たった一度、ほとんどすれ違い様に近いそれでもどこか運命を感じるような一瞬がある。

私達は毎日誰かとどこかで出会い、そしてすれ違うという行為を何回、いや、何万回と繰り返していることだろう。
どんなに一瞬の出会いであろうと、それがどれだけときめきを生もうとその”一瞬”は文字通りはかなく、次に繋がることはほとんどない。

いつかどこかの学説によるとその出会い(お互いに思わずシンパシーを感じてしまうような不思議なもの)には必ず続きがあり、何年か、あるいは何十年かの時を経て繋がる可能性が高いという。

それはあまりにファンタジックでロマンチストじみた言い方に聞こえるが、しかしそう思って別れるのはなかなかに味なもの、と言えるのではないだろうか。

ときに出会いはスライディングドアのように、意識とは別に新しい機会をつれてくる。それが本当の一期一会と言われるほどに濃厚かどうかは、心構えか、あるいは強烈な運命でもなければ難しいには違いない。しかし前述したように、いついかなる場合にその出会いが訪れるかというのがわからないのであれば、いつでもそれに備えていたいものである。

以前、新宿にあるデパートの化粧品カウンターに勤めていたときのこと。
大勢の人達と触れ合う機会があり、それはもう多国籍で、有名無名とかなりの人と顔を合わせた。商品紹介だけの人もいれば、雑談に終わる人。真剣に綺麗であることと向き合う人もいれば、生き方のスパイスに当たり前に寄り添っているような人も。

そこで感じたのは、来店するほとんどの人は美意識、または生活意識が相当高く、凛とした雰囲気を携えていることである。それは同じように働く側にも存在し、お互いが高い意識のもとで話し合う時間は、ほんのひとときであれ実に濃厚であった。感受性を刺激されて、また明日から頑張ろうと思える活力を得ることも一度や二度では終わらない。

たかだが一瞬の出会いでありながら、それだけのエネルギーを受け取ることの出来る関係は、多くはないけれどもどこかには、ある。すぐそばで回転し続けるドアの向こう側でそんなエネルギーを感じることがあったら、心からその出会いを喜び、少なからず吸収して新しいエネルギーにかえたいと思う。そうすることが、また別な誰かにつながることと、信じているからである。

あなたも、今日出会う様々な人々を意識して見てみよう。もしかしたら運命の”エネルギー”が存在するかもしれないのだから。