「この心中めいたレースから降ろさせてくれ」と唄った人がいた。
本当に本当にそういう社会だと思う。
そういう世界から逃げ出して今ここに居るけど、幸せな毎日を送れていると実感している。
この歌を聴いた時に、俺のやったことは何も間違いじゃなかったんだと知ることができた。
ニーズや売り上げや情報から完全に逃げる事は難しいと思うけど、其れが全てではないって信じて欲しい。
俺、以前は本当に動物的に生きていて、生産性も低く、価値の少ない人間だったと思う。
けど、その時の方が凄く創造的で、人の気持ちに寄り添おうとしていて、自分のしている事に疑いなく、自信に満ち溢れていたと思う。
ニーズや売り上げにならない、輝けるものを手にしてたんだと思う。
そういや、価値のない価値とも唄ってたな。
実社会で生きていくにはそれと正反対の事を覚えなきゃいけない。
必死で覚えたよ、生きてたいから。
なんとか、やり甲斐のある仕事にもつけて、家庭も持って、軌道に乗り始めてきた。
そこで改めてこう思うんだ。
みんな答えを出そうとし過ぎ。
みんな数量を求めようとし過ぎ。
コンピュータが発達し過ぎて人がコンピュータみたいになってるんじゃないだろうかとも思う。
明確な答えのないものを「無価値」と決め込んで、自分のしたい筈の事から逃げ回ってる。
ニーズがないから、金にならないから。
自分が自分でいられる瞬間ってなんだ?
俺は自分の音を出すとき。
そう言い切れる。
そして自分の音を出すには、自分の好きな生き方をしてる事が大事なんだ。
もちろん、今の生活が幸せでしかたない。
誰かのためじゃない、金の為でもない、自分の為の生き方なんだ。
もっと求めよう。
もっと、声にならない声をあげよう。
答えにならない問いを投げ掛けよう。
どれも無駄じゃないよ。
答えなんて要らないんだ。
悩まない事が正しいんじゃないんだ。
会社で提案出来ないから意味がないんじゃない。
社会の役に立ってないから意味がないんじゃない。
自分の音じゃない。それがいけないんだ。
だから、自分の音を持とう。
自分の音を鳴らそう。
誰も傷つかなきゃ、方法はなんだっていい。
反響だってなくていい。
ただ、鳴らそう。
誰かに届けばそれは嬉しい奇跡だ。
いつも心に音楽を
もう2度と離れるような事はしたくない。
当たり前に起こる切なさを押し込んで、ここに戻ってきた。
もう、感情に背くような事はしたくない。
あの時考えたことは間違ってなかったんだって。
ここだって素敵な所だって。
でも、1度関わったことを忘れる事は出来ないから、ちょっと重荷に思っている。
せめて、無駄にならないように。
せめて、無駄にならないように。
街の一部になるのは本当に居心地が悪い。
締めなれてないネクタイみたいだ。
さあ、気分を切り替えて、深呼吸してなんてありきたりな気分転換で変わる事じゃ無い。
だから、ここに綴ることにするよ。
1度関わったことを忘れる事は出来ないから、ちょっと重荷に思っている。
せめて、無駄にならないように。
せめて、無駄にならないように。
いつも心に音楽を
仕事のペースが掴める様になって来た3年目。
思えば職が落ち着いた30歳を機に創造性を取り戻して来たと思う。
あの時に持ってた感覚、特に言葉に関しての特異な感覚はもうカケラしか残ってないけど、残ったカケラとこれから手に入れるものがある。
次に進むうちに思い出すかもしれない。
とにかく、放つ。
自分のペースで
来年はそれが音楽的な目標です。
いつも心に音楽を
今までその思想に憧れてるだけで、深くは触れて来なかったイアン・マッケイ。
きっかけがあって、今日、インタビューを読み漁っていた。
音楽シーン、レーベルの有り様、音楽そのものについて、、、
今までモヤモヤしてたものがはっきりした。
これをキッカケに「イアン最高!」「ストレートエッジ万歳」「ディスコーダントにやろう!!」とは正直思わない。
こんな大きな線路に乗るのはゴメンだし、何しろ真似だけはしたくない。
でも、シーンが無いなら作ろう!というスピリットに素直に突き動かされたいと思う。
音楽は売るためのものじゃなくて、ただ、創られるものだ。
いつも心に音楽を