フィレンツェを象徴する花・ユリは純白や聖母マリアを意味します。
花の女神フローラ(古代ローマ神)の街Florentiaが語源だそうです。

花の都フィレンツェはその名の通りとても美しく可憐です。
訪れる人の心にも小さな花を挿してくれるかのようです。


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■ドゥオーモ・大聖堂
1296-1436年(-1903年)建築。
三方にアプスを持つ3廊バシリカ式教会堂。
全長153m、最大幅90m、高さ107m、大クーポラ内径43m。

石積建築ドームでは世界最大、聖堂規模は世界第4位。

クーポラは八角ドラム(鼓胴部)に支えられるリブ式二重殻構造。
24本の大小リブの支持力とそれらを連結する水平アーチの作用を利用。
大クーポラの展望台は外回廊の高さ90m、464段の階段を登ります。
ヴァザーリの近年修復を終えた天井フレスコ画「最後の審判」を間近に見られます。

聖堂内は西に正面玄関、東に至聖所。

壁面は白大理石を基調に、ピンク、緑の大理石を幾何学模様に配します。
酒の一滴は大河の一滴

■ジョットーの鐘楼(カンパニーレ)
1334-1359年建築。
ジョットーの構想によるゴシック様式の大理石の塔。
高さ85m、階段412段の最上階を展望施設としています。

ジョットーは基礎工事を終えた段階の1337年に死去しています。
酒の一滴は大河の一滴

■サン・ジョヴァンニ洗礼堂
4-5世紀軍神マルスを祀ったローマ神殿が起源の建造物。
1128年屋根、1150年ランターン、1202年内陣、1355-1375年洗礼堂に改修。
当初「サンタ・レパラータ教会」に代わり礼拝堂となり、のちに洗礼堂を担う。

白・緑を基調。祭室・通路のみのシンプルなプランの八角堂。ロマネスク様式の集中堂式教会堂。
ロレンツォ・ギベルティ製作の北門「キリストの生涯」と東側正面の青銅門扉「天国への門(ポルタデルパラディーゾ)」が有名です。

天井画は1220-1330年製作「最後の審判」「聖ジョヴァンニの生涯」。
黄金に輝くビザンティン風モザイク画です。
酒の一滴は大河の一滴

■ファサード(ドゥオーモ正面)
1296-1490年アルノルフォ・ディ・カンビオ設計に基づく未完成のファサードを
    ついに建築中止。
1587年欠陥構造を理由としてファサード撤去。
    彫刻などは付属美術館収蔵。
1689年トロンプ・ルイユ(だまし絵)を描いたモルタル壁構築。
    のちに劣化。
1876-1887年当初のアルノルフォ構想にて再建。
酒の一滴は大河の一滴

                                      1996年 撮影

【サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂】
(英)St.Maria del fior , Florence Cathedral , Dome
(伊)Cattedrale di Santa Maria del Fiore , Duomo di Firenze
イタリア共和国トスカーナ州フィレンツェ県

□キリスト教カトリック寺院
□代表的ルネサンス様式(部分混成)
  晩期ゴシック様式:大聖堂
  初期ルネサンス様式:クーポラ、ランターン(クーポラ頭頂採光部)
  ネオ・ゴシック様式:ファサード(正面)

□大聖堂:聖マリア
□洗礼堂:フィレンツェ守護聖人である聖ジョヴァンニ(洗礼者ヨハネ)
□フィレンツェ大司教座聖堂

□正式名:サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂
□別名:花の(聖母・マリア)大聖堂、花の聖母教会、ドゥオーモ

□世界遺産:「フィレンツェ歴史地区」 文化遺産 1982年
□大聖堂付属美術館:大聖堂の広場を隔てた東側
    ミケランジェロ「ピエタ」(1547-1553)他美術品、宝物、調度品等

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もとは古代ローマ時代ドムス(上中流層住居)跡地。

初代教会堂は小規模なもので4-5世紀に建設。
    ビザンティン時代の戦役により破壊される。

2代目聖堂は7-9世紀「サンタ・レパラータ教会」再建。
 3世紀に迫害された聖レパラータはシリアの聖女でフィレンツェの守護聖人。
 大聖堂の地下「考古学エリア」にあるロマネスク様式の遺構を現在公開。

12世紀後半フィレンツェ経済隆盛。
1294年アルノルフォ・ディ・カンビオにより初期プラン作成。
1296年3代目大聖堂起工式。
1302年(または1310年)アルノルフォ・ディ・カンビオ死去により工事中断。

1334年ジョットー(画家兼)を鐘楼設計・建築責任者に任命。
1337年ジョットー死去。
    1334-1359年プランは修正されながら鐘楼竣工。

1355年ドゥオーモ工事再開。
    フランチェスコ・タレンティ等がプラン拡張し現在の規模へと修正。
1375年「サンタ・レパラータ教会」撤去。
1380年ドゥオーモの身廊完成。
    (身廊:入口-翼廊交差間の中央通路)
1401年洗礼堂の扉パネルコンペ。

1418年ドゥオーモのクーポラコンペ。
1420年フィリッポ・ブルネレスキの2重構造案を採用し工事責任者に任命。
1436年教皇により献堂式開催。
    1418-1436年(約140年間)にてドゥオーモ主要部分落成。

1446年ブルネレスキ死去。
    1446-1461年ランターン(クーポラ頭頂採光部)完成。
    天蓋天頂部のブロンズ球をヴェロッキオ(彫刻家兼)が製作。 

1478年「パッツィ家の陰謀」「パッツィ戦争」
    パッツィ家とメディチ家の対立、さらには教皇を巻き込んだ対立激化。

ファサード、内外壁装飾、彫像、ステンドグラス、絵画等施工製作は継続。

1526-1660年床。
1572-1579年クーポラ内部にジョルジョ・ヴァザーリ等による「最後の審判」。
1876-1887年ファサード(ドゥオーモ正面)再建。
1899-1903年銅製扉製作。