長男4歳の冬の事でした。
同居していた母に病気が発覚し、即入院になってしまいました。
この時の私は長男を育てて行く不安と母が突然倒れてしまった事でこの先どうなるのか不安で不安でたまりませんでした。
なぜ、母の事もっと気付いてあげれなかったんだろう。
母になにか障害が残ったら私のせいだ。
子供を託児所に預けながら仕事、仕事前や仕事後には母のお見舞いでこの時の私は毎日必死でした。
私が毎日バタバタしているのもあり三交代勤務の主人ともなかなか会わず会話がなくなり、溝が出来てきていました。
この時の私は母や長男のお世話、家事、仕事で自分のする事で精一杯で主人の事に目を向けれていませんでした。
久々主人と話したと思えば、
息子の事でもっと父親らしくなってと喧嘩になり、もっと話を聞いて!家庭を大事にしてと言い合いになり…
本当に辛く悲しい毎日でした。
ある日、いつもと変わらず息子と2人で夜ご飯を食べている時、ふと涙がポロリポロリと突然溢れてきました。
え?なんで…?と自分自身も思った位で悲しいと思ってなかったのに涙が出てきた事にビックリしました。
私ヤバイ…?
ここまで限界がきてるのか…?
いやいや、しっかりしろ母親!!
それを見た長男はどうしたの?という感じで大きな目をしてヨシヨシしてくれた事を思い出します。
この頃から不安と孤独感がどんどん出てきて誰にもこの事が言えず悲しみに暮れ、孤独化していき自分自身バランスがとれなくなってきていました。
でもこのような辛く悲しい日々でも長男は私に常に笑顔で毎日元気をくれていました。
母の手術も終わり、リハビリをしながら母の体調も少しずつ回復してきたその頃。
長男の受診日で病院に行った時に主治医の先生から通級指導教室に通ってみたらいいかもね!と先生の紹介である小学校の一角にある通級指導教室に入る事になりました。
長男が大好きな工作やオモチャなどで先生とコミュニケーションをとりながら楽しい通級教室の始まりでした。
週に一度の通級指導教室は長男にとって楽しみの一つになり、私は安心しました。
そして母が退院し我が家に平凡な日々が久々訪れました。
そして4歳の3月、大好きだった託児所とのお別れの時がきました。
ずっと託児所がいいと思っていた私でしたが、集団生活での生活に慣れさせて行く為、保育園に入園する事にしました。
今までは数人での託児所生活だったのが集団生活になる訳です。
今までと違う環境になる為、長男の事が心配で私の不安はどんどん大きくなっていきました。
周りと楽しく遊べるのか、ちゃんと集団生活になれるのか…
色々と考えましたが時は待ってくれず入園式まで刻々と時間が経って行きました。
そして4月5日入園式。
2年保育で年中さんで入園したお子さんは3人しかいませんでした。
全員で26人。
お友達25人との集団生活が始まりました。
入園式で長男は少し戸惑っていましたがどうにか入園式を終える事が出来ました。
初めての保育園で不安だった私でしたが、長男は元気よく行くようになりました。
こんなに不安だったのは私だけだったのかー!と悩んで損した気分になりました!
ところが入園して2週間たったある日、長男が
『なんかね、物を作る時はさみが使えなくて楽しくない』
とショボーンとなって帰って来る日が続きました。
あっ…そうか…
長男は産まれてからずっと左利きで右利き用のはさみを一生懸命使っていたのです。
入園して2週間、一生懸命使いづらいはさみを
使って頑張ってたんだと思うと、気付かず申し訳ない気持ちになりました。
早速、連絡帳に事情を書いて左利き用のはさみを持って行きますと書きました。
すると次の日先生からのお返事を見ると、
『左利き用のはさみを持ってくるのもいいと思いますが……右利きのはさみをみんなと同じようにさせる事も大事たと思いますよ』
ん?え?
みんなと同じように?
それおかしくないか??
左利きの子は無理でも右利きのはさみを持って苦痛を味わいながら工作しなきゃダメなの?
工作って楽しいはずの時間がこの子にとってははさみが使いづらいから苦痛になってるから言ってんのに、この先生ちゃんと分かってる?理解してる?子供の気持ち。
と不快な気分になりました。
連絡帳に大好きな工作の時間がキライになったら困るので左利き用のはさみを持って行きますとやわーく書いておきました…
入園式の際、周りのママさん達が長男の担任の先生の事を最悪だーと言っていたのがようやく意味が分かりました。
えこひいきがすごく、特定の女の子ばかりを可愛がるお利口さんの子供が大好きな先生。というのをあるママさんから後で聞いた。
担任の先生の事をあまり悪く言いたくなかったが、
長男がだんだん保育園の事をあまり話さなくなってきて聞くと
先生が怖い。何も言えない。
と返ってきました。
これが入園してから1ヶ月頃の事でした。