東本宮を出て左側 「山の辺の道」と名づけられた道を

20分ほど行くと西教寺に行き着くというので 

不安に思いながらも歩くことに。

 

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途中に「日吉古墳群」の立て札があり、この辺りで

古代古墳群が見られるそうです。

 

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柿畑を左に 右に琵琶湖を眺めながら20分以上歩いた感じです。

 

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滋賀県大津市坂本の西北・比叡山東麓にある

「天台真盛宗総本山戒光兼法勝西教寺」これが正式名です。

西教寺 全国に約400余の末寺を有する総本山です。

 

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総門

明智光秀城主だった 坂本城の城門が移築されています。

どっしりとした立派な門です。(昭和59年に修復)

 

この寺は、明智光秀・一族の縁の寺です。

織田信長が比叡山焼き討ちをした後、坂本城の城主となった光秀は

坂本の町・西教寺の復興に尽力し 以来、由縁深くなったそうです。

 

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真っ直ぐに伸びる参道は、秋の色に染まっています。

見事な色合いに 暫し見とれてしまいました。

 

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参道 左右に幾つかの堂塔が建ち並んでいます。

その一つの堂塔、陽の射し具合で一層の鮮やかさを増した情景

撮影スポット満点の所ですね。

 

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参道突き当たった所が 勅使門です。

 

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左側にある、宗祖大師殿です。

 

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右側の石段を上って行くと 

入母屋造りの壮大な本堂 聖徳太子が創建し 

その後、久しく荒廃していましたが変遷を経て

1486年に真盛上人の入寺により堂塔・教法が

再興をされ今日に至っています。

 

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境内の一角 1582年6月2日に、謀反人として歴史上に

名を残すことになった光秀

主君信長公を討つ「本能寺の変」を起し 1582年7月2日に

この世を去った明智光秀公と内室・一族の墓所があります。


内部をそして素晴らしいお庭を拝観させて頂き 靴を履こうとしていたら

「5分ほど良いですか」と 辻説法と言うか問答のようで

面白い会話をさせて頂き 心ほんわかと・・・

 

三重からこの日このために来たお坊さんでした。

私も、この日この時間にここへ来なければ会いお話をすることも

無かった これもご縁ですね。


最後の目的地は

琵琶湖畔にある 坂本城跡 です。

 

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今は、坂本公園となっています。

明智光秀公の像  

地元の人によれば この像の姿には不満のようです。

武将らしからぬ様に、私も・・・

 

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1571年に築城され 1586年に廃城となった坂本城

信長公の「安土城」に次ぐほどの立派で美しい城だったそうです。

 

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・・・? 今は、跡形なく 寂しい限りです。

「坂本城を考える会」があり 復元を目指しているそうです。

 

何年先でしょう?  楽しみです。

坂本は、明智光秀を偲び 厚く供養している地域です。

 

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少し解りにくい所にある 坂本城址

唯一、この赤い鳥居が目印ですが 交通量の激しい道路脇

つい見落とし行き過ぎてしまいました。


この赤い鳥居は、日吉大社・山王祭神輿乗船桟橋です。

何人かの釣り人が、ブラックバスを釣っているそうです。


随分と遅めの昼食になりましたが

坂本名物「鶴喜そば」を頂いてきました。

そばの実がのった新そばでした。


一概に紅葉と言っても、所々で色合いの違いを感じ

そして、明智光秀公に対する感が変りつつあると思いながら

帰路に着きました。


西教寺の紅葉は、超お勧めですよ!!