喋り | 勇登 OFFICIAL BLOG

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関西拠点のダンスパフォーマー DANCER 勇登のOFFICIAL BLOGです。

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昨日のドイツクリスマスマーケットの三回目のパフォーマンスで完全に喉を潰してしまいました。

病み上がりのコンディションと言うのもあってか、今現在ほぼ会話が出来ない状態まできてます。
いつもはここまでひどくならないんですが、、、。

パフォーマンスの終了後は、
せめて!僕のパフォーマンスにとっては「要」と言っても過言ではない『声』と言う武器を失う事で、
さらに何か考え方を一個上に押し上げれないものかと考えながらの帰宅となりました。

転んでもただじゃ起きません。



運が良いのか悪いのか、喉が痛すぎて眠りも浅く、珍しくこんな早い時間に目が覚めてしまったのも何かの縁。
久々にブログにつらつらと自分の思いなんかを書き綴ろうと思います。



ベッドにノートPCを持ち込んで半身だけ身を起こして執筆する様は、
さながら入院患者の遺書製作にも見える、若干不味い絵面ではありますが。笑






まずは昨日のパフォーマンスを振り返って。

今回1~2回目のパフォーマンスでは普段通りの声での実地。
そして、喉を痛めた三回目序盤からは高音が出ないため、低めの声での実地になりました。

そこで気づいたのは
「声の質によって同じ台詞でも内容がここまでかわるのか」
と言う実感でした。

これまでにも「この人にこの台詞はマッチしない」とか「この人とこの台詞は相性が悪い」とか
いろいろ考えた事はありましたが、
それは個々人のもつキャラクターによるものであると認識していました。
「この人のキャラじゃないから似合わない。」というように自分の中で結論づけて、そこから深く考えようとはしなかった。
が、どーやらそれだけではないっぽいぞと。

印象としては、
高い声だとひょうきんさや、陽気さの誇張の効果があり、早口に相性が良い。
逆に低い声だと貫禄・説得力・渋さの誇張の効果があり、ゆっくり喋るとよりその効果は増す。


ざっとこんな感じでしょうか。


僕の場合はもちろん前者のパターン、高い声を多様していたようです。

なぜ「~していたようです。」と知らなかった調で書いたかと言いますと、
昨日の三回目までそこまでの自覚が無かったからです。

もちろん自分の声質が高いのは流石に重々承知でしたし、
若い頃はその事にコンプレックスを抱いていた時期もあったくらいです。
(今思えばどーでもいい悩みですが。。。若いときの自分に会ったら説教してやりたい)

ただ、今回の三回目。
この回で愕然としましたね。
自分がいつも喋ってる、まったく気にしていなかった部分でも、
声が出なかった=高い音を普段から無意識的に出していた事がわかりました。

正直演技中は、「え!この声も出ーへんのか!」と、かなりの衝撃を受けました。

当然そうなると、いつもよりは若干低めの、所謂「安定して出せる声」でいつもの台詞を言う事になります。
そうなるといつもの定番の台詞なのに、
今からやろうとしている技のテンションと噛み合っていない!
と言う風に自分の実感としては感じてしまったのです。

まったく持っておそろしい。
声の一つ変わるだけで、自分が積み上げてきたパフォーマンスのプログラムはかくも簡単に崩れ去るのかと。
目からウロコとはこの事でしょうか。

もちろんそれを持ちかえす技術力でねじ伏せたり、その低い声でも上手い事盛り上げるような、
実力派のパフォーマーさんは全国各地たくさんいらっしゃるでしょうし、
喉を潰すなんてそんな珍しい事でもないし、そうゆう時用のShowをもうひとつ用意しろ!と言われればほんと言い返す言葉もないんですが、、、。


でもね、想像してみてくださいよ。
僕のパフォーマンスは「超盛り上げのみ特化タイプ」です。
(↑あ、ちなみにこれ今勝手に自分で付けて勝手にそう呼んでるだけです。異論は認める。
こののみは重用です。

「みなさん盛り上がってますかー↑」「イエー↑」

、、的な、
所謂コール&レスポンスを最重要視する僕のパフォーマンスでね、
いきなり低い声で渋くこの掛け合いやられたらどうですか?
ためしに矢印の方向を逆にしてみましょうか。
こうなります。

「みなさん盛り上がってますかー↓」「イエー↓」


、、、。

うん。絶っっっ対に盛り上がってるはずがない。
もしこんなテンションでやってるイベントがあればほぼ例外無く地雷でしょうこれ。

まあこれは誇張しまくった話ですがね。
でも決して考え方としては方向性はそれほど間違ってないはずだと思います。

まあこのままだと
「生まれた瞬間に持った声質で、自分に合うパフォーマンスの内容は制限されてしまう」
と言う世にも恐ろしい仮説が生まれてしまうので、
全部が全部そーってわけでもないだろーくらいなもんですし。


でもでも、
誰もが意識的か無意識的かはわからないですが、声の出し方・ハリ方・高弟を使い分けてます。
もちろんそれを実体験のイメージだけでも十分活用出来るのですが、
その内容を論理的にしっかり落とし込む事が出来れば、
さらに一歩先に進めるかもしれない。。。

、、、と言う結論に僕は至りました。
ま、今後の研究課題が一つ増えましたね。

とにかく今後、喉を痛めてしまった際にはどう演じるのか。。
これは今後つきまとう課題になりそうです。


その前に今のこの喉も治さないとな。笑






・・・だいぶ長い文章書いてしまいましたね。
とりあえず今日はこんなトコにしておきましょうか。
また暇が出来てタイミングがあって、そんとき思いついた話があれば書きますー。




他にもですねー、今日はほんといろいろ深く考えれて、
・「ストリートダンスにおけるリズム取りのアップ&ダウン表現」と「声の高低がもたらす影響の類似点」
とか
・「大道芸ノウハウだけの所謂『上手い喋り』では喉問題の根本的解決は無いのでは?説」
とか
・「コミュニケーションとしての会話の喋りとナレーションとしての装置としての喋りの両立のバランス」

とかいろいろ考えておりました。
それぞれに持論がえらい積もってます。
ただやっぱ文章に起こすのはしんどいので、誰か酒の席で聞いてやってください。


あーあとこんな長文まじめに長ったらしく書きましたが、
ふとちょっと思った事を、たまには真面目気味にちょちょっと書いてみよう!ってのが出発点で書いたエントリーですので、ガチの指摘とかは間違い探しとかはお手やらかにお願い致します。^^




あー、いつかラジオやりたいな。笑