紀三井寺より2時間ほどの走行
高野山へ
和歌山県伊都郡高野町にある 標高1000mの山々の総称です。
819年(弘仁10年)頃より 弘法大師空海が修行の場として開いた
高野山真言宗・日本仏教の聖地です。
入り口近く参道の両側には、企業会社関係そして個人の墓所
変ったもので「しろありの墓」もありました。
これより、世界遺産の地です。
奥の院への参道 樹齢数百年のスギ林
名だたる武将・諸大名 また、多くの方々の墓碑が立ち並んでいます。
御正面が奥の院です。
大勢の参拝者で賑わっていても、やはり身の引き締まる思いがします。
納経・参拝を済ませ 4度目の訪れの今回は、ゆっくりと墓碑を拝しながら
もと来た参道を戻り 少し横道に入った所にある
女人堂へ
1000年余、女人禁制であった高野山の入り口には
七ヵ所の女人堂があり 女性はこの堂で祈り 木々の間から
垣間見える伽藍・奥の院に手を合わせ参拝していたそうです。
現在は、「不動坂口女人堂」のみが現存しています。
この前に立つと、その頃の女性の思いが伝わってくるようです。
奥の院辺りの賑やかさに比べ ひっそりとした情景に余計に
感じられます。
女人堂の手前にある 「徳川家霊台」
門をくぐった先の石垣は、
穴太衆積み 400年前のものだそうです。
1643年(寛永20年)三代将軍・家光により建立
一重宝形造り(いちじゅうほうぎょうづくり)の同じ建物が左右に
右に、家康公 左に、秀忠公の霊屋です。
屋根などの修理・修繕はしていますが、建立当時の姿を
残しているそうです。
受付の方と、弘法大師の話から昔の中国そして今の中国と
暫し、会話が弾みました。
金剛峯寺
高野山真言宗3600ヶ寺・信徒1000万人の総本山です。
最後に訪れたのは、
高野山総門である西の入り口にある 大門
大きいです!!本当に・・・
高さ25mです。
炎上・焼失そして幾度かの再建を繰り返し 1705年(宝永2年)に
建立されました。
両親共に、高野山の某寺に納骨させて頂いています。
ここを訪れると 何かしら懐かしさを感じます。
ここより九度山の山道を抜け 近畿道・名神高速にて帰路に。
西国観音霊場・33寺と番外・3寺
そして満願寺として高野山奥の院での納経を
済ませることが出来ました。
何事もなく済ませられた今
安堵とそして感謝の思いを味わっています。