もくもくと本を読む。黙々とインプットしてばかり。私って本を読んでばかりで何もないなって周りの人を見ていつも劣等感を感じる。かといってずっと何もせずにいたのだが、かといって自分がどうしようもなく情けなくてエッセイを書いてみることにした。
元々本は苦手だった。学生時代、ゼミの先生に耳にタコができるほど「本を読め」と言われても、課題本すらあらすじとパラパラとページをめくるだけで内容を推察して課題文を書き上げてしまうどうしようもない学生だった。先生にはバレていたと思う。
だけどそれくらい本を読みたくなかったのだ。
私を本に誘ったのはコロナだ。上京して1年目の2020年東京オリンピックの年だった。
九州の田舎から就職のために上京して、空気が肌に合わなくて孤独で毎日九州に帰りたくて泣いていた。何も食べたくなくて、口にできなくてげっそり痩せこけていた。今思うと軽い拒食症の入口に立っていたと思う。
コロナはただでさえ孤独な私をさらに社会から分断させた。実家からは「地球の歩き方 東京」の分厚い本と「Switch lite」がただ送られてきた。私は実家から「絶対に帰ってくるな」と言われていると思った。口下手な親なりの心遣いだったかもしれないが。私はゲームとかしないのに。
本当に一人ぼっちの1Kの部屋で悲しくて、急に高校3年生の冬、周りが受験勉強に追われる中教室野隅で、もくもくと本を読む男の子を思い出した。
その男の子は全員が大学受験をするという環境の中、1人早々に消防に就職を決めて暇を持て余していた。クラスのリーダーのような明るい存在でいわゆる陽キャだが、急に本を読んでみようと思ったらしい。いつも騒いでいる姿と打って変わって寡黙に本を読んでいた。
恋とか青春とかそんな感情で彼を見つめていたのではなく、思春期特有の男の子のアンバランスさというか、2面性というか、そのようなものの萌芽を見つめていたのだと思う。急にその情景を思い出した。
何を知りたくて、何を考えて、本を読んでいたんだろう。彼がどんな本を読んでいたのかは全く知らないが私も何となく本に手を伸ばしてみることにした。
当時コロナがいつ終息するのか、後遺症が残るのか、いつ九州に戻れるのか、いろんな不安が頭の中に吹聴されたが、本を読んでいるときだけは目の前の文章や読み手の思考にフォーカスされて全てを忘れた。食べ物を食べることを忘れて、食べる代わりに本を食べるように読み耽っていた。
高校3年生の冬、彼は大学進学ではなく就職を選んだ。教室で同級生は受験へ向けて首根っこ揃えて勉強に励んでいる。そんな空間に座る術がもしかしたら本を読むことにフォーカスすることだったのかもしれない。ふとそう思った。