本日は、最近「心が裸だね!」とよく言われます!
1年目の荻が担当させていただきます。

今日は、私がこだわっていることについて書いてみようと思います。
私がこだわっていることは、
『伝わる』“ことば”です。
どんな言葉であれば、この感覚、この感情は
『伝える』ではなく、
『伝わる』になるんだろう?
と割とよくモゴモゴ考えています。
でも、そもそも何でこんなに『伝わる』“ことば”に
こだわり始めたのだろう・・・。
と振り返ってみました。
考え始めたのは、大切にしている友だちや後輩が
落ち込んでいるとき、元気のないときに、
心をあたたかくしたい!という気持ちを
持ち出したときだなあということです。
どんなことが伝わったら、この人の心の
きゅーっと冷たく、重く、痛くなっているところを、
柔らかく、あたたかく、ほぐすことができるだろう・・・
ということを結構真面目に考えていたなあと、思い出します。笑
思春期真っ盛りの、中学2年生くらいからかなあ・・・
でも、じつは、それは自分のためでもありました。
自分がしんどいとき、どんな言葉があったら救われるだろう?
どんな言葉があったら、心強いだろう?
そんなこともよく模索していた気がします。
ノートに、
自分のしんどいときの心情を言葉で表現すること、
心がほぐれたときの心情を言葉で表現すること、
心がほぐれるまでの過程を言葉で表現すること
をしてきました。
ああ、私にとって、言葉で表現する目的は、
心をあたたかくすることだったんだと思います!笑
冷たいところから、あたたかいところまで、
ことばではしごをかけて、上り下りができるようになることが
一つ目的だった気がします。
ただ、その“ことば”に過敏になりすぎて、
アレルギーになってしまっていることに最近気が付きました。
一つ一つの発言に対して、
「どのことばの真意は?」
「それはどういう意味で言っているの?」
と必要以上に深く、重箱の隅をつつくように探る癖が
ついてしまっていたことに気が付きました。
相手の話を聴く上で、本当に大切なのは、
その“ことば”そのものではなく、
その“ことば”で表現された相手の、こちらに向けられた心
であるはずなのに・・・
“ことば”の向こうの心を受け取るという心を
失いかけていたことにも気が付きました。
相変わらず、どんな“ことば”が『伝わる』かというところは
こだわり続けたいと思います。
ただ、一方で、相手に対しては、その“ことば”を頭で考えるのではなく、
“ことば”の向こうの“こころ”を自分の心で感じる努力をして、
心を伝えること、受け取ることができる女性になりたいなと思います!!
道はこれから!
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
次回は、本日ともに整骨院に行ってきました!小幡さんにバトンパス!
いつもお読みいただき、ありがとうございます!