三島市に在る 山中城

 

箱根山西麓の標高・580mに位置し 1567年(永禄10年)頃

本城・小田原城の守備目的として 北条氏康によって築城された城です。

 

 

☆ 北条5代  早雲→氏綱→氏康→氏政→氏直

 

氏政の時代に 豊臣秀吉との確執が生じ(名胡桃城をめぐる抗争)

「小田原征伐」となります。

 

 

階段を上って行くと 江戸時代の景観を保ち復元・整備された

「腰巻地区」にある 箱根旧街道へ

 

 

日差しがあるが空気がひんやりと 一雨あったようです。

石畳が滑りそう ふと 「藁草履は滑らないのだろう」と。

 

 

自然の谷を利用して中央に縦の畝を設けて二重堀としている

 

三の丸の堀

 


城(曲輪)の虎口(入り口)の前を通路だけ残て左右に堀をつくり

城への出入り口としてつくられた 土橋

 

西の丸の防御のために 曲輪の周囲を堀によって取り巻き 

五本の畝によって区画されている 西の丸の畝堀

 

 

西の丸と西櫓の間の堀は 障子堀という独特の堀です。

 

西櫓堀

 

ほぼ9m間隔で8本の畝が堀の方向に対して直角に作られています。


現在は 遺構を保護するために芝生・樹木を植栽していますが

当時は 滑りやすいローム層が露出していて 落ちたら脱出不可能

だったと推測されています。

 

 

溜池の跡

西の丸跡

 

山中城最大の曲輪です。

 

 

 

 

本丸と北の丸を結ぶ 架橋(復元)


旧東海道を挟んで独立した一角に在る 岱崎(だいざき)出丸

小田原征伐に備え急遽 築造された曲輪です。

 

 

土塁で東側と北側を守り 西側に深い空堀が見られるものの

間に合わず未完成のまま戦闘に臨んだものと思われています。

 


一の堀

 

 

17ヶ所の畝が確認されているそうです。

 

ローム層を掘り下げ畝を残し 70度前後の傾斜角があり 

掘りの底からすり鉢曲輪の土塁まで斜距離は18~20mの

急峻な勾配です。

 

上から そして中ほどから眺め 下って見上げる景観は圧巻ものです。

 

 

自然の地形を巧みに取り入れた 土塁と空堀で造られた山城

 

1590年(天正18年3月29日)

豊臣軍の総攻撃に わずか半日にて落城

 

6月26日 石垣一夜城が完成

 

7月5日 小田原開城

 

北条氏滅亡と共に廃城となった 山中城

復元整備された独特の城郭の遺構を間近く見ることが出来 

感激一入です。



今夜の泊は 沼津市大手町です。

 

夕食時までは間があるので 近隣散策

 

1579年(天正7年) 武田勝頼が築城した三枚橋城が在った地です。

三枚橋城が荒廃していた跡地に 1777年(安永6年)水野忠友によって

沼津城が築城されました。

 

 

大手町中央公園に建つ「沼津城跡」の碑を囲む石垣は 近隣工事中

地下より発見された 往時の三枚橋城の石垣です。

 


静岡銀行のビル前

 

三枚橋城本丸入り口付近の石垣の一部(復元)

 

沼津リバーサイドホテル前 

 

三枚橋城外堀の石垣(復元)

 

おまけで 

三枚橋城の石垣を見ることが出来て ご満悦の日となりました。

 

                       興国寺城へ