ずっと外見てたのに空港は見あたらなかった。そもそも終点が空港と思っていた。実はこのバスは空港近くのバス亭まで行くバスでそこからさらに、サイクルリキシャや人力車に乗り換えなければいけないらしい。そっこうバスから降りて反対車線に渡りタクシーを止めて、空港に向かう。タクシーの人は当然ふっかけてきたが、すごいスピードで走ってくれた。80ルピーを払い、空港内へ。急いでチェックインを済ませる。しかしまたトラブル。。。大きい荷物はなく普通の軽いショルダーバックだけだったので機内に持ち込もうとすると、検査でアレはダメこれもダメ。急いでもどりカバンごと預けることに。テロ防止のため持ち込みは×だけど預けるのはOKである。みんなスーツケースや大きなバックパックなのに、僕だけ小さなカバンで担当の女性は「これだけ?」と目を大きく驚いている。「これだけです。(きっぱり)」
さて、バタバタ劇を乗り越え、デリー行きゲートに着くと、飛行機はやや遅れてるようで、みんなゆっくりゆっくり待っている。なんかここまで超急いできたオレは何だったの!? という感じである。インド社会は、空港はガラッと雰囲気が変わる。やはり、現在では、一流の金持ちか外人だけが使用しているという感じである。いままで見てきた庶民的雰囲気はない。この人達はどこにいたの?みたいな人達がビジネス新聞などを読んでいる。インドで見た大学の教授はこんな感じだったかな。
なにはともあれホッとした。遅れて航空会社に迷惑をかけることもなかったのでうれしかった。
さて、首都デリーに着き、成田発までの3時間を使い、デリー郊外のマーケットまでオートリキシャで走り、買い物をする。会社の人へのおみやげなども買い、街を見学して空港にもどる。まだルピーが少しあったのでペンなどを買う。しかし空港のおみやげはバカ高く店員も強気である。
そして、20:50発飛行機のチェックインを済ませ、成田行きのゲートに行くと日本人がたくさんならんでいる。けっこういるなあ。インドは、豪華に旅行することもできるし、またその逆のギャップもあまりに大きい。機内に乗ると隣に男子学生一人旅行者がいた。彼は1ヶ月くらいかけて南インドから周遊したらしい。
しばらくして、電気が消えるとインドへの思索をし、朝まで熟睡した。
日本に帰ると 胸に赤いものができる等の症状が出たが医者は疲れからでしょうということで1週間くらいで治る。出発直前に空港で旅行保険に入ったので治療費と携帯代はなんとかなる。
インド。すごかった。格差も激しかった。強烈だった。楽しかった。でもしばらくは行きたいとは思わない。でもしばらくしたら行きたくなるのかもしれない。
今 インド社会は急速に変わっている。IT化も進み成長著しい。ただ都市間と田舎との格差はあまりに激しい。びっくりする。
インド。ありがとう。総合的にインド人の人柄は好きである。人なつこいし。もちろん騙そうとしてくる人も多かったが、根っからの悪人には会わずにすんだ。ここで、包括的な真面目な文章も書きたいところだが、見栄を張らずにこれで終わることにする。
ここまで読んでくれた皆様本当に本当にありがとうございました。またドンドン世界に出て成長していきます。皆様のご多幸とご健康を祈りつつ。2007.1.6 東京より 旅行期間9・16~9・21
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。誰に聞いてもヒンディー語だ。歩いてロータリーみたいところを周ると、何人かの人に声をかけられたがみんなヒンデー、ヒンディー語だ(汗)。やっと唯一、英語のできる馬車の人が来る。少し安心。とりあえず、近くの温泉がでる泉まで行ってもらうことに。インドなのに珍しく温泉が出るらしく歴史的には釈尊も使っていたとかいないとか。
当初5分くらいで着くものだと思っていたが、着いたのは目的地のガートを離れた違うガート。ホテルを案内したかったようだが、もうこの運転手からは離れた。それでもガンジス川を見たときはとても感動した。夕方近くになっていた。川にはボートがあり、インドのオヤジが「目的地までボートで乗せていってやるよ」とのことだったが、交渉は決裂し、僕らはバラナシの街中を歩いて目的のガートまで行くことにした。フランス青年の荷物はやたらでかく頭に乗っけてたがとても重そう。小さな小路を歩いて行くと、少年が道案内をおもしろがってかって出てくれた。最初は楽しく無邪気に少年と話していたが、少年も行く途中の店の若い男たちと何か話している様子で、何か「商売」のにおいを感じた。そろそろ目的地に着くころだと思うと少年は「もっと向こうだよ」と言う。フランス青年はさらに進もうとしたが、僕は念のため果物を売ってた近くのおばあさんに聞いてみた。すると「こっちだよ」と少年と違う方向を指す。フランス青年はどうするか聞いてきたので、ばあさんの言う方に行こうというと少年と急に出てきた大人の男が「そっちは違う」と騒いだが、まさにそこが僕とフランス青年が何度も口にしてきた目的地の「ダシャーシュワメードガート」であった。僕とフランス青年はガート前でさまざまなホテルやボートなどの話しを受けたが、彼は既にこの近くにホテルを予約してるし、僕はガンジス川での行動目的を果たし今夜にでも、次の目的地に向かわなければいけなかったので、彼とはメールアドレスを交換した後にがっちりと握手を交わし別れることにした。その握手は、まるで映画のワンシーンのような、大勢の人が見守る、オレンジ色の夕日が美しいガンジス川の前のガートでの、忘れられない1コマとして僕の記憶に鮮明に残っている。