加藤清正公築城の 熊本城

2度目の登城です。

 

西大手櫓門(再建復元)


頬当御門  

城の玄関に当り最も格式の高い門・西大手櫓門より 

天守閣に向かう正面の入り口 頬当御門を抜け入城します。

 


 

唐破風の 闇り御門を潜り 地下通路(闇り道路)を通って

本丸御殿


1877年(明治10年)の西南戦争で焼失

復原工事が行われ 創建当時の姿が蘇っています。

 


江戸期の本膳料理


               

昭君の間

 

築城の名手と言われ 数々の武勇伝を持つ 加藤清正

豊臣秀吉の忠臣だったが秀吉死後 徳川家康の家臣となり 

「関ケ原の合戦」の功績により 肥後国を拝領し熊本藩初代藩主となる。

 

しかし 豊臣家への思いは強く二条城にて 秀頼と家康を会見させ

帰国途中 船中にて発病し癒える事なく熊本城内で50歳歿

 

有事の際にと造られた 昭君の間→将軍の間

秀頼公を迎え 徳川と一戦を交える覚悟があったと。


天守と小天守

 



 

1960年(昭和35年)に再建

3層6階地下1階 黒を基調とした威風堂々とした構えです。

 

昨年 2月の初見は 感激も一入でした。

 

 


一口城主の寄付者札 

 

先回は 内部の展示物を見る時間がなく 最上階に駆け上り

眺望して下りて来た・・・と 今回はゆっくりと見ることが出来ました。

 

 



 

撮る時は気が付かなかったのですが くまもんがいました!!

本丸御殿の屋根上 ビルの窓です。

 

ここで 一番楽しみにしていた 宇土櫓

 


 


創建時から残る 唯一の多層櫓 

20mの石垣の上に建つ 3層5階地下1階 天守と同様の

構造と大きさをもつ櫓です。

 

「三の天守」といわれています。

 



宇土櫓への入り口 

 

左寄り下方 抜け穴?

 

二様の石垣

 

右側 勾配の緩やかな石垣が 加藤清正時代

左側 1632年(寛永9年)に入封した細川忠利時代の急勾配の石垣


西南戦争では 政府軍の重要拠点となり 焼失・破却と大半の

建造物を失いますが 石垣はほぼ当時のままの姿を留めているそうです。


ここで 地元ガイドさんの案内は終了です。

 

集合時間まで15分ほどあるので 急遽 清正公の像を

撮りに行って来ました。

 

 

本丸へと上る道の東側にあり 一ヵ所のみある水堀・備前堀です。

 

 

加藤清正公 5尺3寸(161m)と意外と小さかった?

長鳥帽子形兜 かぶる兜を長くして高く見せたと。

 

バスの中から見つけ 

三度来ることは無いだろうと急ぎ撮って来ました。


今回も 石垣に張り付き 

上を眺め武者返しを味わってきました。

 

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