化学療法も無事に終わり、今はホルモン療法中です。



このままさ、何年も笑って過ごせたらいいな。



闘病中のお母さんの存在に慣れてしまったわけではなくて治療が順調だからかな、前よりはオロオロウジウジしなくなった。



だけど、やっぱりこわいんだな。



お母さんの存在がおっきいから、考えたくないのに再発の2文字がグルグル頭の中をまわってしまう。



うまく言えないけど、とりあえずやっぱり苦しい。



昔、私が結婚する前にお母さんと行った北海道の写真が飾ってあるんだけどさ。



それを見るたびにあの頃に戻りたいって思う。



この時のお母さんの胸には、憎たらしい癌はいないんだなぁ。



って考えると、癌が憎くて仕方ない。



なんでお母さんが癌なんかにならなきゃいけないのかな。



そうくんが『おっきくなったら、がっこういって、めんきょとって、ままとやっちゃんドライブにつれていってあげる』って言ってた。



3歳の孫が言ってるんだからさ、約束守ってよね、お母さん。



孫のこと泣かすんじゃないよ。



あなたがいなくなったら、私はダメになるよ。



お墓参りなんて行ってあげないからね。



だからさ、長生きしなよ。
余震も落ち着いてきたころ、母の乳ガン告知。



母は死んでしまうのか…それしか考えられなかった。


ポジティブに考えようとしても、でも…もしかしたら…と悪い方にばっかり考えては落ち込んで。



だけど、落ち込む時間がなくなるくらいに、目まぐるしく検査、手術、化学療法が開始。



今や化学療法も終わりました。



副作用、再発、転移など不安材料がてんこもりだったけど、なんとか無事に年が越せそうです。



これから先、母がどうなるのかはわかりません。



だけど、いつでもみんなが笑顔でいられたらいいのに。




と、まぁ2011年は地震と母のダブル主演でした。



今年は泣いて泣いて苦しかった1年だったから、来年はさ、もう少しだけでいいから笑っていたいな。
ひとことで2011年を振り返ると、辛い1年でした。



3月の大震災では、恐怖と悲しみで夜も眠れずに泣いていました。



テレビで何度も津波の映像が流れて、目を背けたくなる気持ちときちんと向き合わなきゃいけないって気持ちとの葛藤がありました。



私の友人は双子ちゃんを抱えて必死に山に登ったそうです。


他にも家を無くした友人もいます。
連絡がとれない友人もいます。



なんで?なんで?私達が、東北の人達が何をしたっていうの?



なんで大勢の人が死ななきゃいけないの?

なんで大勢の人が涙を流さなきゃいけないの?



毎日毎日こんなことばかりを考えて神様を恨んでいました。



今は紅白を見ながらこのブログを書いているのだけど、今年の紅白はなんだか悲しくて辛いけど歌詞の一つ一つが染み入ってくるようでした。



今、わたしの隣には子供達がいます。


これくらいの年齢の子もたくさん亡くなってしまったんだろうな。

辛すぎる…。