どう? | ボクノメソドロジー my-methodology

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奄美大島出身(あと東大出身)芸人ザウルス・濱田壮摩の似非インテリ内省録。毎週月曜更新中。




去る者あれば来る者もあるこの季節、



友人と久々の再会なんかも


あったりするものだけれども、




顔を合わせれば


まず



「太った?」「髪型かえた?」


などの


外見の変化(あるいは変化のなさ)への


コメントあって、



そうした後に


たいてい決まって発せられるのが




「‥どう?」




というこの問いで、




「何が??」



と問い返すのはルール違反の、



仕事や体調やその他もろもろの


近況を確かめようという


この「どう?」に、



ボクはたいてい




「んー‥最悪!」




と答えることにしていたりして、




口が曲がっても


「調子いい!」


などとはいえない性分なのだけど、




というのも、




現状は常に最悪で最底辺




自分にも聞かせることで、



上昇の余地大いにあり





目線を上向きにするねらい



なんかが理屈の上ではあったりもして、




しかし


たいていの場合この目論見は



最底辺の「底」が抜けることもある



という気づきによって失敗し、



目線は


斜め下へとおりるのが常、




それでも


「最悪」


と答えるのには


またひとつ別の理由もあって、




それは


その方が




いたわりあえる




というもので、



「最悪!」


と言われた方は



「おお、どうして。」


とその状況を尋ねざるをえず、



それをかくかくしかじか説明すれば、



自然と


「大変だねぇ。」



と同情こぼれてくるというもの、



そこで


「おたくも大変でしょう?」


と問われれば



「そうなんです。うちも‥。」




かくかくしかじか愚痴でもこぼすというもので、




そうして



「お互い大変ですねぇ。」




自然に生まれるいたわりあい、




確かに



「調子いいですよ!」


「ああ、私もなんです!」



「いいですねぇ!」

「いいですねぇ!」



なんていう


マッチョな会話で


互いのモチベーションを高めあうのも


それはそれで結構だけれども、




ボクの場合は



自分のような人間が


人様を鼓舞しようなど


恐れ多いにもほどがあるという態度であって、



それよりは



いたわりあい


ともに目線を斜め下にしてため息をついている方が、



身の丈にも合い


肩の力もぬけていく気がするようで、




そもそも


みんな調子は万全ではなく


疲れているのが前提だから



顔合わせれば


「お疲れさまです。」



とあいさつをするわけで、




「ぼちぼち」「まあまあ」



遠慮することなく



自信をもって

(ただし胸は張らずに猫背気味で)



「最悪です」



と、




また先週も


級友の「どう?」に返答しつつ、




ひとり帰路にて



いたわりあいより


さらに大きなため息をつく、




そんな、ボクです。



*****


残暑見舞い、冬には寒中見舞い、季節の変わり目には「お体ご自愛ください」等々と、時候の挨拶を通じて日本人は、ほぼ一年中「バテ気味」でいいのである。


髙橋秀実,2011,『結論はまた来週』,角川書店