暑かった夏の日も過ぎ去り、秋の涼しい風が吹くようになりました。皆様こんにちは笑今年の初めに、ブログを書くと言ったのに、気づいたら書かなくなってしまって、久しぶりの投稿となってしまいました。




今回は誰にも言ったことが無い、自分が野球部を辞めた理由とその後の苦悩の日々について綴ろうと思います。




時系列に沿って説明すると、まず自分が高校1年生の冬、春の大会のベンチ入りに向けて、日々一生懸命練習してました。3月に入ってから他校との練習試合が解禁されるのですが(確か)、その練習試合で、1点も取られたく無いくらいの気持ちで、毎日崖っぷちだと思って、頑張っていました。結果的に春の大会でベンチ入りを果たせたのですが、ここから悲劇が始まります。

 まず、この頃、体調を壊していました。当時はまだコロナの前だったので、多少体調が悪くても、ここで後退するわけにはいかないと思って、我慢していました。これは当然のことだし、間違っていなかったと今も思います。しかし、体調は大会が始まるまで、良くならず、逆にどんどん悪くなっていきました。ただ何とか春の大会1回戦はベンチに入って、体調も何とか持ち堪え、チームも勝ちました。しかし、その翌日、今まで以上に体調が悪くなり、流石に練習に参加できるような状態では無いと判断したので、翌日の練習を欠席し体調回復に努めようとしました。でも、そんな気持ちとは裏腹に、体調はいつまでも良くなってくれず、大会の2回戦は欠席しました。まぁ、これも、賛否両論あるかも知れませんが、間違っていなかったと思っています。チームは2回戦で惜しくも負けてしまいました。

 それ以降、体調は良くなり、大会後最初の練習に参加しました。自分にとっては、体調を崩してしまい、悔いがなかったので、今度は夏の大会(甲子園予選)に向けて、また頑張ろうと切り替えました。

 しかし、その約1週間後、また前回と同じような体調不良を起こしてしまいました。そして、病院に行ったところ、今後数日間は部活は休んで、安静にしなさいと言われ、顧問の先生にその旨を伝えようと電話をして説明したら、怒られました。自分としては、切り替えて、また頑張ろうと思った矢先に出鼻を挫かれ、また更に追い討ちをかけられた事で、戦意喪失と言うか、先が真っ暗になってしまいました。それから体調は戻ったものの練習に行けなくなり、新学期が始まるからと学校に行くのですが、ここでまた更に追い討ちを掛けられます。先生からはとにかく学校に元気に行けるようになって、部活に復帰するのはそれからだと言われました。これには自分も納得し、数日経てばまた復帰出来ると思っていました。

 しかし、放課後に皆が練習してる所を毎日見てるうちに、もう自分は体力的にも技術的にも置いてかれ、たとえ復帰出来たとしても、皆に追いつくことはもう無理なのではないかと、しだいに引け目に感じるようになりました。当時部長の先生から「野球をすることが怖くなってないか?」と問われ、その時はそのような感情は全くなかったのですが、先述の通り、引け目に感じるようになってから、だんだん、怖くなり、自分が野球をしてる姿が想像出来なくなってしまいました。これをきっかけに、親からも「このまま辞めさせないから」と強い口調で言われ、もう自分は恐怖のどん底に落ちました。助けてくれるのは当時の担任の先生と、顧問の先生方だけ。それでも恐怖が勝つ。周りの期待に応えられない。もう限界だと思った所で、退部する旨を伝え、何回か引き止められたものの退部しました。

 ここからはその後の苦悩の話に移りますが、1番の苦悩は、野球部に自分がいないことの惨めさ、恥ずかしさ。なぜ自分は今ここ(応援する側)にいるのだろうと日々思っていました。大会で皆がいない時も、自分は学校にいる。なぜ。と自分を責めることも多々。そして、この頃から学校を休む事が少しだけ増えていきました。でもそれでは駄目だと思い、体に鞭を打ってではないけれど、我慢して、学校に行き続けました。でも、心は誤魔化せず、我慢の蓄積によって、キャパオーバーとなり、不登校となって、転校しました。これが苦悩の日々です。



正直、高校3年間、今思えば楽しかったことは1つも無かったのかなと思います。どれだけ経っても、もしあの時に体調を崩していなければどうなってたんだろうとか、もしあの時に、すぐ復帰していたらどうなっていたんだろうとか、思うことは多々あります。

 でも、学んだこともあって、自分が辛い時や上手くいかない時は思い切って環境を変えるのも一つの方法であるという事。僕の場合、結果的に、環境を変えた事で良い方向に転がってくれました。この高校3年間の経験が自分にとってプラスになってくれたらなと思います。









少し長くなってしまいましたが、ここまで拙い文章を読んでくださりありがとうございました。





ではまた