ある創価大学生の日記

創価の中に居たことがないと、書けないこともあるんじゃないかと思います。


ただ組織のいけてないところや、たくさん傷ついている人がいるということを書き殴るだけのブログではもったいない。


創価と、一般社会の摩擦は、いろいろ、どろどろしたのも多いけど、この強烈な文化について、その中に居る人達が何を考えているのかについて、ちゃんと知ろうとすることで、解決の可能性が、ひょっとしたら見えてくるかも。。と信じる。

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創価の人と話すときに、気をつけること

2世や3世も含めて、活動家で、創価の中に居る人達と話すときに心に留めておくこと。


折伏とか、入ったつもりも無いのに部員さん周りされちゃってる時に、多いと思うんですが(笑) 熱心に活動している人のほとんどにとって、創価学会は自分自身と同じくらいの扱いというか、自分の居場所であり、アイデンティティそのものです。僕も、距離を置いたといっても創価の人間なので、よほど心の準備をしていない限り、正面切って学会の悪口を言われるとあまりいい気分はしません。よほど精神的に成熟している人じゃないと、心が乱れると思います。創価の生き方を背負っちゃってるからね、その時点でこれはもう仕方ない。


だからもし、創価のこういうところが間違っているから、とかこういうところが嫌いだから、やめてくださいと、言わなきゃいけないと思った時は、その一言は、相手の人格も攻撃してしまう一言になるということを意識して慎重に言葉を選ぶ必要があります。


その人としては、別に学会のこういうところが嫌だからと言っていても、学会が自分自身の居場所になってる人にとっては、あなたの家族のこういうところが嫌い、って目の前で言われるのと同じ状態です。


だから、折伏にあった人は分かると思うのですが、学会の人は、批判に対しては絶対に、ひかないです。こう返せば納得する(と本人は思い込んでる)やり方をどこかで聞い来ていることもありますが、何よりそうさせるのは、自分の居場所・家族のいる場所を批判されたことに、防衛本能が働くからだと思います。


だから、手持ちの情報で正直に批判したり、学会に対する感情を素直に話すというのは、実は、あまりおすすめしません。納得させられるまで反論が返ってきて、論点がバラバラになり、泥沼化します。



おすすめなのは、大人な対応をすることです。

学会の話に真っ向勝負して、相手の生き方を否定しない。最初にあなたの生き方は否定しないけどと言っておいて、結局学会最悪じゃんみたいな話をするんじゃなくて、一度活動家の言い分は全部認めてあげた方がいいと思います。そうしたら、活動家の人も、自分の生き方が真っ向から否定されずに、少し安心して、話を聞く余裕が生まれます。


たぶん、一緒に信仰しようとか、最後はなると思うんですが、そこまできて、「やっぱり無理。。」と締めるのも、ありです。振り出しに戻るリスクもありますけど。。あと、選択肢を増やして、逃げ切ってしまうというのが、一番楽な方法だと思ってます。「あなたの言うことは、本当に良く分かったよ。けど、今の自分の生き方が好きだから、必要と感じない」みたいな。学会のある生き方と、今の生き方という2つの選択肢にして、選べば、直接批判して、泥沼になることは避けられます。



よくトラブルになる、折伏を例にしてみましたが、創価の人とどういうスタンスで絡めばいいのかという根っこ部分は同じだと思います。

ひさびさに。。

書くのは9ヶ月ぶりですね。

お久しぶりです、シュウです。


組織で真剣に活動していた時間より、距離を置いた時間が随分と上回り

精神的にも落ち着いてまいりました。仕事で結構壁にぶつかってますが(笑

体も健康で、生きてます。

学会の中で何かが起こっている?

ご無沙汰してます、シュウです。

最近、少し気になることが出てきたので、書いておこうと思います。


本部幹部会

年初くらいから参加できていないのですが、内容を知り合いから聞く限り先生の口から秋谷さんを罵倒する場面があったり、とにかく共感できない言葉がたくさん聞かれるようになったみたいです。大学で直接スピーチを聴く場面があったので、何となく想像できました。幹部や教授に対する愚痴、または自分の自慢。本当にこの人のことを信頼していいのだろうか?と思ったことは多かったです。本幹はスピーチの一部はカットして放映されるので、カットしてもこういう声が聞こえるのは相当だったのかなと感じてます。


友達や組織の変化

自分のまわりの友達に、学会の現在のあり方に疑問を持ったり、第一線から一歩引く形を取るメンバーが出てきました。理由はそれぞれですが、とにかく活動で疲れ切ってしまったり、相当ストレスを溜めて弱っていた様子のメンバーもいれば、冷静に今の学会の現状を見つめて、これは協力すべきではないと決断している人もいました。


ブログへのアクセス

ほとんどリンクは貼っておらず、ついに先日google検索から外されてしまった様子のこのブログですが、日を追うごとにアクセスがなぜかだんだん増えてます。学会に興味のある人が増えているのか、学会に疑問を持つ人が増えているのか・・・?ほんとにかなりの数の人がいらっしゃっているので、少しびっくりしています。


特に目立った気付きだけ記していますが、ここ数ヶ月の間に、身近なところで、おや?と思う場面によく出会うようになりました。


みんないろいろ、思うところがあるのでしょうか。


たぶんこれは一過性のものではなくて、このまましばらくいろんな出来事が続くと思います。ただ何となく、兆しのようなものを感じてしまったので、書き残しておきますね。


近況

お久し振りです、シュウです。


社会人になって2ヶ月が過ぎました。

大変忙しい会社ですが、

先輩や同僚に恵まれ、とても楽しくやってます。


学会的には、男子部に統監が移ったようで

男子部の人達が日曜の朝から家庭訪問にやってきます。


元気よく返事をしておいて、会合には一切参加してません。
少しでも関わると、まだ不安定な気分になる時期だなと
自分で感じているし、もう少し距離をおいておきたいな。



学会員であろうと、なかろうと
大事なのは「いかに生きるのか」ということだと
強く強く感じるようになりました。

苦しい時期が1年近く続きましたが
やっと落ち着いてきたみたいです。


ただやっぱり一度自分という人間の深い部分を
否定しなければならなかったということから
人間として、性格がゼロベースに戻っているなぁと
感じることが多いです。



何というか、自分のキャラとか、性格が本来どんな
感じだったっけ?と迷う瞬間があってちょっと困ります。

落ち着いているね、と同僚に言われますが
これってどんな反応すればいいんだっけ?と
迷っていることが多いからなんですよね。



けれど、これは逆にチャンスじゃないかと思っています。
やっとここまで来れた。疑問を持ち始めてから2年間、
とても長かったけど、本当の意味で人間革命できる
かもしれないと思い始めています。


ゼロベースに戻ったということは、今から
もう一度性格を形づくっていけるということだと
信じてます。


自分が本当に大切にしていること、
本当に嬉しいこと、楽しいこと、悲しいこと。
それを一つ一つ見つけていくことはめっちゃ楽しいし、
これが人生の喜びなのかなぁなんて
思ったりしています。

きもちの整理

僕にとっての学会とは。


物心ついたときから入っていたもの。
自分と親しい人達そのもの。


地区の座談会や、学生部のほのぼのした
会合のように、明日も頑張ろうと信仰を
深めるために正しく機能している姿。


危険な成果主義を掲げ、福運のために
人と人との信頼関係をぶち壊したり、
ガタガタな組織や非常識な会員によって
不幸になる人達が多くいるという姿。


一生懸命折伏して、部員さんを持つように
なったけど激しい組織活動や大学の活動で
疲れ切り、自分の未来を犠牲にしている友達。


しかもそれに本人が気付いていない姿。



学会に用意されている結論を鵜呑みにして
自分で考えることをやめてしまった人達。
一般社会とどこかずれた感性。



信仰と学会を深く、きちんと理解して、
人との信頼、つながりを大切にしながら
自分のやりたいことを貫いていく友達もいました。


人として、本当の意味で魅力的な友達に会えたことは
とても嬉しかった。一歩一歩前に進んでいく姿は
自分にとって刺激にもなった。




僕の中で創価学会は、正しく、暖かい部分と、
明らかに間違っていて、危険な部分が混沌とした
組織になっています。


目的が正しいんだから組織は変えていこうよ
という話がありますが、


学会の目的自体がどうかというと、ここは
グレーとしか言いようがありません。


先生からは何度か直接スピーチを聞きましたが
すごく学生のことを思っているんだなぁという時と


ベンチャーの社長みたいにワンマンな強引さで
たくさん自慢をしたり、とても愚痴っぽい発言を
繰り返したりすることもあります。
その辺りは次の日の新聞ではカットされてますが。。
本当の組織の意図や、先生という人間は読めないです。



そんなこんなで、やっぱりあの組織文化の中に
友達や知り合いを引っ張り込んだり、選挙をお願いする
ということは、どんなに目的が崇高で正しいものであったとしても、
僕にはできません。


だから今は組織とも距離をおいてます。


ただ、やめたりとかはしないと思います。
僕は創価の中で生まれて、その庭で20年育ってきたから。
大切な人達が組織の中にたくさんいるわけで
その人達との繋がりを無理に断ち切ろうとも思ってないです。



だから、これからも学会員。
だけど活動には協力しない。

そして、一生懸命生きていく。
人を信頼して、友達を大切にしながら生きていって
みんなで幸せになれれば、それが一番いいと思う。

ひさびさに

ご無沙汰してます。シュウです。

久々に書いてみようと思います。


最近になっても、また自分と創価学会というところで悩むことが多いです。自分の短い人生の中で見てきたものは、学会は信頼と誠実でなりたっている組織だということ。たくさん人はいろんなことを言いますが、友達の学会員は皆優しいと思います。


ただ、ついていけていない理由は、組織への不信感です。どうしても折伏はしたくない、この中に入っても幸せになれるとは思えないことが多くて、結果居づらくなる場面が増えてくるという感じです。お前は魔だ的なあからさまな批判を受けるようなことはないんですが、折伏ができないと組織にはとてもいづらいのは事実なのです。学会も、選挙も、折伏も、先生も、全部受け入れることができていた時代は、とても居心地が良かったのですが、学会は正しい部分も、間違っている部分もあり混沌としている事実を知り、選挙にはどうしても積極的に協力できず、折伏をする意思はなし、先生に関してはグレーといった感じでしょうか。ただ、信仰はぜひ持っていたい。この状態では、とても居づらいのです。


ほんとに、この距離感が一番つらいのはわかってます。決意してきっぱりやめてしまう、ないし、思いなおして活動を再開することが一番楽なんですが、まだ判断ができない。学会の家に生まれ、育ってきた私は自分のかなり根っこの部分に学会が存在し、学会を否定することで性格が崩壊しかかっています。学会を離れた人は幸福になれないとよく言われたものですが、一度人格の奥深くまで浸透したものを否定することで、自分を傷つけてしまうことにもなるみたいです。


ひさびさなのに随分暗いエントリーになっちゃいました。

全部吐き出すといまの状態はこんな感じです。

学会活動への考え方

ずーっといろいろ考えて、今の時点でどうするか考えてみた。


折伏

知り合ってすぐの人にとか、友達に対しても、無理やりな折伏は絶対にしない。創価学会に入っていることで、幸せになる人がいる一方、不幸になったり、苦しんでいる人も少なからず存在するからだ。100%手放しで勧めることはできない。信仰の話になった時に、相手が明らかに仏法を求めている時にのみ、自分の分かる範囲で話すようにする。より深く学んだり、信仰を深める一つの手段として、学会に入ることができるという話もする。その際、必ず組織の抱えるリスクも伝えるようにする。それを理解した上で、入会したいという意思があれば承諾する。ただ、明らかにバランス感覚を取れなさそうな人は止めるかもしれない。


選挙

積極的には協力しない。わざわざ友人に頼んでまわるほど、公明党が価値を生んでいるとは判断できないからだ。ただ自分の票に関しては、今のところ公明党へ入れる。今まで会ってきた議員の人柄と、学会員の議員への監視機能を信じているので。


日々の活動

会合は、参加できれば参加する。無理はしない。なるべく、決意発表をさせられるゴリゴリな会合は避ける。地域の座談会など、最も身近で、最も学会が正しく機能している会合を選んで参加する。


組織との関わり方

今自分の考えているやり方だと、学会でいう成果は全然上がらない。なので上の役職にあがることはまず無いが、組織内で心配されたり、幹部が、頑張ろうよと声をかけてくるようになると思う。その時の対応は、なるべく誠実に、しかし核心の部分では説得に応じない。

・御書にこうかいてあるから折伏or選挙がんばろうよ!

・自分を変えたいなら、今折伏or選挙頑張るしかないよ!

という話がおそらく多いので(想像できてしまうのも微妙なのですが。。)やんわりと正論でかわすつもり。

一から

正直、ここ数週間学会と自分とのことで悩み続けてきた。組織のやってることに疑問を持つということは、自分の今までの大学生活の、少なくない時間を費やしてきた活動そのものに疑問の目を向けるということで、結構つらかった。でも今は、全部捨てて一から学会と、信心と向き合って考えようと決めている。


たぶん、今までの数年の活動で、僕は何人もの人に自分の価値観だけを押し付けるような行動、対話を繰り返し、大切な友人を数人失った。とても悲しいことだと思う。その一方で、学会の組織で学んだことも少しはあるし、この大学を選んだこと自体は後悔してない。ここに来てなかったらこんなにたくさん友達なんてできなかっただろうし、この大学はやっぱり好きだから。


活動することに疑問を持ち始めた1年位前からは、日々プレッシャーだった。成果の締め切り前や投票日が近くなると、グループ長とか、学生部の幹部が、一緒にご飯食べましょうとやって来る。いい人達なんだけど、なんでこんな時しか来てくれなかったんだろう。組織での居心地がどんどん悪くなっていった。


あんまり積極的に活動できなくなってからこわかったことは、活動をしなくなったことで、どんどん生命力が落ちていくのではないかという不安だった。罰論というやつだ。何か悪いことが起きるのではないか、自分のしていることがうまくいかなくなるのではないか。組織では学会をやめて幸せになった人の話なんて聞くわけがないので、自然と不安になってしまうのだった。するとその思いがさらに不安を呼んで、ほんとにうつっぽくなったりした。集中力が落ちたり、自暴自棄気味になっていた。学会から離れたから、むしろこういう風にならなきゃいけないんじゃないかと、潜在意識に刷り込まれてしまっていたのかもしれない。


それでも健気に、そんな自分を変えたいと願いながら、細々と活動を続けていた。折伏は、やる姿勢を見せ続けながら、結局やらなかった。というかできなかった。選挙は、身内の学会員じゃない人とか、お願いの一言で入れてくれる人に数人頼んで、組織に成果だけあげていた。


しばらく留学で海外に出て、いろんな価値観に触れた。そして帰国後、就職活動。たくさんの人に会って、話した。創大生と会って話す時間より、社会人とか、他大生と会ってる時間の方が長くなった。自分の頭で考えて、人生を歩いてる、かっこいいなと思う人達もいた。この間、少しずつ本当の自分らしさを取り戻していけたような気がする。唱題をほとんどあげていなかったが、かなり努力していたので、自分なりに納得のいく就活はできた。


本当に自分らしくいこうと思えたきっかけは、いろんなブログやサイトでの学会員の声だった。学会の良い部分も、悪い部分も実感として分かっている人達の、ネット上での発言はものすごく励みになった。自分が何となく感じていた組織の疑問を、同じように考えていた人がいたんだと嬉しくなったりもした。学会の活動を停止した人が、普通に暮らしているのを見て、あー結構大丈夫なんだと、当たり前なのだが改めて感じたりしていた。

創価大学の恋愛事情その2

今は恋愛する時期じゃない、そんな雰囲気が抑止力になって、他大に比べ創大は恋人のいる率は結構低い。ただ別に禁止されているわけではないので、いる人はいるし。その1で書いたような指導が入って、別れてしまった例もあまり聞かないかもしれない。ただ、真面目に頑張ろうとする創大生は基本的に超多忙で、一緒にいる時間なんてなかなかつくれないのが現状じゃないかと思う。もし恋人がいることが原因で、何か組織の仕事が滞ったりすると白い目で見られる。


基本的に、男は組織でもそんなに指導されないので恋愛には寛容な気がする。他大生と比べてもそんなに考え方は変わらないだろう。組織の内部・外部かどうかは気にすると思うけど。一方、女は女子寮や組織奈どでかなりみっちり指導が入る。会合のたびにといってもいいくらい恋愛に対しては厳重にいろいろと言われるらしい。


特に、その女の子の中で、この「恋愛」→「溺れる」→「今はそんな時期じゃない」という考え方を、自分の頭で考えて、受け入れるかどうか決めている、わりと大人な創大生と、ただ「池田先生がおっしゃっているからそういうものなんだ」といって受け入れている子供な創大生がいる。前者は、受け入れようと、受け入れまいと、自分で考えて出す結論なので、うまくいってることが多い。だが後者の場合、自分の意思とは違うところで恋愛を拒絶し始めるので、大学卒業した頃には、世間知らずな箱入り娘が誕生するという結果になる。そんな感じの人が、社会に出てから男に騙されたりしている話をたまに聞くと、ちょっと悲しくなってしまう。


創価大学での生活や、組織活動の中には「創価学会の常識」という一見、清く正しい正論のようにも見える「結論」がいつも用意されている。それを信じて行動すると、大学や組織の中ではすごい人だといって評価される。そんなこんなで、たくさんの創大生が自分でモノゴトを考えることを忘れてしまっている。組織で聞いた「結論」を、さも自分の哲学のように語る。これを繰り返すうちに自分達の考え方ってやっぱすげぇじゃん、ということになり、どんどん独善的になっている人達の姿は、創大生活の途中まで、やっぱりすごいなぁという感じだったが、今思えば滑稽なものだ。


中には、しっかりと自分を持って地に足をつけた考え方をしている、ものすごい常識的な創大生もいるが、自分の見た限り少数派。

創価大学の恋愛事情・その1

創価大学に入りたいと言ってる、地元の高等部の後輩と話していて、恋愛の相談をされたことがある。その子はすでに恋人がいて、創価大学に入った後、寮などで、先輩から今はそんな時期じゃないといって別れさせられるのを恐れていた。


そんな極端な例はなかなか無いと思うよー、と言っておいたけど、創価大学の恋愛に関する考え方にはそういう雰囲気が確かにあったりする。この考え方も創価学会の組織文化からきていることは間違いない。創価大学の恋愛に対するスタンスは、大学時代に恋人をつくってはいけません!というものだ。創価大学の一番コアな部分、特に女子寮ではこうした極端な考え方が流布されているということが知られている。なぜこのような考え方なのかといえば、池田先生の指導では、大学時代は自分を鍛える時代だから、恋愛にうつつを抜かしているようではろくな人間にならないからだそうだ。それよりも今は真剣に勉強したり、組織活動を頑張って福運をたくさん積むことが人生の幸福に繋がるという指導だったような気がする。そして、特に女子部に対しては、結局悲しい思いをしなければならないのは女性の方だからという話だった。だから恋人がいると、今はそんな時期なの?という指導が入るという流れになっている。