりとされています。

 

津山観光センターPに駐車 この時点で13時ですが昼食は後で

先ず 登城します。

 



 

規模の大きさを感じる石段を上り詰めると 森忠政公の像が鎮座

森河成の6男・蘭丸の弟です。

 

1603年(慶長8年)津山初代藩主となった森忠政が13年の歳月を

かけ完成させた城郭です。

 


城への入口・冠木門  

 

本丸・二の丸・三の丸に築かれていた「一二三段」の石垣

左上の建物は 復元された備中櫓です。

 


四脚門跡 

 

パネルの主は名護屋山三郎 父は織田信長の従兄弟 母は信長の姪

妻は 歌舞伎の祖と言われて出雲の阿国

 

蒲生氏・森氏の家臣で 一番槍で功を奏し また美形で遊芸に通じた

伊達男だったと 27歳の若さで歿

 


切手門

十四番門跡  

 

十四番門跡の石段の先は もみじの遊歩道です。

 

中央辺りにある石は 城中で一番大きい石で変色しています。

本丸御殿が全焼した時に焼けた石垣の石を使い復元されたからです。

 

表鉄門跡

本丸跡 

 

常用井戸

 

本丸の入口にある櫓門・表鉄門跡を抜け 本丸跡へ

日常生活に使用されていた小井戸・常用の井戸

 

現在 シンボル的存在の 備中櫓

 

 

 

2005年(平成17年)に復元された櫓です。

 

備中?

森忠政の娘(嫁がせた長女が亡き後 四女を)2人の娘を嫁がせた先が

池田備中守長幸 その長幸が津山城を訪れる際に造られたとされる

櫓故に 備中櫓と。

 

 

櫓でありながら書院造りで内部は 畳敷き・天井張りと御殿風で

女性たちの憩いの場でもあったそうです。


天守へと

 


天守からの備中櫓 

天守の石垣・扇の勾配

 

4重5階の天守 最上階以外は破風を持たない質実な造りでした。

 

麓から本丸までの高さは45m 一段高い天守からの展望は

晴天の中での 素晴らしい眺めでした。

 

月見櫓跡

粟積櫓跡(小天守) 

 

長屋櫓跡

腰巻櫓跡 

裏鉄門跡

裏中門跡 

 

13年もの歳月を費やし完成させた城郭

 

復元された備中櫓以外 建造物は残っていませんが かっては数多くの

櫓・門があったことが伺える往時の姿を想像しながら 巡ってきました。  

 

 

裏中門跡から出てしまったので もみじの散歩道(二の丸)ではなく

三の丸方面に出て 入城した切符売り場へと。

 

切符売り場の方に 

名護屋山三郎のパネルの横で撮って貰いました。

 

石垣の素晴らしさに感動した津山城でした。

ここ「鶴山公園」となり 桜の名所でもあります。


 

15時 遅めの昼食

 

B級グルメ 津山ホルモンうどんを頂いてきました。


15時30分 

津山城より 津山ICから中国自動車道~名神高速を走行
西宮から宝塚間 5kmほど渋滞がありましたが ノンストップで

19時30分 我が家へ到着

 

一応 下調べをしての5泊6日の旅 

 

家人に「危ないことはするな」と言われての城めぐりでしたが 

好奇心の先のあるものを見たいと思う気持ちが先行 

それでも見落とした所など後で気づき残念に思うこともありました。

・・・が ともあれ道中何事もなく無事に巡れたことを幸いと思っています。


栄枯盛衰・波乱に満ちた歴史の舞台となった地を巡り 

人・物との 出会いに嬉々とした思い出を 忘備録として記しました。


                5泊6日 11城巡りは完です