三十三間堂に対面して 法住寺のお隣に在る 養源院
1594年(文禄3年) 淀君が父・浅井長政の菩提を
弔うために豊臣秀吉に願い建立した寺です。
養源院は 浅井長政の法号です。
山門を潜り長い参道を行きます。
1619年(元和5年)焼失しましたが 2年後に崇源院(江)が
徳川秀忠に願い伏見城の遺構を用いて再建したのが 現在の本堂です。
中は 撮影禁止です。
カセットテープの説明を聞きながら巡っていきます。
俵屋宗達の 唐獅子・白象・麒麟など楽しくなるような杉戸絵があります。
幾つかある中でも一番凄惨さが残っているのではと思われる 血天井
1600年(慶長5年) 関が原の戦いの前哨戦となった伏見城の落城の際
徳川家康から城を守護するように命じられた 鳥居元忠たちの自刃の場
手形・足形そして人の姿の血痕が生々しく残る様は 年月を経た今でも
戦いの凄まじさが感じられます。
血天井は お寺の方が長い竹棒で指し示しながら説明して下さいます。
本堂には キュッキュッと鳴く左甚五郎作の鴬張りの廊下があります。
三十三間堂の近くに在る 真言宗智山派の総本山・智積院へ
豊臣秀吉が愛児・鶴松のために創建した 祥雲禅寺が前身です。
金堂への道・両脇にある梅林園の梅花は まだ固く蕾んでいます。
この一本だけが満開でした。
この建物の中には 桃山時代の最高傑作と言われている
長谷川等伯・久蔵父子の金碧障壁画が保管されています。
勿論 撮影禁止です。カセットテープの説明を聞きながら鑑賞です。
山門を潜り 名勝庭園へ
廊下を巡って行くと 利休好みの庭へ
弟子・小堀遠州が 多分利休ならこう言う好みだろうと想像して
造ったものです。
丸く刈り込まれたサツキは 5~6月頃が見頃だそうです。
横に長く広がっている庭は 奥行きが有りませんが石や植え込みの
配置による遠近法が演出されているそうです。
祥雲寺の建立を命じられた 築城の名手・加藤清正
その出来栄えの良さに清正の家紋・桔梗紋が寺紋とし用いられました。
堂内では 彼方此方で桔梗紋が見受けられます。
6~9月頃には 桔梗の花が見られるそうです。
今回は 東山区の散策です。
平家ゆかりの六波羅界隈へ