京都市中京区堀川にある
京都観光定番に数えられる所です。
京都は幾度か訪れているのですが ここは初来訪です。
1601年(慶長6年) 徳川家康の命により造営されたもので
京都の守護と上洛時の宿所が目的の小規模だったが
三代将軍・家光の頃には、五層の天守閣をもつまでに拡大されました。
その後、雷火で天守閣は焼失 京都市中の大火で本丸殿などが焼失
1626年(寛永3年)から多勢の人達がくぐったであろう
「東大手門」からの入城です。
水を湛えた外堀の光景とこれから広がる光景に ワクワクしながら・・・
大手門の右側に 番所
徳川将軍不在時に、警備などの目的で江戸から派遣された武士の
詰め所です。
現存する門番所の遺構としては、貴重な建物です。
東南隅櫓
二の丸御殿の入り口 唐門
切妻造り・桧皮葦の四脚門の彫刻・細工の見事さに
暫し、見入ってしまいました。
二の丸御殿
桃山時代の武家風書院造り
面積 3300㎡(1000坪) 部屋数 33 畳 800畳
廊下は、トータル460mの「鶯ばり」です。
殿内一番の広さ 76畳の「遠侍・一の間」は、徳川家康が
豊臣秀頼と謁見した間です。
15代将軍・慶喜が大政奉還を発表した「大広間・一の間」
狩野探幽が描いた松と鷹の襖絵のある「大広間・四の間」と
歴史の推移を感じさせる趣に タイムスリップ感を味わいました。
各部屋の前に解説機があり ボタンを押すと音声が流れ
ガイドを聞くことが出来ます。
二の丸御殿庭園
1603年(慶長8年)二条城築城の際に造営された
池を中心にした 書院造庭園です。
桃山時代から江戸初期の特徴のある 大小の石組みの巧みさと
力強さを感じさせる歴史的庭園だそうです。
初めての光景に 何が巻かれているのかと思ったら
幹全体を こも巻きにした「蘇鉄」でした。
ここの 冬の風物詩だそうです。
本丸入り口 東橋を渡り 本丸櫓門をくぐり本丸へと。
1626年(寛永3年)三代将軍・家光によって増築されたものです。
西南隅にある 天守閣跡へと
1847年(弘化4年)に建てられた 京都御苑内にあった旧桂宮御殿を
1893年~94年(明治26年~27年)に移築されたものです。
派手さがなく落ち着いた良い雰囲気です。
宮御殿の遺構としては 完全な形で残っている貴重なものです。
西橋の架かっている内堀です。
先ほど天守閣跡から見た 西橋を渡り
西門(埋門)
立ち入り禁止で 状態が解りませんが・・・
北中仕切門
清流園
1965年(昭和40年)江戸初期の豪商・角倉了以の屋敷一部と
庭石800個を譲り受け 全国の銘石300個と茶室を加え
造られたものです。
池泉回遊式の和風庭園と芝生を主体にした洋風庭園とで
形成されています。
北大手門前を通り 入城した東大手門へ
江戸時代がここで始まり1867年11月19日(慶応3年10月14日)
15代将軍・慶喜の大政奉還により 江戸時代の終わりを告げた所です。
1994年(平成6年) ユネスコ世界遺産に登録され
国宝建造物と 美術工芸の重要文化財が数多く残されていて
時の流れを歴史の重さを肌で感じることの出来る場所でした。