大石寺とも呼ばれる岩屋寺
赤穂義士・大石良雄(蔵之助)の隠棲地です。
年末行事になっているTV放映・忠臣蔵
元禄14年3月14日(1701年4月20日)江戸城内の松の廊下で
浅野内匠頭長矩が吉良上野之助に対し刃傷沙汰を起したのが
発端となり 身は切腹 お家は断絶となる。
元禄15年12月14日(1703年1月30日) 赤穂義士・47名が
艱難辛苦の後に 主君の仇討ちと吉良邸へと討ち入り本懐を
遂げるという物語です。
本堂へと向う参道 この寺も紅葉の綺麗な所です。
赤穂藩主家老・大石良雄は 密かに仇討ちの謀を巡らしながら
一年余をこの地で過ごした後 江戸へと向う。
成就の後には 邸宅・田畑全てを岩屋寺に寄進
岩屋寺は 一時期荒廃しましたが 後に再興されました。
赤穂義士に関連した数々の遺品が保存されています。
大石神社
1935年(昭和10年) 有志の方達によって建立された神社です。
12月14日 毘沙門堂門跡を出発した 赤穂四十七士などに扮した
総勢約300人の大行列が 山科の街を練り歩き 岩屋寺に立ち寄り
最終目的地・大石神社へと目指して行きます。
その時を 悠然と静に待っているよう。
今は静寂に包まれている境内も 12月14日は大賑わいの場と
なるのでしょう。
山科の街に立ち並ぶ 「義士まつり」の幟と
本懐を遂げた赤穂浪士の処分について 将軍・綱吉に意見を求められた
毘沙門堂門跡・公辧法親王は 「浪士を生き永らえさせるより
切腹をさせることによって忠義の志を後世に伝えることが出来るだろう」と
進言され 綱吉は決断したと 毘沙門堂のお寺の方の話に
つい興味を抱き「義士まつり」のパレード先に立ち寄ってきました。