ヴェネツィアと言えば、まずサンマルコ寺院です。
ビザンティンの影響が色濃く表れています。
ヴェネツィアの歴史を背負って今尚きらきらと輝きを放つ宝石のようです。
■ファサード
5連アーチのファサードです。随時あちこち修復しているようです。
撮影 1996年
■サン・マルコ馬像
頂部に聖マルコ像とヴェネツィア紋章の本を開く有翼のライオン
左端のアーチ上部に描かれたサンマルコ寺院。
大きな地図で見る
ギリシャ十字形(正十字)の平面です。クロスドーム形式でクーポラは5個。
直径13m、高さ30mのクーポラを正方形の柱間の上に架けています。
■パラ・ドーロ
2000個もの眩い宝石が埋め込まれた黄金の衝立。
主祭壇正面の祭壇画は回転扉のように横回転するしくみです。
片側にはこのパラ・ドーロがあります。
壁・天井は一面緻密な黄金のモザイク画です。
ビザンティン、ロマネスク様式の混合。
モザイク画は面積にして4000㎡にも及びます。
このモザイク製作がヴェネツィアンガラスの発展を促したと言われます。
身廊と内陣は聖像壁で隔てられます。
■鐘楼 カンパニーレ
下部は煉瓦造、鐘架は大理石、木製金箔張の大天使ガブリエル彫像。
高さ96m、5つの鐘を設置、現在はエレベーター付。
9世紀に海の見張り台として建設されてから幾度も再建を繰り返しています。
1513年建築1902年倒壊した塔と同じ外観にて1910年再建。
■時計塔
1493年計画決定。1499年建築。
1858年に市の公式タイムキーパー(標準時)に制定されました。
時計守の技術者が代々住んでいました。
以前は13時間に1度ネジ巻きが必要でした。
天文時計は24時間計なので針は1本だけです。
美しいラピスラズリの文字盤、大理石のローマンインデックス、金浮彫の十二宮(黄道)、ムーンフェイズ(月齢)があります。
メルチェリア通りアーチ上部の時計はローマ数字と星のデザイン。
屋上で鐘を鳴らすのは2人のムーア人銅像。
「ムーア人の時計塔」とも呼ばれます。
【サン・マルコ寺院】
(伊)Basilica di San Marco
イタリア共和国ヴェネト州ヴェネツィア
□キリスト教カトリック教会司教座聖堂
18世紀までは共和国総督の礼拝堂
□守護聖人:聖マルコ
□代表的ビザンティン建築
ロマネスク、ゴシック、ルネッサンス融合
□世界遺産 ヴェネツィアとその潟 文化遺産 1987年
*****************************************************************
697年初代総督(ドージェ)が承認され事実上ヴェネツィア共和国成立。
810年ピピン軍を撃退し主権維持。
海上都市建設。
歴代総督が独自に交易を強化する。
828年教会建設(現在のドゥカーレ宮の位置)。
ヴェネツィア商人2人がイスラム化の進むエジプトのアレキサンドリアで
聖遺物の危機を知り「聖マルコ遺物」を入手しヴェネツィアへ密輸。
ヴェネツィアの守護聖人として寺院に安置。
832年聖人のための教会を建設し移転(現在のサン・マルコ寺院の位置)。
基礎・一部の壁体は現在も使用されている。
972-976年総督カンディアーノ家の専制政治への反乱により教会は焼失。
978再建。
1063-1094年再建。
総督ドメニコ・コンタリーニ起工。総督ヴィターレ・ファリエル完成。
「聖使徒大聖堂(アポストレイオン)」(東ローマ帝国首都コンスタンティノープル)を再現。
のち増築・改修を繰り返す。
1202-1204年第4回十字軍コンスタンティノポリス陥落。
ヴェネチア共和国が東地中海の制海権確立。
1204年正面入口上に4頭の馬の銅像設置。
「コンスタンティノポリス競馬場」より略奪してきた戦利品。
地中海・イタリアで版図拡大しパリに次ぐ欧州第2の都市となる。
13-14世紀は元により東西交通路の安全が維持され交易が活発化した。
ヴェネツィア商人マルコ・ポーロ(1254-1324)が有名。
1508-1516年「カンブレー同盟戦争」後、ヴェネツィアは衰退期に入る。
大航海時代の到来により海洋国家の地位失墜。
1540年オスマン帝国との攻防で東地中海の制海権を失う。
1714-1718年「オスマン・ヴェネツィア戦争」によりアドリア海制海権を失う。
1796年フランス共和国ナポレオン・ボナパルトによりヴェネツィア占領。
1797年オーストリア領に編入されヴェネツィア共和国滅亡。
ナポレオンが「聖マルコの馬」をパリに送る。
1805年ナポレオン支配下のイタリア王国に編入。
1807年ヴェネツィア大司教座を設置し大聖堂となる。
1815年ヴェネト王国建国。「聖マルコの馬」返還。
1848年ヴェネト共和国建国。
1866年普墺戦争によりイタリア王国に編入。
ビザンティンの影響が色濃く表れています。
ヴェネツィアの歴史を背負って今尚きらきらと輝きを放つ宝石のようです。
■ファサード
5連アーチのファサードです。随時あちこち修復しているようです。
撮影 1996年
■サン・マルコ馬像
頂部に聖マルコ像とヴェネツィア紋章の本を開く有翼のライオン
左端のアーチ上部に描かれたサンマルコ寺院。
大きな地図で見る
ギリシャ十字形(正十字)の平面です。クロスドーム形式でクーポラは5個。
直径13m、高さ30mのクーポラを正方形の柱間の上に架けています。
■パラ・ドーロ
2000個もの眩い宝石が埋め込まれた黄金の衝立。
主祭壇正面の祭壇画は回転扉のように横回転するしくみです。
片側にはこのパラ・ドーロがあります。
壁・天井は一面緻密な黄金のモザイク画です。
ビザンティン、ロマネスク様式の混合。
モザイク画は面積にして4000㎡にも及びます。
このモザイク製作がヴェネツィアンガラスの発展を促したと言われます。
身廊と内陣は聖像壁で隔てられます。
■鐘楼 カンパニーレ
下部は煉瓦造、鐘架は大理石、木製金箔張の大天使ガブリエル彫像。
高さ96m、5つの鐘を設置、現在はエレベーター付。
9世紀に海の見張り台として建設されてから幾度も再建を繰り返しています。
1513年建築1902年倒壊した塔と同じ外観にて1910年再建。
■時計塔
1493年計画決定。1499年建築。
1858年に市の公式タイムキーパー(標準時)に制定されました。
時計守の技術者が代々住んでいました。
以前は13時間に1度ネジ巻きが必要でした。
天文時計は24時間計なので針は1本だけです。
美しいラピスラズリの文字盤、大理石のローマンインデックス、金浮彫の十二宮(黄道)、ムーンフェイズ(月齢)があります。
メルチェリア通りアーチ上部の時計はローマ数字と星のデザイン。
屋上で鐘を鳴らすのは2人のムーア人銅像。
「ムーア人の時計塔」とも呼ばれます。
【サン・マルコ寺院】
(伊)Basilica di San Marco
イタリア共和国ヴェネト州ヴェネツィア
□キリスト教カトリック教会司教座聖堂
18世紀までは共和国総督の礼拝堂
□守護聖人:聖マルコ
□代表的ビザンティン建築
ロマネスク、ゴシック、ルネッサンス融合
□世界遺産 ヴェネツィアとその潟 文化遺産 1987年
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697年初代総督(ドージェ)が承認され事実上ヴェネツィア共和国成立。
810年ピピン軍を撃退し主権維持。
海上都市建設。
歴代総督が独自に交易を強化する。
828年教会建設(現在のドゥカーレ宮の位置)。
ヴェネツィア商人2人がイスラム化の進むエジプトのアレキサンドリアで
聖遺物の危機を知り「聖マルコ遺物」を入手しヴェネツィアへ密輸。
ヴェネツィアの守護聖人として寺院に安置。
832年聖人のための教会を建設し移転(現在のサン・マルコ寺院の位置)。
基礎・一部の壁体は現在も使用されている。
972-976年総督カンディアーノ家の専制政治への反乱により教会は焼失。
978再建。
1063-1094年再建。
総督ドメニコ・コンタリーニ起工。総督ヴィターレ・ファリエル完成。
「聖使徒大聖堂(アポストレイオン)」(東ローマ帝国首都コンスタンティノープル)を再現。
のち増築・改修を繰り返す。
1202-1204年第4回十字軍コンスタンティノポリス陥落。
ヴェネチア共和国が東地中海の制海権確立。
1204年正面入口上に4頭の馬の銅像設置。
「コンスタンティノポリス競馬場」より略奪してきた戦利品。
地中海・イタリアで版図拡大しパリに次ぐ欧州第2の都市となる。
13-14世紀は元により東西交通路の安全が維持され交易が活発化した。
ヴェネツィア商人マルコ・ポーロ(1254-1324)が有名。
1508-1516年「カンブレー同盟戦争」後、ヴェネツィアは衰退期に入る。
大航海時代の到来により海洋国家の地位失墜。
1540年オスマン帝国との攻防で東地中海の制海権を失う。
1714-1718年「オスマン・ヴェネツィア戦争」によりアドリア海制海権を失う。
1796年フランス共和国ナポレオン・ボナパルトによりヴェネツィア占領。
1797年オーストリア領に編入されヴェネツィア共和国滅亡。
ナポレオンが「聖マルコの馬」をパリに送る。
1805年ナポレオン支配下のイタリア王国に編入。
1807年ヴェネツィア大司教座を設置し大聖堂となる。
1815年ヴェネト王国建国。「聖マルコの馬」返還。
1848年ヴェネト共和国建国。
1866年普墺戦争によりイタリア王国に編入。