あけましておめでとうございます。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

いつもお読みいただき、ありがとうございます!

 

大阪拠点の川口が担当させていただきます。

 

最近、友人たちと新年会にて、

近江牛専門のお肉料理屋さんに行きました!

 

 

さて、本日は「自然の摂理」というテーマで

お話できればと考えております。

 

年末年始は相変わらず、家のしきたりでバタバタしており、

案の定、毎年のごとく体調を崩している現在ですが、

 

2018年から2019年の年越しを通じて、

“生きる”ということの摂理を感じたので、

共有できればと考えております(なんか重そうに聞こえますが)。

 

何があったのかと言いますと、

川口家では家の裏にある豊受大神を祭った祠にて、

お供え物(食べ物)を決まっているもの、量、位置に

お供えしているのですが、

 

たくさんのお供え物の中で、

ひときわ大きく、目立ち、縁起のある、

“鯛”の存在にいつも悩まされています。

 

なぜなら、“鯛”がいつ、何によって、

盗まれる・持っていかれるかわからず、

はらはらするからです。

 

鯛を狙うものはたくさんいます。

 

カラス、猫、いたち、そして人間かもしれません。

 

特に、猫は魚が好きというイメージの通り、

私たちにとって最大の天敵なのです。

 

もし、盗まれてしまったら、しきたりを進めることができず、

速攻でスーパーに走って「一番大きい鯛をください!」

と毎回、労力と金銭を使うことになります。

 

そのため、いつも敵が現れないように、

順番に15分ずつ交代しながら、

窓から祠を監視しなくてはなりません。

 

簡単なようで、地味にこの監視が辛いのです。

 

一瞬、目を離した隙に素早い天敵が現れかねないので、

窓の近くという超絶寒い場所で、じーっと眼をこらして、

見続けないといけませんから。

 

こちらとしては「敵なんていなくなれば」と思ってしまいますが、

どの敵も“生きるため”に鯛を狙いに来ます。

 

それは自然なことです。

 

そのことを分かっていながらも、面倒だと思いますが、

摂理というものですから、どちからが折れるまで、

この戦いは続いていきます(笑)

 

“生きる”ということは改めて、

大変なことなんだなぁと感じた出来事でした。

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございます!

 

明日は2019年の目標を“姿”に込めた城さんです♪