先日、アドラーの心理学を紹介しました。
アドラーの心理学を、個人心理学と訳すると、意味がよくわからなくなりますが、元の英語のインディビュディアルとは、個々に根ざしたという意味合いの言葉です。

心理学を訳すると、多く言葉の壁が生じてきます。訳をすることで微妙なズレが出てしまいます。
 
心の在り方というのは、極めて個人差があり、それぞれ皆違い、ひとつとして同じものはありません。それぞれ、個々の人の有様は、その人特有なものです。心理学が難しい理由です。
 
これは他の人体機能にも相通じるもので、声一つとっても、同じ声の人はいません。まして、人の脳の中となると、さらに個別で複雑です。その人自身でも、心は常に変化しています。
 
アドラーは、人の心をうまく制御させるには、その人特有の心のあり方によることを言いたかったのではないでしょうか?
 
さて、脳科学の課題に戻ります。
 
細胞が働く時には、能動的なものと、受動的なものがあります。
 
能動的とは、細胞内でエネルギーを生み出して、活動が起きる場合を言います。例えば、神経細胞に電気が伝わるためには、細胞の膜が積極的にナトリウムを外に出し、カリウムをとりいれているのです。これに対し、受動的というのは、細胞の外の浸透圧が高いと、そちらに細胞内の水分が吸い取られていく現象を言います。
 
不安、恐怖などは、脳内にいつまでも残らないように、積極的に忘れる能動的な働きが起きます。しかし、PTSDなどは、これがうまく働かず、むしろ高まってしまうのです。そうしたメカニズムの解明と治療を人々は求めています。
 
世界中で、恐怖を忘れるためのメカニズムについての研究が進んでいます。

不安神経症などの治療を目的として、いろいろなタイプの人体実験がやられていることを、前回ブログで紹介しました。
 
扁桃体でまず感じた不安・恐怖は、さらに脳内に広がります。次の反応するのは、ACC(Anterior Cingulate Cortex 前部帯状回)や「島」と呼ばれる部分で、大脳皮質との連絡路に当たります。
 
前頭葉の「ACC」(前部帯状回)という部位があり、運動系や前頭眼野とも接続している部分で、学習など、特別な努力を必要とする課題に関係していると考えられています。つまり、この部分は、体験した恐怖を忘れる作業にも関連している可能性があります。
 
脳には、エクスティンクション(消滅、消退)という、恐怖を忘れるための機序があります。
 
そうした論文をレビューした2009;4:e5865 PLOS ONEを紹介します。
 
2008年より、信頼できる論文を46編を選んで、レビューしています。健康人を対象(被検者)に、恐怖の条件付け実験をします。
 
恐怖付けは、意味のない無害な刺激を、最初、被検者にまず与えます。たとえば、数字や形などを見せます。
 
次に引き続き、苦痛を伴う刺激、例えば、手に電気刺激、視覚刺激(嫌なもの見る、人の顔の表情)、聴覚刺激(不快な音、叫び声を聞かせる)などの不快で有害な刺激を続けます。最初は、無害刺激と有害刺激を、セットで連続させて、被検者に与えて、被検者を、恐怖の条件付けの状態とします。
 
被検者は、なんでもない刺激でも、次にいやなものがくるぞ!と感じて、恐怖を感じるようになります。
 
しかし、無害と有害刺激のセット率を高率にするか、低率にするかなど、論文ごとに用いた手法が異なります。
 
しかし、恐怖実験において、異なる条件付けをすると、得られた結果が論文ごとに異なりました。つまり、脳内電気が異なる回路をとり、活性化の経路はばらつきがみられました。

 
こうした条件つけの手法の違いは、脳内活性部位が違った結果を生む実験結果となりました。
 
得られた人体実験の結果は、論文ごとに、条件付けの手法がかなり異なってはいたものの、恐怖の条件付けにおいて、脳内で活性化した部位は、まず扁桃体と、ACCや島の活性化でした。
 
しかし、恐怖実験において、異なる条件付けをすると、論文ごとに、脳内電気が異なる回路をとり、活性化の経路はばらつきがみられました。
 
実験によっては、無害な刺激と有害が刺激の時間を遅らせると、海馬の強い活性化が起きると報告するものもありました。
 
有害刺激として、電気刺激を用いたりすると、大脳知覚野の活性化が観察されました。
 
恐怖を条件付けた後に、その後に、有害刺激を無くして、無害刺激のみを続けると、人は恐怖を感じなくなりました。これは、学習能力の獲得でした。
 
又、無害刺激と有害刺激を必ずペアにして与え続けると、恐怖反応に慣れが生じてきて、恐怖を感じる程度が軽快してくる現象が観察できました。
 
一方、不規則に有害刺激を混ぜると、無害刺激を与えた時の恐怖反応が高まることが観察されました。
 
これは、人の脳は、実際の恐怖を感じるより、恐怖を予知することの方が、脳の負担が大きくなる事を予想させるものでした。