無知の知。
この言葉を理解していたつもりだった。
言葉とは、あくまでトリガーでしかない。
状況にしか意味は無く、言葉はあくまでそこにつけた簡要的なもの。
そーだなー、と知識で理解していたが、やはり所詮知識。
無知の知とは、何を所詮知った所で、その知ったことでさえ無知でしない。
人はどこまで行っても、無知でしかない。
前回知った時は、自分が無知であれと知れと。
そういわれたけど、それだけではなかった。
ソクラテスは、この言葉をどのように使ったのか。
いろんな解釈があるかもしれないが、
不完全定理を知ったあとでは、また理解が異なったのは事実。
不完全定理とは、ってことを知ったのも、最近の話。
改めて、情報はあくまで不完全なものである。
また、いくら知っても、知り得ることはない。
そう、知とはそういこと。
今、経験した以上のものはなく、
経験したものも、完全ではない。
それを改めて感じた。
どこまで行っても、無知でしかない。
浅いけど、深くなることは再現ないけど、でもそうなのだ。
無知を無知と知り、また次に進む。
