檮原町~ゆすはらまち~

 

高知県高岡郡 高知の西部にあり愛媛県北宇和郡に近い町です。

只今、NHK大河ドラマ「龍馬伝」放映で 一段と活気のある

賑わいを見せている所です。

ゆすはら会場前の駐車場に停めて、マップを貰い説明を受けて散策


ゆすはら座

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高知県唯一の木造芝居小屋です。

大正時代の和洋折衷様式の建物で、現在は町内のイベント時に

利用されています。

 

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一千余年の歴史を持つ津野山神楽は、檮原町に溶け込み

親しまれているそうです。

 

掛橋和泉邸

 

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吉村虎太郎邸跡に、移築されたものです。

お隣どうしだったようです。

 

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掛橋和泉邸前にこの標識が、この先に檮原高校がありました。

 

今回のお目当てはこれです!
檮原ゆかりの 志士達8人の群像 です。

 

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この躍動感、今にも駆け出しそうです。

 

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右から 那須俊平・坂本龍馬・澤村惣之丞 

 

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掛橋和泉・中平龍之助・吉村虎太郎・那須信吾・前田繁馬

 

この人達は、幾度となく維新の道を行き来したそうです。

しかし、日本の夜明けを見ることなく戦い去っていきました。

 

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三嶋神社

919年に創建された神社です。

 

参道に架かる屋根付きの橋

 

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御幸橋

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ここにも、この標識があります。

 

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四国カルスト・天狗高原へ行きたかったのですが雨模様の中では

行っても展望も悪いだろうと 残念ですが諦めることにしました。



散策はこの辺にして 歴史民俗資料館 へ

館長さんに 檮原町の歴史・縁の人達の話を

土佐弁で(龍馬の話し言葉だ!)聞かせて頂いて楽しい時間を

持つことが出来ました。

 

やはり凄い 知識豊かさは勿論ですがとても話し上手です。 

ついつい長話をさせて頂きました。

 

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「維新の道・脱藩の道」 自由と平等を夢みて脱藩して行った道


坂本龍馬は澤村惣之丞とともに、1862年3月24日高知出奔して

25日 檮原に到着 その夜は、檮原の勤皇の志士である那須邸に宿泊

26日 那須俊平・信吾父子の道案内により宮野々番所を抜け四万川茶や谷の

    松ヶ峠番所を抜けて予土県境の 韮ヶ峠 を越えて 伊予の国(愛媛)へと

27日 宿間村(旧五十崎町・現在の内子町)に入り 大洲市長浜港を出て

そして

28日には、山口県の中関(三田尻)港へ到着。


吉村虎太郎他の志士達は、九十九曲峠 を越えて伊予の国へと

地図を見ると この方が随分と近いです。

なぜ、龍馬はあえて遠い道を行ったのか・・・

 


明日の日本に大きな夢を抱き 志半ばにして20~30代の若い命を
遂げ逝ってしまった生きざまをここ檮原に来て一層感じました。


館内に、NHK大河ドラマに出演した方々の色紙が展示していました。

福山さん・宮迫さんの色紙が盗難に、今は四隅をしっかりと釘付けに
されていました。

 

再度書いて貰った福山さんの色紙には

「戻ってきたぜよ」と書かれていました。


館長さんのお祖母さんが、武市富(武市瑞山の妻・あの献身的な奥さんです)さんに

子供の頃 可愛がって貰っていたそうです。富さんは87歳の長寿でした。
 

                      明日の予定の都合で今夜の泊まりは、須崎市です。