織田信長 天下統一に向けての居城
「山を丸ごと城にせよ」との命を受けてわずか3年で築城
本能寺の変後、全て焼失とまさにまぼろしの城跡です。
目の前に広がる6mほどの幅広い石段・大手道を上って行きます。
所々に「石仏」が置かれています。
築城の際、近郊の山から多くの石材が採集されたが石仏・墓石も
含まれていたそうです。
大手道に沿って左側に「羽柴秀吉邸跡」
右側に「前田利家邸跡」からさらに上り右へ天守閣跡まで190段
黒金門跡・・・安土城の中枢部へ通じる主要な入り口の一つです。
築城時、石材として集められ 石垣として使われていた「仏足石」
室町時代中期の貴重なものだそうです。
信長公本廟と二の丸跡
本丸跡・・・東西約50m 南北約34mの敷地 天守閣直下に有り
実現しなかった天皇行幸のために信長が用意した「行幸御殿」ではと
言われています。
この石段を上ればいよいよ「天守閣跡」です。
完成して3年後の天正10年(1582年)6月焼失
昭和15年までの長い年月放置されていたこの地
石垣の崩壊を防ぐための補強が行われましたが
往事そのままの姿を現存しているそうです。
人ひとり居ないこの場所に立ち「火天の城」の一場面を思い出し
感慨深い時間を暫し・・・
摠見寺跡・・・安土城築城の際(天正4年)他所から移築して
信長自らの菩提寺とした寺です。
緩やかに そして高さのある石段ありと少々苦しい道程の
目の前に広がるこの光景にほっ~と一息。
昔の人は健脚だったのですね。
室町時代の建物で、甲賀の長寿寺から移建したものだそうです。
仁王門(桜門)
信長公が天正年間に甲賀から移したものだそうです。
これより比較的緩やかな裏道を下り1時間30分ほどの城址巡りも
終わりです。
織田信長、天下統一と言った大きな夢を抱き築城された城
標高199mの安土山に築城された五層七階(地上6階地下1階)
高さ33mの木造建築の平山城
人・馬・牛の労働力以外ないこの時代にどれだけの犠牲を払い
財力をかけ そして築き上げていった「岡部又右衛門」の凄さ
「織田信長」の色んな意味での凄さを改めて感じました。
帰り際に受付の人と話してたら、「枯れ葉の中で見つけた」って
うらしま草?ですよね。
昨年はつる状のものが有ったそうです。
沙沙貴神社から走行5分ほど、晴天でも曇天でもないほどほどの天気
4月26日に一度は訪れたいと思っていた「安土城址」へ行って来ました。