3年前 | ドリブる息子とオヤジの日々

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サッカー少年の息子とオヤジの日々

3年前の手記



俺が年長の時から19になるまでの14年間
親父は和歌山の実家に帰る事がなかった。

14年ぶりに会ったばあちゃんは、小さくて、笑顔が可愛くて、優しかった。

会うまでは、14年分の空白が、ばあちゃんと俺の間に距離を生む事かないかと心配もしていたが、どれだけ月日が経っても、ばあちゃんはばあちゃんなんだなと思った。

ばあちゃんが用意してくれるごはん。何食ってもめちゃめちゃ美味かった。めちゃめちゃ田舎でスーパーなんてないんで、目の前の川で取れた鮎の塩焼きとかもよく出してくれて美味かったけど、1番美味しかったのは大根の葉っぱの浅漬けだった。

浅漬けだけで朝から何杯もご飯食った。

それから毎年和歌山に帰るたびに感じていた。和歌山の食べ物が自分には合っているというか、身体の芯から美味いと感じていること

俺の身体の中には親父やばあちゃん、じいちゃんと同じ、和歌山の遺伝子やら魂が息づいているんだなと、自然と思うようになった。

親父は和歌山の事をとても大切に思っていて、和歌山の人間である事に自尊心が強かった。何回か和歌山に帰っていくうちに、俺も和歌山の人間であることの自尊心が芽生えてきた。

ばあちゃんや、ばあちゃんと一緒に住んでいる叔父、その里に住む人たちに特別な繋がりを感じるようになった

親父が和歌山に帰る体力がもうないと言い始めたので、俺が親父の分までって思って、俺の家族を連れて帰るようにした。年に一回、施設に入ったばあちゃんの顔見て、親類のところに挨拶にいったり。

ばあちゃん段々俺のことも分かんなくなってきたけど、父ちゃんの代わりだったんでそれでも良かった。

2年前に父ちゃん死んだけど、その事は伝えていない。去年はもう父ちゃんの息子って言っても分かってなかった。

ばあちゃんが死んだと連絡があって、そんなに沢山の思い出がある訳ではないけど、やっぱり悲しくて、胸がヒリヒリして涙が出た

色んな事を思い出しながら葬式に向かった。

車で夜通し走って、朝ばあちゃんちについたら、もうばあちゃんは火葬されていてお骨になっていた。

ばあちゃんは再婚して久保家から栗山家になっていて
俺は1番後ろのあたりに座っていた。司会者みたいな人が弔辞を読みおえたらその弔辞やら電報を俺に渡すので、前に持っててくれと頼まれたから。内心「え、俺?遥々広島から来た孫なんだけど」と思いつつ「あ、イイっすよ」と引き受けた。

一応孫だからもう少し前に座るんかなと思ってたけど、なんか仲間が葬るみたいな、そんなノリに薄っすら勘づき始めた。

俺なりに色々イメージして、最後の別れをって思ってその場に向かったんだけど。。。


なんか、俺が思っていたばあちゃんの姿とか、そんな思いまで、もしかしたら俺が一方的に思い描いていた虚像だったんのかみたいな。ばあちゃんはこうやってこの世に別れを告げて、仲間ではない俺は、1番後ろで電報運びで貢献したまでよ。

思っていた別れと違って、感情の行き先も失ったまま帰路につきましたが、父ちゃん、俺、父ちゃんの息子で良かったわ

この感性。父ちゃんから引き継いだんだと分かった。これからもこの感性と大切に付き合っていきます。

という長い話ですんません。



あれから3年かー
また、和歌山に帰りたい。



つづく