三山統一をした琉球王国の 政治・経済・文化の中心となった 

首里城 

数度の火災に遭い再建されましたが日本軍の司令部が置かれていたため

1945年5月 アメリカ軍の攻撃を受け焼失してしまいました。

 

1958年 守礼門が再建され 

1972年 日本復帰後に歓会門と周辺の石垣が復元され

1989年 発掘調査が始まり正殿や周辺の門などの復元作業が行われ

1992年 首里城公園がオープン

2000年 世界遺産登録されました。

 

 


2000年(平成12年)沖縄サミットをきっかけに発行された 

2000札にデザインされている 守礼門 中国風の門です。

 

大勢の人がこの門を潜っていましたが 少し途絶えた瞬間です。

 

 

世界遺産登録されている

園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)

守礼門を入りすぐ左側にある石門 琉球国王が城外に

出掛ける際 道中の安全祈願をしたと言われている 

礼拝の門です。

 

歓会門

城郭内に入る第一の門です。

 

龍樋

歓会門から瑞泉門の途中右側にあり 王宮の飲料水として

使用された湧き水です。

 

瑞泉門

双璧の門の上に直線の櫓がのっている 第二の門です。

 

 

振り返って見る琉球石灰岩を使用した石垣に 曲線美を感じます。

 

漏刻門

第三の門です。

櫓の中に水で時間を計る水槽(水時計)が設置されていました。

 

 

ここ独特の赤瓦屋根の光景です

 


日影台

漏刻門の正面にあり 時刻板(石の円盤)には12干支が刻まれています。

 


広福門

建物そのものが門の機能を持ち 「福を渡らせる」という意味だそうです。   

 

奉神門

 

最後の城門を潜ると 儀式などが行われていた御庭(うなー)へ

 

 

 

首里城の中心的場所・正殿です。

3階建て 1階(下庫理)は国王自らが政治・儀式を行った場所で

2階(大庫理)は王妃や身分の高い女官たちが使用した場所です。

 

書院・鎖之間庭園

 


 御差床(うさすか)

天井を高くして格式をつけています。

国王の椅子は 1477年~1526年まで在位した尚真王の

肖像画をもとに再現されたものです。

 

御庭と呼ばれる広場を中心に 正殿・南殿・番所・北殿・書院・鎖之間など

「行政空間」 信仰上の聖域の場「祭祀空間」 国王とその家族が住む

「住居空間」の3つの分かれていました。

 

正殿内の艶やかさは当時の栄華かさをうかがうに十分な場です。

 

帰りのルートは

 

淑順門

国王やその家族が暮らす御内原(おうちばら)への表門です。

 

右掖門

御内原への通用門

 

久慶門

この門を潜ると首里城から出ることになります。

主に女性たちが利用したそうです。

 

華麗な王朝文化に彩られた琉球独特の城 首里城

1429年~1879年まで国王の居城でした。

 

1879年 明治政府は琉球藩を廃止し沖縄県を設置

450年の歴史が閉じられました。

 

     1時間ほど走行 中頭郡読谷にある 座喜味(ざきみ)城跡へ