皆さん、こんにちは。中村です(^^)
さて、京都旅行記も第4回目!とりあえず5回シリーズの予定なので、またか!と思われるかもしれないですが、後少しお付き合いください。
さて前回は、雨の中、祇園の街を歩き、八坂神社にお参りし、炭火焼のお店でビールをのみ、友人宅で爆睡したところまでした。
翌朝、素晴らしい(素晴らしすぎる?)暑い一日を予感させる朝を迎えた、私達、
まずは、近所の、超有名な、豆餅を買いに行くと言う友人。
???朝、8時過ぎたばかりですけど???
と不思議そうな顔をする私を乗せて、友人のご主人の運転で、近くの商店街までおでかけ!
なんと、朝8時すぎなのに、すでに列ができているお店を発見!!(開店は朝「8時30分」から)
商店街自体は、昔ながらのお店が並び、日曜日の朝らしく静かなたたずまい……。
なのに!!一か所だけ長蛇の列があるのです(◎o◎)/
ここは、出町柳駅近くの「出町ふたば」というお店。明治32年創業の老舗和菓子屋とか。一押しの人気商品は、「名代 豆餅」
朝から行列のできる名店で、買えない事もしばしば…らしい。


お餅は柔らかく、塩の効いたえんどう豆がゴロゴロ。甘さ控えめのこし餡も美味しく。
甘いものがそんなに得意じゃない人も、楽しめる上品な味です。
私も正直、そんなに和菓子が好きな方ではないのですが、これは美味しい!
さすがに朝っぱらから買いに行くだけのことはありました(^^)
この後は、近くの下鴨神社へ。
下鴨神社への参拝と出町ふたばの大福は、セットですね~。下鴨神社の気持ちのよい空気の中での、豆餅はまた格別!(かも)


下鴨神社は、縁結びと干支の神様を祭っています。
国史跡の「糺ノ森(ただすのもり)」の広大な境内には、本殿(国宝)2棟や53棟の重要文化財社殿、樹齢千年を超える老木…。
1994年(平成6)12月には、「古都京都の文化財」として、「世界遺産条約」に基づく世界文化遺産に登録されています。
行くしかありません。
本当に気持ちのよい場所です。
下鴨神社は、21年に1度、式年遷宮があるのですが、それが「平成27年4月」。
ちなみに、式年遷宮の「式年」とは「定まった年」という意味。
下鴨神社では、神様が住んでいるお社と、神様の日用品である御装束神宝などを新しくするために、21年に一度さまざまなお祭りを行いながら、神様にお鎮まりいただいて、国、国民を守ってもらうのです。
この式年遷宮の制度は、平安時代中ごろには史書に記されているので、この頃には制度として確立しているのでしょうね。
そして、下鴨神社の式年遷宮が、21年に一度と定められたのには理由があります。
下鴨神社は、古代建築の最高素材であった「桧皮」を使っているのですが、その寿命は約20年。
それに、神宝、神服などの技術の伝承にとっても、20年程度が適当な年数とされたからとか。
そうなら、20年でもいいような気がしますが、そこは何か21という数字に意味があるのかもしれませんね。(ここ、勉強不足)
こうした、式年遷宮の制度によって、常に神様にご不自由がないようにお守りし、国事を祈願し、国民の平安を祈る神社として祀っているのですね。
京都は広島のように、原爆投下もなく、空襲も他の地域よりは少なかったために、下鴨神社の「糺ノ森(ただすのもり)」のような素晴らしい緑が至るところに残っています。
あ~、近くに住んでいたら毎週来ちゃうな~、ここ。

なんと、狛犬(こまいぬ)がリニューアル中。白い布に包まれています。
狛犬は、神社や寺院の入口の両脇にありますよね。

境内奥へと進むと、干支ごとの小さなお社が!
私は戌年!
さて、下鴨神社を出た私達。次は北野天満宮へ!

(北野天満宮のHPより)
北野天満宮は、菅原道真公をおまつりした神社で、言わずと知れた?学問の神様ですね。
この日も中学生らしき修学旅行生の集団が!!
引率の先生も、集団の規律を守らせるのが大変そうでした。
そりゃそうですよね、開放感あふれる修学旅行中の中学生を統率するなんて波の業じゃないですよね。頑張れ、先生!
さて、そろそろお腹がすいてきた私達。
「京都のお昼といえば~???」
「豆腐でしょ!」
ということで、南禅寺の豆腐料理店に行くことへ!!
しかし、まずは、南禅寺見学。

ここは、南禅寺三門。江戸時代建築の重要文化財建造物です。
有名なのは、歌舞伎の「楼門五三桐」で、石川五右衛門が「絶景かな!」と見得を切った場所です。
三門は、寛永5年に、藤堂高虎が、大坂夏の陣で戦死した家臣を弔うため寄進したと伝えられていますが、下層を天下龍門、上層を五鳳楼というそうです。
そもそも南禅寺は、臨済宗南禅寺派の本山。
素晴らしい景観ですが、驚くことに南禅寺の境内に、水路のための水道橋が建設されているのです。
南禅寺の後ろにある山の中を通るのでなく……。
例えていうなら、他人の家の玄関の前に鉄橋をつくるようなものです。

(
オフィシャル京都観光Navi より)
当初は、南禅寺の後ろの山の中を通す予定だったのが、亀山天皇の分骨場があると分かり、
この南禅寺ルートになったとか。
南禅寺の境内を通る橋を作るとは……。
当時の京都知事・北垣国道が押し切ったとのことですが、
明治維新における近代化の波は、かなりの威力を持っていたんでしょうね。
いやはや、今日の記事も長くなっちゃいました。
この後、南禅寺のお豆腐屋へGOGO!ですが、この続きは、また日曜日に☆
そろそろ梅雨も終わり暑い日が続くようになってきましたが、頑張りましょう!
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