最近、ツイッターで見ているとセルフコントロールできない人による事件って大小問わずかなり目立つように感じますね。そうした人達の心理は当人の中にわだかまる不満や嫉妬といったネガティブなものなんでしょう。
既に我慢している
というマインドが、覆っているんでしょうね。
こうした事件で、いくつかの特徴があるので挙げてみます。
- その場限りでその後どうなるのかの想像がないか、自暴自棄になってる
- 自分が被害者という意識が先なので、相手の被害は常に後回し
- リアルな結末を見て、今更後悔する
この三つに集約されると考えてます。
特に今起きてる事件の中で私が重大視しているのは
警戒しないといけない状況を増やすこと
なんですよ。松坂のファンによるケガ(因果関係は一応不明)なんて、その象徴的な事件だったでしょうし。
撮り鉄のモラル違反とかもそうですが、ああいうのって
自制の効かない人が、みんなの行動の自由度を結果的に狭めていく
ハメに陥るんです。
管理側にとって、自制の効く人達による自治行為があるならば、責任を問われるケースが発生しない為、行動を制限する理由は無い訳です。だから、規制が増えるという事は
管理者側が責任問われたくないから、という防御反応
なので、ルールを厳しくすること自体は責めるのはお門違い。(過剰反応のケースもある)
街中で住宅に囲まれているような小さな公園を見ると、昔に比べて子供が遊んでるシーンってほとんど見なくなりましたね。アレ、原因が
アレもダメ、これもダメ
になったからです。これも、周辺の住民によるクレームに対応した結果。個別に状況が違うので一からげに善悪論はNGですが、火が消えたように誰もいない状態になったら、利用も無い。利用がないから、あっても意味あるの?となる。有効活用しよう、となったら
公園じゃなくて他のものにしよう
となってもおかしくない訳です。住民がその時に反対!を叫んでも、相手側は
公園にしてた時アレもダメ、これもダメっていってたじゃないか
という心理が働いているはず。残酷ですが、自分たち招いた結果でもあるのです。善悪は抜きにして、それが起承転結といった流れの結果だと私は思いますね。
こうした行為は、結局のところ
ボトムがどこになるか
がカギになります。スナワチ、言い方悪いですが
一番質が悪いのはどのレベルなのか
という事。このラインが、高ければ高い程リスクが減る。有料制にするメリットは、こうしたトコにもある訳です。
アレって、課金という一定の金額が発生することでハードルを上げてるんですよね。金払うほどまで、追いかけたいって人は減りますから。ああいうトラブルや騒動屋みたいな人を排除したかったら、クローズドの世界を構築するのが一番。金額設定も、高くすればするほど
自分の価値を認める
人だけが払うわけですから。そこまで価値はない、という人は払わないで外で文句言うでしょう。(笑)
だからこそ、そういう高額の課金設定する場合は払ってくれる人の価値をまた、大切にしなきゃいけないというロジックにもなると思います。本題から外れるのでこれだけにしますが。
ツイッターでもやたらと言論封殺か?という位揚げ足取りまくって絡む人がいましたが、アレも悪貨パターン。もっと平たく言えば
ドラえもんの独裁スイッチ
なんですよ。気に食わないから消えろ、ですもん。こういう人が増えれば増えるほど、そういう感情のやり取りにしかならないことにつかれて、やめたり他に行ってしまうでしょう。ツイッター社も、それが分かっているからそれに沿った施策をとっているはず。これらについて確実に言えることがある、それは
百万遍他人を責めたり批判しても、1ミリも自分に良い変化などない
ということ。ストレス解消にやってるにしても、どこかでリアルと直結して自分の人生狂わします。でもやってしまうのは
目に映ってからでないと気付けない
からなんですよね。でなけりゃ、悪乗り動画なんて起きないよ。
いぢょー。