親の離婚で人生が変わるのだとしたら・・・
私が年長さんか1年生くらいのころだったと記憶しているが、親が離婚した。当時の印象にある両親の姿は、新興宗教にハマる母と、言い争いになると暴力をふるった父だった。他にも、保育園のリレーに父が参加して全力で走ってる姿や、一緒に田舎の親戚を何度となく訪ねた思い出、博物館で小型機の操縦席に座ったこと、初めてのディズニーランド、習い事の送迎をしてくれていたこと、共働きで夜勤の母が眠い目をこすっていたことを覚えている。2歳下の妹がおり、まだベビーベッドに居たときの記憶があるから、たぶん私が3歳かそれに満たないときだったか。丸めたティッシュか何かのごみをベビーベッドに投げ込んでこっぴどく叱られた記憶がある。よくよく思い返してみれば、様々な思い出があるのだが、離婚することになる。離婚について両親の言い分を詳しく掘り下げたことはない(別に知りたくもない)が、私は父についていった。理由は、日常的に私に手を上げる母と、そうではない父。ただ殴られたくなかっただけである。あとは、父が家計の大黒柱であり、経済基盤であったこともあった。7歳当時でそんなこと考えてたんだと思うと、今どきの子供はもっと大人なのかもしれない。母の実家は常識人で、両親は設計士と看護師。田舎に広めの一戸建てを新築し、庭には大型犬、中流階級のゆとりある生活を送っていた。父の実家は労働者階級で、少々すさんだ家庭だった。飲んだくれでだらしがないが気のいい祖父は印刷工場勤め。きーきーとうるさい祖母、ダウン症の叔母(30歳手前で亡くなったか)、賢くもないのに理屈っぽくおそらく適応障害の叔父は現在も未婚で実家暮らしのまま(祖母は近年亡くなっていて、その報せすらなかった)。この家族は当時で築40年の小汚い団地に住み、夜中に電気をつけるとゴキブリが2~3匹は這っていた。そんな家系の私の両親が結婚し、私と妹を授かり、離婚した。妹は母についた。母は、父よりは常識人で、すでにお相手はいたらしく、その後しばらくの私の人生に比べれば順風満帆な生活を送っていたと思う。私は父についた。殴らないことと、生活の経済基盤であったことしか考えてなかった6~7歳の判断は、今となっては「それでよかった」のかはわからないが、それが自分で選んだ道であった。今の私の人生は、この分かれ道から始まっているのだし、あの時母についていれば、今の私の事業や、息子にも出会えなかったかもしれないと思えば、本当にこれでよかったと思う。