内堀に架かる 黒門橋を渡り その先
彦根14代藩主・井伊直弼生誕の地です。
隣接する「楽々園」ともに江戸時代は「槻御殿」と呼ばれ
彦根藩の下屋敷でした。
建物部分 「楽々園」
「玄宮園」は
広大な池水を中心に変化の富んだ回遊式庭園です。
池の中に島や入り江に架かる橋と素晴らしい造りになっています。
近江八景を模してつくられた縮景園。
1677年(延宝5年)第4代藩主・直興によって造営された大名庭園です。
金亀児童公園には 井伊直弼像
1850年(嘉永3年) 彦根藩主となり
1858年(安政5年) 江戸幕府 大老職を
1860年(安政7年) 桜田門外で暗殺される。
二季桜
桜田門外の変から112年経った 1972年(昭和47年)
友好都市となった水戸市から寄贈された桜の木です。
冬(11月~1月)そして、春(4月~5月)と二回 花を咲かせます。
埋木舎
直弼が、15歳から32歳までの青春時代を過ごした館です。
この頃、長野主膳・村山たか女が訪れ談義を交わし
後の大役を果たすための礎を培っていたのでしょうか。
伊直弼の句碑
1860年(安政7年)正月に詠んだ句です。
あふみ(淡海・近江)の海 磯うつ海の いく度か
御世にこころを くだきぬるかな
国政に力を尽くしてきた心境を詠んでいます。
この2ヵ月後に、桜田門外で46歳の生涯をとじることとなりました。
まさか、これが辞世の句になるとは思っていなかったでしょう。
最後に、ガイドさんお奨めの撮影スポットです。
7時間近く お付き合い頂きまして 有難うございました。
効率良く有意義な楽しい時間を持つことが出来ました。
特に、佐和山城址は案内無しでは解り難く
西の丸からの脇道 滑り落ちるように下り
草木をかき分け道なき道をそして、石田群霊台碑など
あまり案内しない所だそうですが
私が 興味を示したので・・・つい。
彦根ボランテァガイドさん、お世話になりました。
感謝と感激です。