岡山市北区に在る 備中高松城

わずか4mほどの高さ 沼沢の中に囲まれた低湿地帯を

要害とし 石垣を築かず土塁だけで築かれた「土城」でした。


全国統一を目指した 織田信長が毛利方と対峙

信長の命を受けた秀吉は 毛利方の諸城を次々と攻略していきますが

備中高松城は攻めあぐねた末に 黒田官兵衛の指揮の下 水攻めを断行

折しも梅雨時 短期間(12日間)で堤を完成させ足守川の水を引き込み

城を孤立させました。

 

 

 

兵糧攻め1ヶ月余を経過した 1582年6月21日(天正10年6月2日)

奇しくも本能寺の変が起きます。

 

秀吉はこれを秘し城主・宗治に切腹を促し「和を結べば領土はとらない

城兵の命も助ける」と 宗治は承諾し自刃します。

 

当時の本丸跡に 清水宗治の首塚があります。

 

 

 

宗治蓮

 

昭和57年に行われた城址公園として整備中 本丸と二の丸の間の

この地に沼地を復元したところ 自然に花が咲き始めました。

 

400年を経て 蘇った蓮です。

ピーク時はすでに過ぎていましたが 何もない広々とした城跡に

色を添えているようでした。

 

水に守られ水に散っていった 清水宗治の無念さ・悲哀が感じられます。


訪れた時は 15時30分 資料館が閉まろうとしていた時間でした。

それでも ボランテァガイドさんと20分ほど立ち話が出来ました。


「中国大返し」秀吉の運命も大きく変わっていった歴史の舞台と

なった地です。


岡山駅近くのホテル泊

           早めに着いたので 駅周辺を散策