今日、大学生になってワチャワチャしてる人達は皆自我を乗り越えてるのかな。
それともまだその瞬間が来てないのかなぁ~とか
そんな事考えてた。

そしたら、
おれに自我と言うものが芽生えたのはいつだったろう・・ってね。
ハッキリとは言えないが僕が外に出始めた2011年三月、陸上を始めた5月の時点ではまだなかったと思う。
自我と言う言葉の存在を知り、それまで自分が背負ってきた抱えきれない重みがそれだったのだと初めて認識したのは受験勉強を本格的に始めた2013年4月だった。
その頃はまだ漠然とした印象でしかなかったが、現代文を読んでいるうちにハッキリしたものになって行った。





・・・・
書きながら一つ浮かんだ思い出がある。
もしかしたら、これが始まりかもしれない。



大会に行き、帰ろうとしたとき「帰っちゃった?」とメールが来た。
その時既に電車に乗っていた。


迷った。
自分は凄く会いに行きたい。
けど、相手はそんな気はないだろう。
けど、この文面が本位であるならば相手は悲しむだろう。
そんな想いと考えがそれまでの三年間になかった程の速度で脳内を渦巻いた。
そして、最終的に「今から行く」とメールで送り電車を乗り換えた。
駅への約10分間の間、「本気でなければ確実に嫌われるだろう。」と言う少しの後悔と「この選択は自分にとって正解だったのか」と言う迷いが渦巻いていた。
駅に着きダッシュで競技場まで行き、彼女とその集団を見て「間違いだった」とわかった。
そのあとの時間はとてつもなく長く途方も無い程苦しかった。


それまで「会いたい」「話したい」と言う本能によってしか行動してこなかった自分は恐らくあれ程「自分」について考えたことは無かっただろう。


それ以降は、常に「何か」さいなまれ言葉にできない「自分」への怒りを只管にmixiの日記に書いた。


気が付いたら、その怒りを罪滅ぼしによって解消しようとしていた。
しかし、それがまた自分を苦しめた。


彼女は僕に何かを相談したがっていた。
けど、それはそれまで彼女が僕にしてきてくれていたものとは異なる
「彼女にはどうする事も出来ない」ものを兎に角吐露したいのだとすぐにわかった。
そして、彼女は何度も吐き出そうと試みてくれたが全くと言っていい程叶わなかった。
それに対して何もできなかった自分にどうしようもない程悲しくなって、
何もできない自分について考える日々が続いた。


その間彼女が何について苦しんでいるのかも解らないまま、「何か出来ないか」を考え自分になりに手助けをしようとしていた。
どうしようもないのに、どうにかしようとして自分を追い込んで、
発散するかの如く彼女に対して応援のメールを送っていた。


時には曲を紹介してみた事もあった。


その頃僕は完全に病んでいた。
相手が喜んでいるかどうかも解らない答えの返って来ない自分本位のメールを送り付け、そんな自分への怒りと相手への不安を吐き出せず抱え込んで口を閉ざしたまま日々を過ごした。


そんな日が続いた2012年一月。
恐らく全日制の大会に出ることが不可能になるであろう大怪我をした。
更に重みが重なり、もう潰れてしまいそうになった。


なんとか持ち堪えながら迎えた2012年三月。
お世話になっていた気功の先生が一言
「話してごらん」と言った。
最初は口を閉ざしたままだった。
しかし、おじさんは何度も何度も寄り添うように「話してごらん」と言って説得してくれた。
積もり積もったものが詰まりそうな涙と一緒に少しずつ吐き出た。
「そっか、よく我慢したね」というおじさんの言葉は何よりもの救いだった。


怪我が治った後、長い間本気で走れなかったのは
きっと怪我が怖かったって事だけでは無かったんだと思う。








まぁ・・・・
そんな感じで嫌われるような事を沢山してきたと思うし、
沢山傷つけたと思う。
僕にとっても整理がつくまで、そのどれもがトラウマだった。


けど間違いなくこれが今の自分とその「自我」を作り上げていったんだと思う。
今の自分にとって無くてはならない時間だったと思う。


話逸れまくった?けど・・
まぁそんな感じw


頑張らなくちゃな!頑張ろう!


こんなに感傷的でない状態で過去の事について考えたのは初めて!!!!!!

文が変だったりしたら教えて!!!!