ここ数年で不登校の子供の数がかなり増えてきています。そして同時にその保護者への支援体制や相談窓口の増加に言及するお話も増えてきていますが、具体的にはその中身はそれぞれが何に困っていて、何に悩んでいるのかということを細かく見なければ問題解決にはなかなか至りません。

 

 しかし、すべての不登校児に個別対応を、となると、教員の数は圧倒的に足りません。

 

 そうなると、教員の数を増やせば良いかと言うと、そうでもないケースが多いでしょう。

 

 一体、子どもたちは学校の何が嫌なのか、学校自体が嫌なのか、集団生活が嫌なのか、担任の先生が嫌なのか、友達ができなくて学校へ行きたくないのか・・・等など、抱えている悩みは人それぞれ、児童それぞれの問題です。

 

 教員一人で何人もの不登校児やその保護者に個別に対応することは、ほぼ無理でしょう。

 

 ですから、その対応に追われて病んでいく教員が増えてきているのも然りです。

 

 

 根本としては、まず「なぜ学校へ行かなければならないのか」を考える必要があります。

 

 中学校を卒業するまでは「義務教育」だから、行かねばならないとなりますが、当然「学校へ行きたくない」という子供が出てくることはあるでしょう。

 

 また児童自身もなぜ学校が嫌なのかを周囲の大人たちに言葉できちんと説明できる年齢にもよるでしょう。低学年の子供の場合は、それが難しい場合があります。

 

 また、低学年の子供が不登校になってしまう保護者ほど、仕事を休んだり退職して子供の面倒を見なければならない事態にも発展してしまいます。

 

 

 この現象は、基本的には、人は集団の中で生活するという、生物学的にも生理学的にも人間という生き物は、もともとそのような性質を持っており、集団生活を送る中で、営みを送って来たので、どうしても組織の中に入って生きていく必要があります。

 

 そうではないとなると、一人で生きていくことになるわけですが、誰のお世話にもならず、誰ともかかわることなく生きていくことなどできないことでしょう。

 

 しかし、何でも子どもの心地の良い至れり尽くせりでは、子どものストレス耐性は身につきません。

 

 人と生活を共にするには、我慢をすること、ストレスに耐える力を養うことも必要です。ここの部分を疎かにしてしまうと、面倒くさがってストレス耐性の弱い人間になってしまうことでしょう。

 

 

 したがって、やはり基本は保護者が子どものことをしっかり観察して、必要なことを考えさせ、時には敢えてストレスのある環境に身を置かせることも必要です。

 

 そして、一番大事なのは、子ども自身の課題と、保護者の課題を切り分けて考えることです。

 

 

 「課題の切り分け」です。

 

 

 アドラー的な考えで言えば、不登校そのものは保護者の問題ではなく、子ども自身の問題であることです。

 

 

 親と子は血がつながっていても、魂は異なる存在です。

 

 

 不登校は子ども自身の何が問題なのかを考えて問題解決に臨むことを意識してみると違った視点が見えてくるかもしれません。