春
去る者あれば来る者もあるこの季節、
友人と久々の再会なんかも
あったりするものだけれども、
顔を合わせれば
まず
「太った?」「髪型かえた?」
などの
外見の変化(あるいは変化のなさ)への
コメントあって、
そうした後に
たいてい決まって発せられるのが
「‥どう?」
というこの問いで、
「何が??」
と問い返すのはルール違反の、
仕事や体調やその他もろもろの
近況を確かめようという
この「どう?」に、
ボクはたいてい
「んー‥最悪!」
と答えることにしていたりして、
口が曲がっても
「調子いい!」
などとはいえない性分なのだけど、
というのも、
現状は常に最悪で最底辺
と
自分にも聞かせることで、
上昇の余地大いにあり
と
目線を上向きにするねらい
なんかが理屈の上ではあったりもして、
しかし
たいていの場合この目論見は
最底辺の「底」が抜けることもある
という気づきによって失敗し、
目線は
斜め下へとおりるのが常、
それでも
「最悪」
と答えるのには
またひとつ別の理由もあって、
それは
その方が
いたわりあえる
というもので、
「最悪!」
と言われた方は
「おお、どうして。」
とその状況を尋ねざるをえず、
それをかくかくしかじか説明すれば、
自然と
「大変だねぇ。」
と同情こぼれてくるというもの、
そこで
「おたくも大変でしょう?」
と問われれば
「そうなんです。うちも‥。」
と
かくかくしかじか愚痴でもこぼすというもので、
そうして
「お互い大変ですねぇ。」
と
自然に生まれるいたわりあい、
確かに
「調子いいですよ!」
「ああ、私もなんです!」
「いいですねぇ!」
「いいですねぇ!」
なんていう
マッチョな会話で
互いのモチベーションを高めあうのも
それはそれで結構だけれども、
ボクの場合は
自分のような人間が
人様を鼓舞しようなど
恐れ多いにもほどがあるという態度であって、
それよりは
いたわりあい
ともに目線を斜め下にしてため息をついている方が、
身の丈にも合い
肩の力もぬけていく気がするようで、
そもそも
みんな調子は万全ではなく
疲れているのが前提だから
顔合わせれば
「お疲れさまです。」
とあいさつをするわけで、
「ぼちぼち」「まあまあ」
と
遠慮することなく
自信をもって
(ただし胸は張らずに猫背気味で)
「最悪です」
と、
また先週も
級友の「どう?」に返答しつつ、
ひとり帰路にて
いたわりあいより
さらに大きなため息をつく、
そんな、ボクです。
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残暑見舞い、冬には寒中見舞い、季節の変わり目には「お体ご自愛ください」等々と、時候の挨拶を通じて日本人は、ほぼ一年中「バテ気味」でいいのである。
髙橋秀実,2011,『結論はまた来週』,角川書店