大分県竹田市に在る 岡城跡
標高・325mの天神山 比高・95mに在った山城です。
1185年(文治元年 )緒方惟義が 源頼朝に追われた
義経を迎えるために築いたのが始まりとされています。
緒方惟義は 平重盛と主従関係だったが 頼朝挙兵後は
反平氏となります。
また 平家物語の第八巻「緒環(おだまき)」に登場する
「恐ろしき者の末裔」でもあります。
1594年(文禄3年) 秀吉の家臣・中川秀成によって拡張され
整備されました。
駐車場から望む西の丸の石垣 すでに ここで感動しています。
「かまぼこ石」 趣がある!
登城道を通り大手門跡までは 少々急勾配になっていますが
テンショウンも上がりぱなしです。
左に回り込んだ所にある 東門跡の石段を上がり西の丸御殿跡へ
西の丸跡の広大な曲輪に 吃驚です。
頂いたマップを見ると
もう一つの登城口・金戸門跡からここまで車で来れるようです。
三の丸跡方面へ向かいます。
三の丸の石垣
どれだけの財力と労力を費やしたかと思いつつ
高石垣の素晴らしい光景に 圧倒されました。
貫木門跡
少年時代 竹田で過ごし荒涼とした城跡で遊んだ時の思い出が
曲のイメージ作りとなり 生まれたのが名曲・荒城の月です。
100有余年も延々と親しまれている 心に沁み入る曲です。
作詞・土井晩翠さんは 何処をイメージして詩を作られたのか・・・と。
二の丸跡から三の丸方面
本丸は 天守にあたる三重櫓・御金倉・藩主の居館などで
構成されていました。
本丸跡のある神社・岡城天満神社です。
江戸時代より 歴代藩主・中川氏が崇拝してきた守り神です。
御金倉跡
東京ドーム 22個分と広大な城郭を持ち 天然を要塞としての
難攻不落と云われた 岡城
中川氏14代・277年間続きましたが 1869年(明治2年)の
廃藩置県により城の建物は 大分県の入札・払下げで全て
取り壊されたそうです。
高揚感を持って眺め 頬緩む満足の時間を過ごしました。
今夜の泊は 熊本市内です。
♪ あんたとこどこさ 肥後さ 肥後どこさ 熊本さ~
手毬歌に出てくる 船場山のタヌキ(2番の歌詞・エビ)で
洗馬橋停留場にありました。
明八橋(明治8年架設)
東京「日本橋」・皇居「二重橋」など手がけた
熊本出身・橋本勘五郎氏によって造られた
アーチ型の石橋です。
宿泊のホテルより15分ほど 散策に出掛けました。