先週の金曜日は、そうちゃんが亡くなってから2回目の金曜日。お線香をあげた。日がたつのは早い。もう半月も経ってしまった。

今朝もそうちゃんのことを思い出して起きたが、発作の時ではなく死んだ時のシーンだった。いまだに4、5時間で目が覚める。週末は2度寝し睡眠時間は十分とれたが、熟睡感がない。平日はこのまま起きて仕事に行く。でも、昼間眠たくならない。
熟睡してすっきりできるのはいつだろうか。

でも、一日中そうちゃんのことを考えてしまう日々から少しずつ切り替えができるようになった。そうちゃんのことを考えない時間があるようになり、そうちゃんとの日々が確実に過去になりつつある。
でも、まだ事あるごとに、そうちゃんに置き換えて考えてしまう。ドラマを見て悲しいシーンではそうちゃんに置き換えて見てしまい感情移入してよけいに悲しくなり、病院へ行く道のりでは、この病院に来たのは一年前だったな、その時はそうちゃんまだ生きてたな、一年前に戻れたらな、という風に。

一年前の2月24日はそうちゃんと山に行った。

そうちゃんが自分の人生にこんなにもウェイトを占めていたなんて自分でもビックリだけど、
自分の人生の15年もの日々を共に生きたのだからそりゃそうなのだろうと思う。
そうちゃんとの別れは失恋によく似ている気がする。そうちゃんに恋をしていたのだろうか。

自分の人生を振り替えると、おおよそ10年に一度すごい不幸が訪れる気がすると前から思っていた。不幸になる前年は願いが叶ったりして比較的幸せな年なのだ。ただし、翌年は不幸のどん底になる。
ただ、きっちり10年ではなく、10年前後なので不幸がいつ訪れるか予測がつかない。
前回不幸だった時にその事に気づき、次の不幸は来年か再来年かその翌年辺りにあるのではと思っていたが、予想外に早く来て気づけなかった。
一昨年は比較的幸せで、去年は比較的不幸なことが続いてたのにも関わらず、わかっていなかった。不幸のどん底まで至ってないと思っていたからだ。まさかダメ押しでそうちゃんの命を奪うとは。
次の不幸こそ予見できないだろうか。次の不幸は何なのか、おそらく予想できるが、次こそはその不幸に後悔のないように準備できればと思う。

今日は暖かかった。朝夜はまだ寒いが、昼間は15°ぐらい。寒がりの自分でもダウンコートだと暑くて脱ぐぐらいだった。
もう、春が来ている。日々変化している。たった2週間で世の中が大きく変わっていってる。
そうちゃんに春を見せたかった。
まだまだ、そうちゃんを忘れることはできないけど、少しずつでも前を向いて生きていくしかない。
私はまだ生きているのだから。

そろそろ、修論の投稿に取りかからなくては。早くに死んだそうちゃんのためにも。



今日もそうちゃんを思い出しながら目を覚ます。寝れてはいるが、熟睡はできてない。

昨日は職場で健康診断結果の相談ということで、内科医の先生との面談があった。
先生はうつの専門医でもあったのでこれ幸いと、犬を亡くしてペットロスでうつの相談をする。最初はまあ、ペットはいつか死ぬもんだからねと軽い感じだったが、私の症状を聞いて途中から先生の反応が変わったのがわかった。結局は、気持ちを切り替えることが大事だということに尽きる話だったが、20分近くも時間をとって話をしてくれた。
参考になったのは、「ネットでペットロスの回復の仕方を見ると最初に感情を押し殺さないでいっぱい悲しまないと、後でガクッと来るから我慢しない方がいいとあるのですが」、と質問すると、「それは個人差があるからね。できるのなら気持ちを切り替えていった方がいい。」と言われてほっとした。むしろ悲しまないことがそうちゃんに悪いかな、と罪悪感を感じるようにもなっていたが、切り替えていいのだとわかって少し楽になった。
そういえば、過去のうつの時もあまりにも考えすぎて切り替えができなくなっていった気がする。

安心したと同時に、昨日は大きな喪失感もあった。
どうやら4月の引っ越しがなさそうであることがわかった。本来なら喜ぶことなのだが、そうなると、そうちゃんはなんのためにこの時期に死んだのだろうと思う。
6年前、そうちゃんの最後を一緒にと思って家に戻った。そうちゃんのサイズから平均寿命は10~12歳なので、戻った時には9歳。6年あったら充分看取れるだろうと思っていた。だが、予想以上にそうちゃんは長く生きてくれた。
今の家にいるのは6年が限界で今年の春はさすがに異動は回避できないだろうから、引っ越しと共にそうちゃんを連れていくしかない。でも、全く知らない土地で最後を迎え、しかも一人で看取る。それも可哀想だなと一年前頃に思ってた。だから、むしろ、今年死んでくれなかったらどうしよう、そんなひどいことを考えた時もあった。
そんな中での11月のそうちゃんの出血と末期ガンの宣告。そうちゃんが私の思ったことを感じて叶えてくれたのか、神様がそんなことひどいことを考える私に罰を与えたのかどっちかだなと思った。まかり間違ってもそんなひどいこと考えるもんじゃないな、自分に跳ね返ってくるんだなと思った最初の後悔だった。
年末のCT検査で余命を聞くと、あと2、3ヶ月と言われ、本当に異動直前の絶妙のタイミングでそうちゃんは死んでいくんだなと、そうちゃんは最後まで賢いんだな。こんな時まで。と深く後悔した。
そして、そうちゃんは死んでった。予想以上に早くてあと1ヶ月生きてくれたら私も余裕を持って介護できたのにと思ったけど。引っ越しの準備期間まで考えてくれたのかなと思うようにしてた。
それが春の引っ越しがないなんて。これじゃあそうちゃんが早々と死ぬ必要はなかったのに。
全ては偶然だと頭ではわかってはいるがショックだった。
引っ越しがなければ、まだそうちゃんはこの家で暮らせたのに、あの時、3月31日ではなく4月1日に狂犬病の注射に行ってれば血液検査を受けれて、次回半年後と言われて10月に定期検査に行って、最近のおかしな調子を言ってればガンに気づけたかもしれない。そしたら手術できたかもしれない。3月31日に行ったばっかりに注射ができず、次行けたのが結局6月になり、次の定期検査が12月になってしまっていた。
でも、4月1日は月曜日なので行けなかった。
これがそうちゃんの運命なのだと言ってしまえばそれまでだが、こんな結果になったことが悲しい。




一昨日、昨日、今日もそうちゃんを思い出して起きる。でも、熟睡はできてないけど、睡眠はある程度とれてる気がする。

昨日は父親のお墓参りに行った。そうちゃんのことをお願いする。そうちゃんの介護を優先して年末年始はお参りに行かなかったし、父親はそうちゃんのことを知らないのにで都合のいいお願いだと父親は怒ってるかもしれないが、「そうちゃんをちゃんと見つけて面倒見てあげてね。」とお願いする。

一昨日は、外出せず、一日中テレビや録画を見たりしながらのんびり過ごした。ついついそうちゃんのことを思い出してしまい、テレビを見ててもほとんど頭に入ってこなかったが、こんなにのんびりしたのはいつ以来だろう。感覚的には一年ぶりな気がする。

昨年は本当に忙しかった。
2月から忙しくなり、6月からは修論が加わってものすごく忙しかった。一つのことに集中して忙しかったのは過去にもあるが、同時平行でそれぞれ全速力で頑張った忙しさで言えば、今までの人生で一番忙しかったと思う。3枚の皿を全速力で回してるような。24時間を要領よく切り替えてそれぞれに集中することは、若い頃ではできなかっただろう。
6月からは、昼間は仕事、夜は修論、週末は別の用事でいっぱいいっぱいだった。7月末に中間発表を終え、8月、9月は学会の準備、同時平行で6月~9月は別のことで忙しく、10月頭に学会発表が終わったと思ったら、今度は職場の発表で忙しく、それが終わったのが11月12日だった。ようやく一息ついて残すは修論のまとめだけ、ようやくそうちゃんのことに少し気持ちが向けれると思った矢先だった。
6月からの半年間は週末すらそうちゃんの散歩はおざなりで、遠出の散歩は月に1回行けたかどうだかぐらいだった気がする。
そうちゃんが元気だった半年間、あまりかまってあげられなかった。

そうちゃんがガンになった原因として、出血しした時に、先生から、「犬のガンは進行が早くてそうちゃんのガンができたのはここ1、2ヶ月ほどでしょう」と言われて思い当たることがあった。
副腎はストレスの影響を受ける臓器で、きっと、外飼いのそうちゃんは去年の夏の暑さがストレスが原因でガンになったのだと。一昨年から続く異常な猛暑、去年の夏の間、室内に入れてクーラーのいる部屋で過ごさせていれば。元々、室内飼いは家人の大反対にあって、自分の家ではないのでそんな権限はなく、諦めてそうちゃんは外飼いになった。一昨年の猛暑を乗り切ったのでなんとかいけるかなと思ったが、年をとって免疫力が弱くなってるそうちゃんには去年の夏は耐えれなかったのだろう。はなから諦めず、去年は家人を説得して家に入れてあげればよかった。
それでも去年の夏はで外飼いでもできるだけ涼をと思って家人に文句を言われながらも扇風機を設置し、朝、出勤前に打ち水して、保冷剤をマットに置いて出勤していた。


あと、暑いピークの2週間ほどは食欲減退しないようにいつものドライフードにササミや缶詰をトッピングしてあげてた。そうちゃんは喜んで食べてたようの思う。でも、暑さは打ち水や保冷剤は昼間まで到底もたないだろうし、家人が何か対策をたててるふうでもなかった。おまけにそうちゃんは扇風機の音が怖いのか、扇風機を嫌ってあまりあたらなかった。おまけに家人はそうちゃん使っていないよと言って扇風機を切ってたように思う。
室内飼いか私が昼間家にいたら、そうちゃんは褐色細胞腫細胞腫にはならなかったと思う。副腎腫瘍はストレスが原因になることが多いことを知ってる病院の先生は、飼い主の私にはもちろん何も言わなかったしこちらからも何も言い訳しなかったが、ストレスを何か与えたんだろうと思っていただろう。
でも、ガンの原因が夏の暑さのストレスであることを介護中に家人に言っても、なおも家人は「外飼いはダメ」だと言っていたので、うちに来たのが運命だと思ってそうちゃんに諦めてもらうしか仕方なかったのだろう。それに加えて、私がそうちゃんをかまってあげなかったこと、それがダブルパンチでそうちゃんはガンになったのだろう。環境でガンにさせてしまったのが悔やまれる。

出血した後に思い返すと病気の予兆はあった。
元々白内障になっていたが、8月頃に一気に益々目が白くなった。そうちゃんも「あれ、見えない」というように前足で目をごしごしこするような仕草をしていた。さらに8月頭に右前足にイボができているのに気づいた。ネットで調べると、悪性の場合は2週間ほどでどんどん大きくなって悪化するとあったので、数日おきに確認して気にはしていたが、大きくなる気配がなかったので、良性だなと自己判断していた。思えば、この頃にそうちゃんの免疫力がぐんと下がっていたのだろう。
そして、出血するしばらく前、どのくらいの期間か忘れたが、そうちゃんがドッグフードを二つかみぐらい毎回残すようになった。ほんの少し残してぷいっとどっかに行ってしまうのだ。でも、呼び戻して残ったのを手のひらに乗せてあげるとちゃんと食べた。そんな日々が何日か続いてたように思う。ただ、一旦残しはするけれどもこちらからあげるとちゃんと食べきるので、食欲ないというよりは老犬になって今のエサに飽きてきたのかなと思って違う種類に変えようかなと思い始めていた。すると、家人も同じことを言っていた。家人は、食べないとおやつあげないよとおやつをだしにすると食べてたらしいが、夏の疲れが出たのかなと思っていたらしい。また、家人が散歩してた時、登りの坂道でそうちゃんが自分よりも後ろを歩くようになったと。ご近所の人がそうちゃんを見て、その事を言われたらしく、「そうなのよ、老・老散歩なのよ」と返したらしいが、「今思うと、登りがしんどかったんだろうな」と言っていた。私は出血する前日までその事は気づかなかったが、前日は、久しぶりに遠出の散歩に行こうとしたら、途中まで行って帰ろうとしたそうちゃん、あれおかしいなとさすがに思って、来週末か12月までに定期検診兼ねて病院に行こうと思ってた矢先だった。
今さら思っても仕方のないことだけど、じっくり見てあげてたら予兆はあったし、短い人生の犬の場合は様子が変だと気づいたらすぐに動かなければならなかった。

そうちゃんを飼い始めた頃は無職で学生で貯金を崩してく生活で全くお金がなかった。そんな状況で犬を飼うこと自体が非常識かもしれないが、自分にお金があったら家を借りてそうちゃんを室内飼いにできたかもしれない。
かもしれないばかりで、それが人生なのだろうけど、後悔しないようにとわかっていながら結局後悔ばかりが悲しくて悔しい。

でも、外飼いだったことで、意外とご近所から可愛がられていたことが病気になってからわかった。病気になって家に入れるようになってから、そうちゃんと散歩する度に、犬の散歩をしてる多くの人から「最近見ないと思ったらどうしたの?」と言われた。以前は犬を飼っていたが、年をとって飼えなくなってた人もいた。
ご近所で外飼いが皆無になった今、外飼いでいつも玄関前にいるそうちゃんは意外と貴重だったのだ。中には、よくおやつあげてたのよという人もいた。えっ、あげてたんかい、と驚いたが、可愛がってくれていたことを知れて嬉しかった。病気になったことを言うと、みんな、前に飼ってた犬が死んだときの話をしてくれる。そして、そうちゃんに「頑張りよ」と言ってくれる。もうまもなく死んでしまうのをわかってみんな言ってくれる。そうちゃんの散歩はみんな犬が好きなんだなあと救われる日々だった。

昨日は記憶がないが、22時半頃には寝てたと思う。朝5時半頃にそうちゃんを思い出してうなされて目が覚めたが、その後、2度寝できて、8時半頃起きた。10時間ぐらいは寝れたのではないか。まだ眠くて頭が重くすっきりしないが、これだけ寝れた。日にち薬か昨日は汗をかくほど山で作業したから疲れて寝れたのかわからないけど。
昨晩もテレビを見たり、たまってる録画を見たりして気分転換をはかったが、あんまり頭に入らない。でも、これだけ寝れたので、うつは回避できてるなと感じる。
そうちゃんが早く死んじゃったおかげで、早くに投稿論文に取りかかれるようにしてくれたんだ、そうちゃんのためにも早くしなきゃとも焦るが、まだそんな気分になれない。今週末は引っ越の準備も兼ねてぐちゃぐちゃになってる部屋を片付けよう。

午前中は英会話だった。しばらくそうちゃんの話をする。ご近所でそうちゃんの犬友でもある先生と話をする。犬を飼ってる人から慰められると気持ちが通じて、自然とポロっと涙が出て来て癒される。先生が飼ってる老犬にそうちゃんが食べなかった大量のドッグフードと余ったペットシーツを譲り渡す。元気な頃にそうちゃんにあげてればそうちゃんどんなに喜んだろう。よく聞く後悔だが、元気な頃にもっと美味しいものをあげてればよかった。その分、あみちゃんに役立ってほしい。あみちゃんも17歳、弱ってきていて、いよいよ、もうそろそろのようだ。

レッスンが終わって家に帰ると4袋ぐらいあった大量のドッグフードとペットシーツが失くなり、ひときわガランとする。寂しいが、こうやって忘れる準備をしていくのだろう。
お水を入れ換えてそうちゃんのことを思う。

役所にそうちゃんの死亡届を提出する。今はネットでできるみたいで簡単だった。これでそうちゃんとーが社会と繋がりから切り離されたと思うと辛い。

昨日22時から24時までストーブの前で寝てしまい、お風呂に入って2時頃就寝して6時の目覚ましで起きた。まだ、眠りたいと感じる。うなされて起きなかった。まさに日にち薬だろう。
こうやって心は回復してくのか。

そうちゃんが死んでから1週間。1週間前はそうちゃんは生きてた。一番辛い時間だったろう。でも、生きてた。でも、もう辛い1週間前には戻りたくない。

人間で言えば初七日から始まり、1週間ごとに法事の節目があるがその行事はよくできてるなと思う。父親の時も思ったが、行事の節目が心の回復とリンクしているような気がする。
四十九日で家族は普通の生活に戻り、百ヶ日で気持ちに区切りをつけるのだそうだ。
でも、家人も言っていたが、父親の時よりもダメージが大きい。自ら介護したからだ。人間は入院したら病院が世話をしてくれるが、犬の場合は飼い主が全ての世話をしなければならない。介護が始まった時に、知人から「人間より大変だね。」と言われたが、本当にそうだったと実感。でも、介護をやりきったら、すっきり晴れやかな気分になるんじゃなかったの?むしろダメージが大きいなんて。でも、その分、とても濃厚な毎日を過ごせた。そうちゃんと向き合える時間ができて、大変な反面、幸せな日々だったんだと思う。

昨夜、家に帰ると、そうちゃん関連の狂犬病とか病院、ペットシッターなどの書類を15年間ため続けたファイルが居間の棚に閉まっていたのに私の部屋に置いてあった。家人に聞くと、「もう整理をしなさい。」という。役所にそうちゃんが死んだことを連絡しないといけないからファイルの整理をしなきゃとなと思いながら、なかなか行動に移せない今週だったが、家人はそのファイルの存在すら忘れてると思ってたのに、覚えていたとは。私よりも家にいる時間が長いからそうちゃんのことを思い出してしまうから、思い出すものを早く無くしたいと思うのだろうか。
もしこれで私が引っ越ししたら家人は家でひとりぼっちで耐えれるのだろうか。私は環境が変わるからたぶん忘れていけるだろうけど、そうちゃんを介護して死んだ思い出のある家で一人で過ごすなんて、むしろ私よりもうつになるのではないかと少し心配。

そうちゃんの3ヶ月前の動画を見直す。元気な頃も時々動画を撮ってはいたが、この3ヶ月間はほぼ毎日撮ってた。最初の頃に自分がそうちゃんの顎をなぜなぜしてる動画が残ってて癒される。そうちゃんがそれほど気持ち良さそうではないのが悲しいが、でも、こうやってよくなぜなぜしてたなあと気分が軽くなる。食事をしてる動画も残ってた。食欲がないそうちゃんを見るのは辛かったが、この時はよく食べてた。食べてる動画を撮っていてよかった。良い思い出を思い出すようにしよう。

本当は昨日が初七日だが、1週間前の今日亡くなったので、そうちゃんが亡くなった時間に祭壇をもうけ、家人とお線香をあげた。
リードや防寒着にはそうちゃんの匂いがする。
まだ、洗いたくない。


もう、苦しまないで穏やかに過ごしてね。
いつかどこかでね。そうちゃん。

今朝も4時半にそうちゃんを思い出してして目が覚めたけど、そのあと2度寝できた。おかげで7時間も寝れた。日にち薬か、自己肯定してたせいか。

昨日の夜、家のトイレに入ると壁に大きな蜘蛛がいた。茶色くて毛がふさふさしていたので、思わず、そうちゃん、と呼び掛ける。そうちゃんみたいに話を聞いてじっとしてしてるみたいに見える。
あかん、いよいよおかしくなってきたと自分の行動に笑ってしまう。

家人が友人とランチして聞いてきたらしく、「悲しい気持ちも3ヶ月ぐらいなんだって、半年たったら次の犬が飼いたくなるんだって」という。こんな気持ちが3ヶ月も続くのか、耐えれるだろうかと逆に思う。
さらに、定時で帰ってきた私を見て、「病気になる前ずっと帰宅が遅かったのに、今になって早く帰ってくるなんて、なぜもっと早く帰ってきて散歩させてあげなかったの。」と責めるようなことをいう。
「そんなこと自分で充分わかってる。修論ですごく忙しい半年間だった。出血した時にそうちゃんにもっとかまってと怒られたと思った。だからこそ、介護で償いしようと思ったのに。」と言い返すと、「知らなかった」と言ってそれ以上は言わなかった。慰めてくれるどころか責められるとは、悲しくなる。
私だって、家人には「ストレスたまるとか文句ばかり言わずにもっと早くから愛情をもって介護してほしかった。」とか言いたいことはあるが、終わった今言っても仕方ないのでそうちゃんのためにも言わないようにしてるのに。

あれから1週間。
1週間前はそうちゃんが生きてた。
1週間前に戻れれば。私が体位を変えなければ
、まだ生きてたかもしれない。
とついつい思ってしまう。
でも、頻繁に発作が起き、体力の限界だったと思う。遅かれ早かれもう間もなくであったはずだ。私がしなくても最後は発作が起きて死ぬ運命だったのかもしれない。ひょっとしたら家人が世話をした時に発作が起きて死んだかもしれない。そしたら家人を一生責め続けていたかもしれない。それよりも私自身の手でそうちゃんを逝かせてよかったのかのかもしれない。
そう、思いたい、思わせてほしい。ごめんね、そうちゃん。

3か月前に死ぬ可能性のあった命をとりとめ、3ヶ月という時間を神様が与えてくれたのだ。自分なりに精一杯頑張った。
年末年始前後の1ヶ月間はある程度血圧が安定してたはずだ。そうちゃんもご機嫌だった。それで充分だ。
1月中旬から朝の食欲が失くなったのは、きっと腫瘍が大きくなって血圧高くするホルモンがたくさん出てたからなような気がする。死んだときはおそらく、腫瘍が8cmぐらいになっていたのではないか。1cmに満たない副腎がそれだけ大きくなるのだから、いつ破裂してもおかしくなかったはずだ。
でも、破裂しないで頑張っていたのだから血圧さえコントロールできていればもう少し生きれたかもとまた後悔してしまう。
血圧計は買ったが、嫌がったので逆にストレスたまると思い結局使わなかった。
早い段階で血圧計に慣れさせ、随時チェックしながら薬の量をコントロールできていれば。
でも、結局はいずれ死ぬのだから、こんなこと考えても仕方のないことなのだろう。

不思議なのは先生だ。
年末のCT検査で男先生に今後どうやって死ぬのかと聞いたら、「出血性ショックか、腫瘍近くで血栓が詰まって死ぬ。」とのことだった。発作であるクリーゼのことは何の説明もなかった。12月始めに初めて発作が起きた時も、直後に夫婦先生達に言った。それがクリーゼだとわかってなかったので、「血圧が急に上がって薬飲ませたら効いて治まった」と説明した。だから、クリーゼが起きていることを先生達は知っていたはずだ。「薬が効いたのを実感できるとは。」と女先生は薬が効いたのが意外そうな反応だった。
その後も薬を変えて調子が悪くなったときに、「立ちくらみをしてる。高血圧から来るもののような気がする。」と女先生に言うと、「逆に薬の効きすぎで低血圧になってるかもしれない。1錠に戻してみましょう」と言った。男先生も「1錠を試してみないとわからない。完璧によくすることは難しい。薬を飲まないのであればもう無理せずに。」と言っていた。
薬を飲ませるのが大変なときに先生からそう言われ、家人からも「そこまで無理してあげなくてもいいんじゃない。辞めときなさい。」と言われて、自分も嫌がるそうちゃんに薬をあげるのが辛いので、弱気になって、そうちゃんの思うままに、なんて都合よく解釈して、1錠を9日間も続けてしまった。この時もっと心を強くしてすぐに2錠に戻していればと思う。でも、先生達はなぜ、クリーゼのことを言ってくれなかったのだろう。
まさかの知らなかった、ではないと思うが。褐色細胞腫は珍しいが全然ないわけでもないと言っていた。話しぶりからこれまでも褐色細胞腫の犬を診察してきたはずだ。前後の話から、少なくとも男先生が知らなかったとは思えない。女先生はひょっとしてとも思わないでないが。死ぬ1週間前に起きた吠えるぐらいのひどいクリーゼの状況を説明しても女先生は「それが高血圧によるものかもわからないし。薬4錠は多すぎ。」とも言った。知らなかったのだろうか。でも、男先生はさすがに知ってたと思う。だって、最後のクリーゼの説明をしたらその状況だとあと1日だと的確に当てたのだから。なぜ始めにクリーゼのことを言ってくれなかったのだろう。クリーゼが頻繁に起きる可能性、薬が効かなくなる可能性、症例として知っていたはずだ。
あえて、言わなかったのか。いずれ薬が効かなくなるのはわかってて、私がそれを知ってしまうと辛いだけなので、知らない方がいいとあえて言わないという優しさか。

なぜ説明がなかったのかと疑問に思ってることを家人に言うと、「優しさじゃなくって、私がすでに発作のことを知ってると思ってたんじゃない?」と一蹴された。確かにそうだ。
医者がそんなとこで優しさはないだろう。私が「血圧が上がって」とか言ってるので、すでにネットで調べてクリーゼのことを知ってると思って説明しなかったのかも。でも、だとしても、最後はクリーゼで死ぬ可能性もあること説明があってもいいのに。クリーゼで死ぬ犬が今までいなかったのか。だとすると介護をうまくできなかったのか。
クリーゼのことを知ってからずっと納得がいかないが、こんなことそうちゃんが死んだあとに先生に問い詰めるように聞いても、そうちゃんが戻ってくるわけでもないし、と思って聞かなかったが、ずっと疑問のままだろう。

1週間前、そうちゃんの体位を変えた時間がもうすぐやってくる。
家にいるのが嫌で、3か月前、そうちゃんが出血する直前に寄ったカフェで同じ席に座り、食事をする。



3ヶ月間、こんな風にのんびりとカフェで食事する時間は一切なかった。
3か月前、この席に座った時は、まだそうちゃんは出血してなかったのに。気づいてあげれれば。
でも、もう、終わったのだ。過去を変えることはできない。
1年の4分の1を、そうちゃんと共に駆け抜けた。
3ヶ月は一瞬だった。人生とは一瞬だ。
改めて思う。短い人生、大切に生きなければ、と改めて思う。
父親が死んだ時にも思ったが、そうちゃんにも改めて教えられた。
後でしようと思わず、したいことは今しよう。

1週間前の今頃の自分に言いたい。もっと薬をあげていいのよと。

今朝は6時間寝れた。昨夜21時過ぎにはベッドに入ったがなかなか寝れず、朝4時半頃、やはりそうちゃんが最後に発作を起こした瞬間を思い出しながら目が覚めた。発作を起こした時、グッタリしてたのがいきなり上半身を起こし、ビックリしたようにはっという顔をしてこちらを見つめ、助けて、というような目をしていたのが忘れられない。直後にバタッと倒れる。その時の様子がトラウマとなってよみがえり、うなされて起きる。ごめんね、そうちゃん、と何度も思う。

ベッドから起きるまでの数時間、また、そうちゃんとの日々を思い出してしまう。
12月下旬から死ぬ2日前までは、平日は朝5時半ごろに起きてそうちゃんの散歩、食事、薬飲ます世話をして出勤、夜19時頃に帰宅後そうちゃんにご飯をあげて薬飲ましてそうちゃんが寝付く21時か22時頃までおもちゃで遊びながら待つ、その後修論をするという流れで、自分の時間は一切なかった。
家人も平日の昼間は午前中はそうちゃんが寝させておいたが、午後からは散歩に行くようだったら何回も行き、夕方から食欲のないそうちゃんにおもちゃで遊びながらご飯をあげる、そんな日々だった。
祝日や休みを1日とって、土日を合わせて週3日は昼間も家にいるようにしたが、それでも週4日の昼間は家人が面倒をみていたので大変だったとは思う。

褐色細胞腫という聞いたこともなかった癌。人でも犬でも珍しいらしい。
なので情報社会の現代でもほとんど情報がなく、検索してもほとんどひっかってこなかった。あっても手術して助かった事例がわずかにある程度。手術しないで末期を迎える場合、最後をどのようにたどるのか、よくわからなかった。このブログが将来、同じような経験をする飼い主に役立ってくれればと思う。

出勤して、今日は職場の人と出張。準備してるときに棚の物をとろうとすると手が棚をかすりこける。車に物を乗せようとしてそばの石につまづく。車に乗ろうとして足を上げたつもりが上がらずつまづく。マズイ。心と体が一致してない。
車内でも職場の人と話す気力がない。窓から上を見上げると、爽やかに晴れた青空が見えて涙が出てくる。
これはマズイ、うつになる前兆だ。しばらくすると久々に眠気が起きる。幸い一人後部座席だったので職場の人には悪いが睡魔のまま寝る。起きるといくぶん気分がスッキリしていた。
午後からはできるだけお話をして気分を入れ替えようと試みる。

これでうつになってはそうちゃんにも申し訳ない。
無理にでも自己肯定しよう。

最後の辛い3週間ばかりを思い出してしまうが、出血して入院してた最初の頃を思い出す。
出血した時点ですでに、数日で亡くなる可能性があった。それが生き残り、血圧がある程度安定して楽しい日々を1ヶ月ぐらい過ごせたと思う。そう思うと介護は無意味ではなかったと思う。

修論の忙しさがピークの時に、そうちゃんの調子が悪くなり、というか悪くさせ、心に余裕がなくて、いっぱいいっぱいでどこを向いてるのかわからなくなっていたように思う。できるだけしんどくない状態で残りの日々を過ごし、できるだけ苦しまないで最後を迎えさせる。それが目標だったはずなのに。

また、マイナス思考で考えてしまう。ダメだこりゃ。









そうちゃんがいなくなって3日目。
そうちゃんが死んだ翌日からそうちゃんのことを思い出しながら起きてしまう朝が4日続いている。
毎日5時間ほどしか眠れない。眠いのに眠れない。

朝、鏡で自分の顔を久しぶりにじっくりと見てビックリ。まぶたはがはれ、目の下のくまがひどい。そうちゃんのおかげで老けちゃったと笑ってしまう。

午前中、仕事を休んで前から予約してた病院に家人に車を借りて行き、帰ってきて車をガレージに駐車させようとして、車をぶつけてしまった。塗装が剥げた程度だったが、バックする方向が少しずれて入れたというのではなく、1m以上おもいっきりずれて入れようとしてた。こんなことしたの初めてでビックリ。ボーッとしてた自覚すらない。
家に入ると、音が聞こえたのか、家人から「車ぶつけたの?」と聞かれる。「うん、なんでだろう。自分でもビックリした。」というと、「気を付けないと事故するよ」と言われる。いつもなら、ぶつけたりしたら発狂レベルだが何も言わない。

そうちゃんが亡くなってまだ数日、じっくりと噛みしめながら日にち薬で徐々に薄れていくのを待とうと思ってたが、このままではヤバい、うつになると自覚する。
昨日もヤバいなと思ったので、友人から連絡が来たのを幸いにランチの約束を取り付けたが、今日の車でこれってペットロスになってるんじゃない?と気づいた。友人には気を付けるよと冗談で言ったが、本当になりかけている気がする。10年前にうつになりかけたことがあった、というか、今思うとあれはうつだったと思うが、それに入っていく時と似てる。ヤバい。うつになる前に早めに気分転換と自分の感情を吐き出す場所が必要だ。そうちゃんの最後を書くのすら、気分が重くってなかなか筆が進まなかったが、書くことで自分の気持ちを整理できるのではと思って書いてみた。
というわけで、そうちゃんが亡くなったらこのブログは辞めるつもりだったが、自分の日記のつもりで気持ちが落ち着くまで書いてみよう。

お葬式の次の日は日曜日だったので、家人から、「そうちゃんが亡くなった状態そのままになっていると思い出すから早く片付けなさい。」と言われ、それもそうだ、明日は仕事だから今日中にと思い、毛布やマット、使ってた道具類、元気だった頃に使ってた物も合わせてごみ袋に入れる。7袋にもなった。
でも、元気だった頃に使ってたクッションマットやカッパ、ブラッシング用のくし、病気になってからも使ってたリード、それから介護中に一番よく遊んでたカエルのおもちゃ、使ってた防寒着、毛布には全てそうちゃんの匂いが残っててどうしてもまだ捨てれない。徐々に捨てていこうと玄関に並べておく。毛布は大きいから少しだけ切ってあとは捨てることにした。

日曜の夜中に、元気な頃に使ってたリードを思いきって捨ててしまったことを後悔する。月曜の夜に仕事から帰ってきてからごみ袋をあさろうと思い直す。
月曜の夜、家に帰ると玄関においてた7袋の内、半分がなくなってた。「火曜の朝のゴミだしだしで自分で捨てるから」家人にと言ってたのにと思いながら、焦りながら怒るように家人に聞くと、ガレージに置き換えただけだとのこと。ビックリしながらガレージからごみ袋を戻し、袋を何個か開けてそうちゃんの首輪を探しだす。出血した時に首輪を外して病院に連れていき、それからは必要なかったので付けなかった。洗ってしまっていたので、そうちゃんの匂いはほぼ残っていないが、10年以上、一番長く使っていたのがこの首輪だ。長持ちしてまだきれい。これはなかなか捨てられないなと思う。

月曜日の朝、ホームからの日の出をみて、3か月前を思い出してしまう。


あの時は、まだ暗かったなあ、もう、助からないのかなとやはり後悔の嵐で心が一杯になっていたのを思い出す。でも、あの時死んでいたら外飼いのそうちゃんにここまでの感情を抱くのかとも思う。介護したので我が子のように思ってしまったのかもしれない。

今日も、仕事中もそうちゃんのことを考えてしまう。
自分のために生きようと気分転換にショッピングでもしようと仕事帰りにほんの少しだけ寄り道してみる。
好きな明太子パンを買って帰る。

帰宅して玄関を開けると、がらんとした玄関に寂しさを感じる。
そうちゃんが食べなかった大量のドッグフードとかの一部を家人の友人のワンちゃんにあげる用にと置いておいたのがその場所からなくなってる。家人に「もう友人にあげたの?」と聞くと、「まだあげてないけど、置いてあるのを見るとそうちゃんを思い出して気分が重たくなるから別の場所に移動させた」とのこと。
そうちゃんが死ぬ3週間ぐらい前まで、「そうちゃんの世話がストレス。そうちゃん、全然元気よ。本当に病気かと思うぐらいよ。」と呑気なことを言ってたのに、意外とダメージ受けてるなと感じる。急激に弱ってあっという間の最後だったのがショックのようだ。
急激ではなくそれよりもっとずっと前からそうちゃんはずっと体がだるく頭痛もしてたと思うし、もう長くないよとその説明は家人にくどくどいっていたが、そうちゃんの病気は見た目では分かりにくく、我慢強かったのもあって、パット見はよくわからない。だから、家人もまさかと思っていたのだと思う。
病気になって以降はなおさら体調の変化に気づいてあげるのが飼い主の役目だと思うが、それを望むのは酷だったか。

階段を通って玄関ホールを見るたびにそうちゃんを思ってしまう。

4:40 そうちゃんのことを思いだしながら、目が覚める。熟睡できなかった。いいことよりも辛いことばかり思い出してしまう 

無性に寂しくなってそうちゃんの過去写真を見返す。

そうちゃんが家に来て、最初の4年間は学生だったのでお金は全くなかったが、時間はあったのでたくさん散歩に行けた。車であちこち遠出して山へ散歩に行ったり、家の近くでも3、4時間ぐらいかけて山を散歩したり犬との生活を満喫した日々だったように思う。
その後の5年間は異動で一緒に暮らせなかったが、長期連休の旅に休みをとってできるだけそうちゃんに会いに行って散歩した。
とはいっても5年間はほぼ毎日の世話を家人にさせてしまったが。そうちゃんがいることで独り暮らしの寂しさと運動不足解消と生活の張りができるかなといい方に考えるようにしたが、やはり、一人で世話は大変だったと思う。
最後の6年間は、いよいよ老犬で最後は看取りたいと思って一緒に暮らしたが、最初の一年ほどはよく遊んだが、だんだんと最初の4年ほどの情熱はなく、山に行くのもたまにになっていって、ただ、毎朝の散歩をこなす日々になっていったように思う。
でも、年に一度は虚空蔵山に行くのは欠かさずに登った。最後は去年の3月31日だった。最初の岩だらの道でよく滑り足腰弱くなったなあと思っていたら、途中の神社までで帰ろうと言い出し、山頂まで行けなかった。腫瘍ができたのが先生の話からは夏だと思われるので、この時のは年をとったせいだからだと思うけど、この時から老犬だと自覚し、もっといたわってあげればよかった。
でも、それどころか、去年の3月から11月に出血する日まではものすごく忙しくてそうちゃんにかまってる余裕がなかった。最期の半年以上をそうちゃんにかまってあげられなかったこと、それが悔やまれる。朝の散歩を簡単にすませ、週末も遠出の散歩はあまり行かせてあげなれかった。
その償いとしてこの3ヶ月間、そうちゃん中心の生活をしてきたつもりだが、それでも仕事と修論との両立が難しかった。仕事がなければ、修論がなければ、もっと心にも余裕がもてて、もっとそうちゃんのことを冷静に考えれて判断できて、もう少し生きれたかもしれない。
そもそも老衰ではなくガンにさせてしまったこと、その事に気づけなかったこと、介護が始まってからも、薬を変えたことと、なのにすぐに薬を2錠に戻さなかったこと、体位を変えてしまったことで最後を苦しませてしまったこと、違うやり方をしていたらもう少し生きれたかもしれない、最後を苦しまずに死なせることができたかもしれない。

ブログを読み返すと少しずつ体調が悪くなっていってることが詳細にわかる。できるだけ、ブログを書くことでそうちゃんの体調を判断でき、傾向から改善できるようにしてきたつもりだが、大きな流れは読み取れてなかった。終わってから、こうやって死んでいくのだと実感。あの時こうすればと調子が良くなったかもと思う。かもしれないばかりだけど、後悔がなくなることはない。

3週間、急激に弱っていくそうちゃんを自分ののわがままで生かし続けてきて、最後は苦しまないようにさせるどころか自分が引き金を引いて苦しみを与えてしまった。
このことを一生後悔し続けるだろう。神様は罪をお与えになったのかさえ思う。

一瞬一瞬の判断全てがそうちゃんの命を左右する。それが、命を預かる飼い主の責任だということを介護が始まって痛感した。
でも、わからないなりに自分なりに精一杯やったのよ。許して、そうちゃん。

思えば、お正月の10日間、そうちゃんとずっと一緒にいれたことが一番楽しかった。ブログを書く時間がもったいなくて、具体的には覚えていないが、朝散歩に行き、ご飯をあげる。朝はしんどそうだしまだ寒いので朝寝させる。午後からは、散歩に行き、庭で待ったりさせ、夕方になったらご飯を食べ、家飼いのように夜寝るまでそばに座っておもちゃで遊ぶ。平凡だけど、時間的にも身体的にもずっとそばにいれたとても濃厚な日々だった。15年の中でもこんなにベッタリの10日間はなかっただろう。
こんな時間を与えてくれたこと、そうちゃんに本当に感謝。

9時過ぎ しばらくそうちゃんと一緒にいる。
家人が庭からスイセンを採ってきて棺に入れる。15年前にそうちゃんを拾ってくれた友人が、そうちゃんを渡してくれる時にくるんでいたタオルも入れる。


もう、このふわふわした毛を触ることはないのかと思うと思う存分触っておく。亡くなる前ももっと、なぜなぜしてあげれば良かった。

10:00 そうちゃんを車に乗せて、お花とお菓子を買いに出発。

11時頃 動物病院に寄る。先生に亡くなったことを説明し、お礼を言う。もっと説明したいし、聞きたいこともあったが、話しだすと泣きそうになるし、今さら聞いてもなので少しの会話で止める。これから霊園に連れて行くことを言うと、じゃあ見せてもらおうかなと言ってくれて車までそうちゃんを見にきてくれる。「長い付き合いだったな。」と言ってそうちゃん触ってくれる。「最後はしんどかったかもしれないけど、でも、それまではとても楽しい日々を送れて良かったですね」というようなことを言ってくれる。
15年間通ったこの病院とも、もうお別れだ。

13:00 霊園に到着。
火葬場で最後の挨拶をしてお別れ。

霊園の人から20kg超えてましたよと言われる。計り間違えてたのかしら。そしたら、それほど減ってなかったのかな。もう数日生きれたかも。と思いが錯綜する。

15時頃 お骨あげ。歯周病で骨が溶けてないかと思ったが、しっかりと残っていた。緑色に変色しているところが散乱してる。腫瘍が緑色になると聞いたことがあったので、腫瘍のせいかかと聞くと腫瘍部分はわからないという。この緑色はと聞くとおそらく薬でしょうとのこと。そうか、薬をたくさん飲ませてしまったものね。とまた苦しくなる。ごめんね、そうちゃん。
合同納骨にしたが、肋骨 犬歯 爪 尻尾をもらって帰る。喉仏をもらって帰ろうかなと思ってたが意外と大きかったので諦める。残りは骨壺にいれて合同供養の日までの保管してもらう。最後の方によく食べたワイルドライフ缶詰ターキー&ラムをお供えする。


帰りに家人と食事ながらそうちゃんについて話し合う。
かなりのダメージを受けていると家人に話すと、意外にも家人もそうだという。家人は他人事のように感じてるのかと思ったが、やはり、こたえているようだ。後悔の話や赤ちゃんのように世話したことを話す。もう、散歩に行かなきゃと気にして早く帰る必要はないんだなと話す。もう、散歩のために朝早く起きる必要もなくなる。家で朝、起きる度にそうちゃんの散歩という条件反射がなくなるのはいつになるのだろう。15年間も世話した家人はなおさらどうだろう。これから家に帰る度にそうちゃんを思い出すのだろう。
これから、そうちゃんがいる前提で生活していたことがすべてなくなるのでその都度思い出して辛くなるだろう。そうちゃんを思い出す時間がなくなるのはいつだろう。
二人ともペットロスにならないように日々薬で少しずつ心が回復できればいいけど。辛いことを忘れて、いいことが思い出になるように。

3ヶ月間の介護は本当に濃密な日々だった。 
そうちゃんと駆け抜けた3ヶ月間だった。
犬の1日は人間の7日だと最初に先生に何度も言われた。一瞬、一瞬の判断が大事だとわかっていたようで、わかっていなかったような気がする。

そうちゃんにとっては、たぶん、体がずっとだるかった3ヶ月間だったと思うけど、私にとってはそうちゃんと向き合えた幸せな日々だった。
そうちゃん、ありがとう。

いつか一緒に虹の橋を渡ろうね。
待っててね、そうちゃん。

虹の橋
 

原作者不詳      

日本語訳:ふくふくやま

 

天国の少し手前に、「虹の橋」と呼ばれている場所があります。
 
この世界で生前、誰かと寄り添い、暮らしていた動物たちは、
その命の灯が消えたとき、「虹の橋」のふもとへ行くのです。
 
そこには、草原や丘が広がっていて、
動物たちはそこで駆けまわり、
ともにじゃれあって、楽しく遊んでいます。
 
おなかいっぱいのごはんと、きれいなお水、
そして優しい太陽の日差しに溢れていて、
みんながそのあたたかな場所で、のんびりと暮らしています。
 
病気にかかっていた子も、年老いた子も、みんな元気を取り戻し、
傷の痛みに苦しんでいた子もすっかり健康なからだを取り戻し、
昔のように、そしてまるで夢のように、そこでは過ごしているのです。
 
動物たちは幸せに暮らしているのですが、
たったひとつだけ、心を満たしていないことがあります。
それは、かつて共に過ごし、愛し合い、寄り添っていた人が、
ここにいないことが、恋しくて、寂しいのです。
 
動物たちが一緒に遊んで、駆けまわっていたある日、
ある子がふっと立ち止まり、遠くを見つめていました。
その子の目は、次第にキラキラと輝きだし、よろこびで震えだします。
突然、その子は仲間から離れ、草原を飛ぶように走っていきます。
速く、速く、それはまるで風のようです。
 
その子の視線の先にいたのは、
共に過ごし、愛し合い、寄り添っていたあなたでした。
 
その子とあなたは、虹の橋のふもとで再び出会います。
あなたは、愛するわが子を抱きしめ、愛情いっぱいにふれあい、
二度と離れることはありません。
 
あなたは満面の笑みで幸せにあふれたキスを受け、
もう一度、愛するわが子を抱きしめるのです。
そして、わが子の顔をのぞきこみ、見つめあっては、語りかけます。
 
きみと別れてからの長い長い人生を、
私は一生懸命生きてきたよ。
その中で、きみを忘れたことは一度たりともなかったよ。
やっと会えたね。
 
そしてあなたたちは寄り添いあって、
共に天国へ続く虹の橋を渡っていくのです。
 


今晩はずっと、そうちゃんのそばにいることにする。いよいよ最期かもしれない。今晩は一緒だ。そうちゃんと一緒の毛布に入って過ごす。

22時に最後の薬をあげてから、激しい息づかいが一向におさまらない。
その間にネットで高血圧について調べまくる。
これまでも何度か発作のようなものがあったが、これはなんなのか、なんとかならないのか。「高血圧、発作」で検索すると、人間の症例が出てきた。
高血圧には突如血圧が急上昇する「高血圧クリーゼ」があり、他にひどい頭痛、発汗、動悸、頻脈などがある。さらに褐色細胞腫では「褐色細胞腫クリーゼ」というちゃんと症状名がついている発作があった。これだったのだ。人間の場合、発作が起きたら点滴で降圧剤を直接入れ血圧を急降下させるらしい。同時に投薬もする。これをしないと心筋梗塞や脳梗塞など重篤な症状になるとどれにも書いてある。そうちゃんも私が気づいただけで12月から5、6回ほど発作のようなものがあった。症状はだんだんひどくなっていっていっていた。私が気づいたときは薬をあげるとおさまっていたが、夜中にたくさん水を飲んでたときは「何で飲むのだろう。夜は血圧があがりやすいからしんどいのかな」と思っていたが、この発作が起きてたのだ。発作のようなものがあると感じてはいたが、れっきとした病名があったとは。他にも褐色細胞腫の合併症で起立したときに低血圧が起こる症状もあると書いてある。立ちくらみをしていたのは薬のあげすぎで低血圧になったのではなくて、やはり逆に高血圧のせいだったのだ。
今まで「犬、褐色細胞腫」で検索しても引っ掛かってこなかったが、人間と同じ症状と考えて調べればよかったのだ。やはり、薬は絶対あげ続けなければなければならなかったのだ。

発作を誘発する可能性のあるもの載っている。飲酒、喫煙、麻酔、バニラアイス、チーズ、赤ワイン、排尿、腫瘍触診、腹部マッサージ、そして、体位変換、とあった。体位変換だったのだ。やってしまった。私がしたばっかりにと衝撃を受ける。

今さらわかってももう後の祭りだ。もう、今のそうちゃんの体力でここまでひどい発作が起こるともう、無理だろうとなんとなくわかる。でも、薬はあげないよりあげたほうがいいとわかったのだからあげ続けようと決める。奇跡が起こって少しでも効いてほしい。
前の薬から4時間経つか経たないかだけど最期のチャンスにかけてみるかと思い直す。

1:40 2錠あげる、が30分経っても効かない。
2:55 1錠追加。30分経っても効かない。
ずっと、ハアハア言って意識朦朧としてるそうちゃんの口に薬を押し込み、水をあげて飲ませる。この行為がすごく怖い。可愛そうであげたくない。これ以上飲ませると逆に死ぬのではないかと怖い。私の判断がそうちゃんの命を左右させる。

途中で家人が起きてきて、薬を飲ませてる様子を見て、「まだあげてるの?可愛そうに。きっとまだ大丈夫よ。もうしばらく様子を見たら?明日仕事なんだからもう寝なさい。」と言う。病気について説明しても具体的には理解できていない年老いた家人を責めることはできないけど、でも、これまでも何度も薬の重要性を説明してきたが今に至ってもピンときてない家人に対し、感極まって、「私だって薬を飲またくないし、怖い。でも飲ませないといけない。これ以上気持ちを逆撫でしないで。」と泣いて叫ぶ。
そうちゃんの命を預かっている責任、生かすも殺すも自分次第なのだといやと言うほどわかってるつもりだったが、まだそれを行わなければならない辛さ。自分がやってることが正しいのか誰か教えてほしい。でも誰もいない。自分で戦うしかないのだ。

3:20 1錠さらに追加。
まだ効かない。もう、1錠追加するか迷う。怖い。次をあげると前回よりも多く5錠になる。こんな実験のようなことしたくない。こんな弱った体にあげて逆にあげたことで死んでしまうのではないか。葛藤する。でも、あげ続けないと血圧が下がらないはずだと信じよう。

3:55 1錠さらに追加
過去最高の一度に5錠。もうこれ以上は無理だ。

6:30頃 2時間経っても効かない。症状が起きてから約半日。もう、ダメだ、戻ってこないとわかる。
外が白々と明るくなり始める。ハアハアと激しく息をしてつらそうなそうちゃんを見て、もうお別れなのだと思うと号泣してしまった。そうちゃんの前で泣いてはいけないと思ったが、見てると辛すぎて耐えきれなかった

8:30 病院にtel
昨日の晩から、高血圧の発作が起こり、動悸が激しい、薬が効かない状況を説明し、このあとどうなるのかと聞く。
「その状況だと次は多臓器不全になる。何日も持つわけではない。一日とかだと思う。」と言われる。やっぱりそうなのだ、無理なのだ。しかもあと一日だった。これだけの激しい息づかいなのだからそうなのだろう。
「薬が効かないのは攻撃するホルモンが多くなっているからか。」と聞くと、「そうですね、腫瘍が大きくなった影響もあると思う。今究極にだるいとは思うが痛いわけではないと思う。見守ってあげれれば。」という。だるさを越えてすごく苦しいように思うが。痛さと苦しさ、どちらがいいのだろうか
薬をあげ続けて意味があるのかと聞こうとする前に、先生から「薬はあげれれば1日3回でもいいのであげてください。」とのこと。あげて良かったのだと少し救われる。

9:30  2錠 水と共にペットシーツに粉状になった薬が少し流れ落ちているので2錠全て飲んではいないと思うが、いくらかは飲んでいるだろう。
9:55  1錠 先ほどの量が2錠弱だったので追加。
少しでも効いててこの激しい呼吸なのか、全然効いてないのかがわからない。でも、効いてるのであってほしい。でも、中途半端に効かせて苦しみを長引かせてるのではないか。心が葛藤する。

ずっと激しい呼吸。心臓がものすごく早い。発作が起きてから、もう、顔もあげれないが、横になった口元にお水をシリンジであげるとよく飲む。こんなに激しい呼吸。相当喉が乾くのだろう。
唯一救われるのは頭痛が起きていないのか呻かないこと。これまでも何回か発作が起きて呻いていたとこを見た。相当ひどい頭痛が起きていたんだと思う。ひょっとすると今回のは尋常じゃない頭痛が起きていてうめくレベルをこえているのかもしれないけど、そうじゃないことを祈りたい。会話ができたら、そうちゃんの気持ちがわかるのに。
それにしてもそうちゃんはおとなしい。頭が痛くて吠えたのは1度だけ。それ以外はうめくか悲しそうに鳴くかぐらいで本当に我慢強かった。

午前、午後の合間に家人もしばらくそばにいる。そうちゃんの思い出話で過ごす。
家人が試しにお気に入りだったぶたさんのおもちゃで音をならすと、パッと目を開ける。鼓動が益々速くなった。わかってるんだ。家人も泣く。でも、まだ、意識があるなんて、辛い思いをさせてごめんなさい。

毛布の下で自分の足をそうちゃんの足とぴったりとくっつける。でも、時々そうちゃんが足をずらす。手もずっとなでなでしてると時々手をずらす。元気な時でも触られるのを嫌がったそうちゃん。しんどい時になおさら触ってほしくないのだろうとわかる。でも、嫌われれしまって悲しい。

16:36  2錠 飲ませる。あげるのが辛い。もう飲ませたくないが、これで少しでも血圧が楽になってほしいと祈ってあげる。 

18時頃 お水を上げても少しは飲んだが、あとはあまり飲み込まない。

19:00  ずっとそばにいてそうちゃんの激しい息づかいを聞いてるといたたまれなくなる。
せめて苦しまないように逝かせたいと思ったばかりなのに、私が引き金を引いてしまった。こんな結果ってあまりにも残酷だ、こんな仕打ちを神様はお与えになるのですか、薬が効いて楽にしてあげてほしいと神様に祈る。
辛すぎて心がおかしくなりそうになってきたので、台所に寄る。私の様子を見て、家人から「見ておくから1、2時間仮眠をとったら」と言われる。徹夜になるかもしれないので交代してもらう。

20:20  家人に大声で呼ばれ、駆けつけると心臓が止まった直後だった。
家人曰く、前足がぐっと伸びたなあと思ったら
顔を下に向けたらしい。
そうちゃん、そうちゃんと二人で呼び掛ける。必ずまた会おうねと呼び掛かける。
もう、お別れだ。あっけなく逝ってしまった。本当に1日しかもたなかった。
きっと、心不全で死ぬだろうから死ぬ時は一瞬だろうと思って、24時間ずっとそばにいたのに、私がいない隙に逝っちゃうなんて、どうして。私のことが嫌だったのか。
きっと、私には死ぬところを見せたくなかったのよと家人に慰められるが、このタイミング。これもそうちゃんの意思なのか。

悲しみに浸りたいが、急いで段ボールで棺を作り、そうちゃんを横たわせる。お気に入りのおもちゃをやタオルをいれる。

体重を量ると約19kgだった。
病気以来4kg近く痩せてた。人間だと12kg分ぐらいか。むくんで水分の分があるだろうから、お肉部分はもっと痩せてるのだろうけど。

修論が終わってたった二日で逝ってしまった。
もう少し一緒にいれるかなと思ったのだけど、早かった。
でも、修論が終わるまで待ってね、と言い続けてたので、これでもむしろ、頑張って待っててくれたのだろう。頑張らせてしまった。よく頑張った。
最後を苦しませてしまったのが本当に申し訳ない。ごめんね、そうちゃん。。