10月25日(土)より 5泊6日 走行距離 1721km

一年余ぶりの帰省 そして11城をめぐってきました。

 

岐阜を 7時30分出発 阪神高速で少々渋滞(ナビが言うには

動物の障害のためとか・・・?)

 

東かがわ市に在る 引田城跡へは正午頃到着


1583年(天正11年) 

賤ヶ岳の合戦があった同日に 阿波より 攻め入った長宗我部元親と

羽柴秀吉の命を受けた仙石秀久との戦い 引田の合戦があり

仙石勢が敗北するも 秀吉の四国征伐後に讃岐国を与えられた

仙石秀久が城主となる。

 

その後 城主が代わり高松城を築いた生駒氏の時に廃城となる。

 

 

登城口は 幾つかあるようですがキャンプ場近くから上って行きます。

 


 

 

遺構らしきものは有りませんが 

丹後丸と記された広い平地横を通り過ぎ尾根沿いに進むと

石垣が見えて来ました。

 

 

     

北櫓     

     

 

北櫓の西側にある城址中最も古いとされている見事な高石垣です。

ここ 引田城は総石垣城だったと言われています。

 


櫓台の跡らしきものを見つつ先に進むと 方形の石垣が残る西櫓跡

 

 

この先 天守台・南櫓と在ります。

 

 

標高・86mの城山から 引田港波止場が眺められます。

 

灯台の見下ろせる東櫓までもと思ったのですが 躊躇してしまいました。

(こういう時は 後で行けば良かったと後悔するのですが・・・)

 

長年 忘れ去られていた引田城ですが 近年 調査・保存と関心が

高まりつつあるそうです。

 

私も 最近 多分地元の方だと思うブログに書かれているのを見て知り 

帰省の折には是非にと思い立ち寄ってきました。


高松市内に向かう途中 高松市十川東町に在る 称念寺

 



 

  代々の城主だった十河氏 三好長慶・弟の次男である存保が

九州征伐時に戦死 廃城となる。

十河氏ゆかりの寺・称念寺は 十河城の本丸跡だそうです。

             

 


遅まきながら両親の墓参りを済ませ 

友との再会と高松での夜を過ごし

                       明日は 広島へ向います。