書くことについて所感を述べたくなったので更新。
実はこれ下書き状態でこねこね
していましたが……
もう寝かせても腐るだけな気がするのでこれ以上は余計なコトせず潔く公開します![]()
さてはて、先々週に図書館で巡り会えた本がすごい共感と学びに満ちておりまして。
個人的に感じたことをまとめつつアウトプットしていきますね。
借りた本はこちらです![]()
『働きながら書く人の文章教室』 著:小関 智弘
本書には感銘を受けまして。強くプッシュする所存であります![]()
読了後すぐ「これは手元に残さねば!」とすぐさまネットで注文するくらい情熱を駆り立てられましたからね。
絶版ゆえ、古本でしか購入手段がないのが残念![]()
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でも、本当に出会えてよかったと思える本です。
手に取ったきっかけ含めて【巡り合わせ】なのではと感じています![]()
本棚が逼迫されている現状ですが、読んで心を震わすほどの書籍は確保せねばなりません。
手元に残したい、何度でも読み返したいと思える本に出会えることは喜びでしかないですもの。
今回はそんな本
について語っていきます。
思わぬ「出会い」
さて、本書の紹介に入る前に。
軽くですが、本との出会いをお話しましょうか![]()
実はですね、本書は“拾った”んです。
意味がよくわからないでしょう。
私自身「一体何を口走っているのやら……」と思っていますもの![]()
説明させていただきたい。それもなるべく簡潔に。
そう、出会いは先々週。図書館に来訪し、本を探していた時……
小説、脚本の指南書やらの棚で気になった本を手に取ろうとした際に“それ”は起きました。
棚から取る時の勢いか、並びのバランスが崩れたせいかはわかりませんが、突如この本が落ちて来たんです。
あ、と足元に目をやって表紙が目に付いたのが最初の出会い。
ですが、話はこれだけでは終わらない![]()
まさかのですよ? 偶然近くにいらしたご老人が拾ってくださいまして。
「落ちましたよ」とお渡しいただいて。
自然と私の手に納まったんですわ。
その時に改めて本書のタイトルを見て何故かスパーク
するものがあり。
「これも何かの導きかも? とりあえず読んでみようかな」![]()
くらいの気持ちで借りたのですが。
読んでみたらもう大当たりでして![]()
色々と自分のモヤモヤを晴らしてくれる良書でした。
まあ“拾った”というか“拾われた”が正しいような気もしますが![]()
ともかく、そんな出会いでした。不思議なものです。
なんでしょうね。来るべくして来たと言うのでしょうか……?
前回スピリチュアルな話をしましたが、今回もそれ??
そんなわけで、本が落ちてくる出来事について調べてみたところ。
「棚から本が落ちてくる」……読んでもらいたい内容がある。
・今の自分に必要な情報、伝えたいメッセージがその本に込められている。
・今悩んでいる、困っていることに対して解決のためのヒントが隠されている。
とのことでした。
ちょっと感心しましたよ
まさに本に記されている内容にはヒントだらけでしたので。
その他、本以外にも「棚(それか上)から物が落ちてくる」というのは天使(あるいは守護霊)からのメッセージなんだそうです![]()
落ちた物によって意味合いが異なるようですがね。
こういうの調べてみると面白いですね。
“こじつけ”だと一蹴する人もいるかもしれませんが、まあ信じるか信じないかはその人次第ですよ、ええ![]()
はい、出会いのお話はここまで。ここから本書を読んで感じたことを引用頼りに進行しますよ。
本書を読んで響いた一文たちを紹介(ほぼ引用)
ここからはひたすら響いた一文を引用しつつ、この本が教えてくれたこと、感じた気持ちを綴ります。
※順不同
「まずは書いてみろ、あとは手が教えてくれる」
「どんな仕事であれ人は労働を通じてさまざまな人生を学ぶことができる。そこで学んで深めた感性が、豊かな表現を生むのである」
恐らく本書で何より伝えたいことはこれでしょう。ずしりと胸に響き、受け止めました。
まずは書いてみること。すべてはそこから。そこからは手に委ねること。
結局物書きは書いてナンボなわけですよ。
どこに辿り着くかなんて最終的には手が導いてくれる……
そういうことなんでしょうね。
後者はとても深みのあるお言葉で頷くことしかできませんでした。
その仕事、環境だからこそ見えてくるもの、吸収できたものってありますよね。
まだまだ経験が浅いゆえ本書で語られている仕事論や思想に理解が追いついておりませんが、この本はこの人にしか書けない。
そう納得させるだけの力量が確かにありました。
著者様の労働に関する考え方にはただただ敬服するばかりです。
私は労働に関してここまで向き合ったことがないのでお恥ずかしい。
そんな私は働くことは
「人間らしく生きるため」
と考えていたのですが。
今はそれもよくわからなくなっています。
過去に出会った人達の中には働く理由を
「遊ぶ金欲しさ」
「家にこもっていてもよくないから」
なんて答えていた方もいました。
でも今ならそれもひとつの答えなんだよな……とわかります。
働き方のスタイルは勿論個々の自由ですし。
アルバイトだから、派遣だからとかそんな外野が余計な口を出すことじゃなくて。
本人がそれが肌に合うと言うならそれでいいと思います。
それこそフリーランスになるのも自由。
アウトローな仕事が楽しい、適性があるなら大いに結構ですわ。
「誰かがやらねばならない仕事」ってあるわけですから。
結局は生きるために働く。単純な話です。
それに「働かない」って選択肢もありますからね。
(不労所得やら色々な制度やらでやり方は多数ありますし)
私個人としては別に働いていないことを悪と思ってはいませんし。
その人なりの「役割」を全うすればそれでよいと思うのですがね。
けれども働いていないと罪人
みたいな扱いをしてくる人がいるのは世知辛いものです![]()
諸事情により労働が難しい方もいらっしゃいますし、もっと優しさで溢れる世界になればいいのにな……
なんて夢物語を今も考えています![]()
…………思いっきり脱線している気がする![]()
まあ、つまるところどんなものでも悩みや壁にぶち当たったらどこかでちゃんと自分なりの答えを出さないと駄目なんですよね。
まさかここで新たな課題を突きつけられるとは思いませんでした。
私なりの「労働」と仕事の適性やこれから何を生業にしていくかを探して決めないといけない。そんな気がします![]()
(自分でも書いていて意味わかんないので引用に戻します)
気に入った文章があったら、原稿用紙に筆写してみるのも勉強のひとつ
勉強法のひとつとして間違いないと思います。
模写することで書く習慣を身につけることにもなりますし。
自分なりに心地よいリズムを発見することにも繋がりますから。
そのことに執着出来るかどうか。絵を描く才能も、音楽の才能も、旋盤工の才能もそれに尽きる。
「好きこそ物の上手なれ」ですね。
でもやはりですが、そこに情熱を燃やせるかというのは重要だと思います。
「三日書かないと書かなくなる」とも言いますし。
文章を書くという作業は孤独だけれど、書いたものについて語り合える仲間を持つことがあったから、わたしはひとりよがりから救われた。少なくともわたしの場合には、書くという作業は孤独であったけれど、自分の作品や既存の作家の作品を、合評会や読書会という形式を借りて、“語り合う”というもうひとつの表現方法を仲間たちと共有できたから、書き続けることが可能だった。
これは個人的に本書で一番共鳴し、救われた一文です。
創作関連でスクールに通っているのですが、まさにこの通り、救われています。
“語り合う“という表現方法が合う人はこれで飛躍的に伸びるというか、一皮剥けると感じています。
実際、その場での生の感想もですが、それぞれの悩みや書くことに対するスタイルから学ばされることも多くて。
その人の持つ世界や着眼点からくる意見のおかげで作品がより洗練されていくことも多々あり、いつもスクールに行くのが楽しみでしょうがないです。
「読書は、読む側のこちらがなにを求めるかに応じて、向こうから立ち現れてくるものとの出会いである」
今までこのような考えはありませんでした。
「知りたいことがあるから読む」
それだけで読んでいたのですが、これからは読むときはまず、その本になにを求めるかを決めてから挑みたいと思います![]()
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「こちらが求心力を持って読むと、読書はそのように拡がりをみせ、読む者の心を豊かにしてくれるのである」
今まで求心力を持たずに読んでいたことを恥じるばかりです。
これからは具体的に何を知りたいのか? どういった内容を求めているのか? これらを明確にし、知識に対して貪欲に、正直にありたいです。
「文章を書くのに捨て書きはとても重要だと思う」
暗誦の訓練になるとのことですが、メモを取る習慣と瞬発力を磨くというのは頷くばかりです。
結局人間は忘れてしまう生き物。折角の閃きも頭から抜け落ちてしまうもの。
メモを残しておかないと後になって悔やむばかりなんですよね。
「旋盤の前に立ったときの目の高さから見えるものだけ書け」
資料は探せば山ほどある。その資料の山からなにを選び、なにを捨てるかの判断基準を、旋盤の前に立ったときの私の目の高さから見えるものに限ることができなかったら、『大森界隈職人往来』を四五〇枚で書き上げることなど、とうてい不可能であった。
資料の内容の豊かさに溺れて途方に書けなくなるといった悩み、立ちはだかる壁に対する解決策が参考になりました。
視点の切り替えの重要性は仰る通りでございます。
創作でも神の視点で動かすな、キャラと同じ目線で……
と指摘されたことがありますが、恐らくこれが解答なのだと思います。
ノンフィクションだから、事実をありのまま羅列すればいい、というものではない。事実を、イメージ豊かに読者に伝えるには、事実を肉付けする豊富なエピソードが必要である。
ノンフィクション、ルポタージュの心構え、矜持、作法も学びしかありません。
取材の重要さもですが、事実だけを書き綴ると今度はドキュメンタリーになってしまうんですよね。
エピソードで肉付けをし、血を通わせることに関しては作家の腕の見せ所ですね。
「作品は、作者の手を離れたらひとり歩きする」
これもその通りで。ジャンルが何であれ発表し、手放したら後は親として見守るだけなんですよね。
手放す勇気を持たないといけないんですよね。
他人を語ることは、自分を語ることである。自分というフィルターを通してしか、他人を語ることはできないのだから、それは当然のことである。
これはよくよく考えれば当然なことなのですが。
本書を読むまで、自身のフィルターの存在を忘れておりました。
どんなものでも自分というフィルターを通しているし、仮に誤解や曲解することがあっても、その原因は自分自身にあるんですよね。
わたし自身しばしば取材される側に立つ。
相手の質問に答えて一生懸命に話したつもりでも、書かれたものを読むと、「こんなの俺じゃないよ」と不満を抱くことがよくある。
雑談のなかでふと漏らした与太話がまるで私を象徴するかのごとく書かれたり、わたしにはさして重要なことではなかったことが、わたしの人生の岐路ででもあったかのごとく書かれて、こちらが戸惑う。
今までの人生において学生時代、職場、SNSと場を問わず勝手に根も葉もないことを囁かれたり、気づくとイメージが一人歩きしていたり、いつの間にか話が仕上がっていて一方的になじられたりすることがありましたが。
やはり避けられない出来事なのですね。
これもフィルターのことがあるでしょうが、何を拾い、何を捨てるかという判断は当然ながらその人次第なのでしょうな。
同じ言葉でも受け取り方はもちろん、そもそもの認識が異なるというのもあるのでしょうがね。
このフィルター関連についてはおかげでちょっと吹っ切れた部分があります。
別に悪いことばかりでもないんですよね。
フィルターを通すことは勿論ですが、どの角度から見るかもその人の自由というか、その人が持つ世界ゆえですし。
そのおかげで自分では気づけなかった自分を知ることにもなりますし。
どの角度からなら自分を一番よく見せることが出来るのかを考えるきっかけにもなりますからね。
別に自分のことを万人にわかってもらおうなんて思っていませんでしたが、どのような形であれ、自分らしさを、自分の色を出すことができればもうそれでいいや、と思えました![]()
世話焼き気質やお人好しを演じているつもりはなくとも、自然と出ちゃう、そう思わせちゃうならそれが自分なんでしょうし。
良い方向に受け取られて、自分のことを評価してくれるなら余計な謙遜はせずに素直に受け止めてもいいかな、と思えました。
これからも自分ができることをしていこうと思います。
最終的に自分語り、セルフカウンセリングみたいになってしまった![]()
これだけ自問自答することになろうとは。
この本を読むことが出来て幸せです。
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以上、引用と感想でした。
共感と学びは勿論のこと、とにかく圧倒されました。
正直、私は本書で著者様が訴えかけていることの半分も理解できていないと思います。
見出しのひとつに「書き手のフィルター」と言うものがありましたが、受け取り方は完全に私というフィルターを通して見たものとなっていることは間違いないでしょう。
ですので私の勝手な所感を読んでもなんのこっちゃ? ってなるでしょう。すみません。
そういうことなので是非、本書は皆様自身でお読みください。読む価値があると私は断言できます。
これみよがしにリンク貼っておきます![]()
この一冊と巡り会えたことに心から感謝を。
締めの言葉が思いつかないのですが、いつもので終わりとします。
乱文で本当に申し訳ない。
ではでは![]()


























