今度はChristian Dior。


Diorが目指したエレガントはCHANELが掲げたそれとは異なる性質をもっていました。


生い立ちを簡単に話すと、

Diorは裕福な家に生まれ、小さい頃から服は好きだったのですが、厳しい両親のもとに育てられて政治家や外交官を目指すための学校に行きました。

ですが学校には馴染めず、芸術家の仲間と過ごし、やがて画廊を経営するようになりますが、不況で失職したそうです。

それから画廊時代のつながりでファッションの世界へ。

しかし、すぐに戦争が始まりDiorは兵隊にとられてしまいました。

そして戦争が終わり、ファッション業界に戻るか思案したそうです。


Diorが選んだのはやはりファッションでした。


Diorが打ち出したのは19世紀の復権というスタイルです。

CHANELが自立した女の子のためにシンプルで動きやすくスタイルを提案したのに対し、

Diorは「女性は女性らしく」というように19世紀のドレススタイルを蘇らせ、なだらかな肩のラインに細く絞ったウエスライン、ふわっと広がるロングスカートといった「ニュールック」を提案したのです。

そう!これは実に動きづらい!

しかも、戦争の時代に1着の洋服のためにたくさんの布を使うので「正気か?」って状態。


でもね、Diorのポリシーは世界中の女性たちに受け入れられていったのです。

時代は戦争も終わり、世界の目は新しい方向に向いていました。

CHANELの提案した自立した女に賛同する者もいたでしょう。

しかしDiorのフェミニンで女性らしさ全開のスタイルに共感する女性たちも数多くいたのです。

戦争で失われた女性としての贅沢や楽しみ、感覚・・・

CHANELのように強い女性を目指す風潮が訪れようとしても、

心のどこかで「お姫様でいたい」「綺麗で可愛いものが好き」っていう気持ちは捨てられない。

そんなときにDiorは示してくれたのです。

女性は女性らしく、と。

動きづらくても、綺麗で可愛い服を着ていていいんだよ、と。




Diorって男性だって知っていますか?

CHANELが自立した強い女性をコンセプトにしたのに対し、Diorは男性ながらもフェミニンな女の子スタイルを提案したのですが、これって面白くないですか?

でも、私は思うんですよ。

Diorは時代を遡った動きにくいドレスを提案したけれど、決して女性を過去に戻したいとか閉じ込めたいって意味は込めていないって。

あくまで新しい時代で生きていく女の子のために。

きっと時代は変化して困難なこともたくさんあるでしょう。

でも女性らしさを忘れてはいけない。

女の子ってやっぱり綺麗で可愛いものが好きでしょ?

この感覚を大切にしてほしいっていうのがDiorからのメッセージなのではないでしょうか。


どうでもいい話だけど、私、ここぞという「女の子っぽく見せたい!」っていう場にはDiorを身につけるんです。

ブレスレットやネックレス、口紅とかね。

その日のスタイル全部にDiorを使うんじゃなくて、1つでいいの。

1つDiorを身につけるだけで断然女の子っぽく振る舞える。

気持ちが切り替わるんだよね。

本当に魔法みたいな。


ちなみにDiorが独立してブランドを立ち上げたのは40歳を過ぎていました。

デザイナーとしては遅咲き中の遅咲き。

成功するかしないか、デザイナーの世界は相当厳しいはずです。

Diorはその生い立ちから数々の困難を乗り越えて、それでも自分はファッションが好きだとその道を選びました。

Diorがいなかったら私たちのスタイルはどうなっていたのでしょうか。

考えるのも恐ろしいですね。

彼がファッションを選んでくれて本当によかった。




CHANELとChristian Dior


ともに20世紀のファッション業界において決して忘れてはならない存在。

そんなに詳しくはないんですけどね、その2人の人物像やら生き方、ブランドのコンセプト・・・

知れば知るほど、

CHANELとDiorが世界のトップブランドとして今なお君臨し続けている所以が分かってくる気がするんですよ。


まず、CHANELね。

シャネルは幼い頃に孤児院に預けられ、自立の年になると昼間は下着屋さんで働いて、夜はシャンソン歌ってお金を稼ぐ生活。

この歌手をする生活の中で知り合った男性に援助を受けて小さな帽子屋さんを開店。

シャネルの帽子は話題になり、次第に服も手掛けるようになる。


シャネルはデザイナーとしてはもちろん人としてとても魅力のあるカリスマ性のある人でした。

恋多き女性って話はよく聞きますよね。


シャネルがファッション業界に起こした革命の話では、

それまで男性の下着に使われていたジャージ素材で女性用のフォーマルなスーツを作っちゃったり、

喪服の色でしかなかった「黒」を日常着に取り入れたり、

女性がパンツを履くスタイルを広めたりしました。

とにかくシャネルはシンプルで動きやすい実用的なファッションを提案したのです。

「コルセットからの解放」「女性の解放」とかね、それまで装飾過剰で動きやすさなんて二の次だった女性のファッションを覆そうとしたのです。

だけど、動きやすくて実用的でも、CHANELはちゃんとエレガント。ここ重要。


シャネルという女性は彼女自身がCHANELの広告塔でした。

そこもシャネルらしい発想だったのではないかと思います。

CHANELはガブリエル・シャネル自身の生き様を示すのだと私は考えます。

女性が自立する姿を自身で表し、世の女性たちに向けて動きやすいファッションを提案するというのは

時代を先読みしてはいたもののニーズに合っていたのではないかと思います。

女性の自立とか、女性が働くっていうのはまだその頃は反感を買ったり受け入れられない考えだったかもしれないけれど、シャネルはちゃんとわかってたんだね。

女性が先頭切って活躍していく時代はすぐそこだってこと。


シャネルはカッコイイ女ですね。

女性であることを心から楽しんで、「私はこうなのよ」ってサラッとかつ力強く生きていた。


これ知ってますか?

「香水はキスしてほしいところにつける」ってシャネルの教え。

香水をつける場所って、温度の高いところ~とか、迷惑にならないように足首に~とかよくいわれるけど

そんな判断ってダサくない?

「キスしてほしいところ」

だから、首につけるし、胸元につけるし、跪かせたいから足首につけるの。

こっちの方が断然ロマンチックでドキドキする。


香水のつけ方ひとつで日常に変化が感じられませんか?

シャネルってやっぱりエレガント。

いつからでしょうか。

いや、ずっと変わらないのでしょうか。


悲しいことがあったら上を向き、

辛くなったら息を止め、

寂しいと感じたら1人を選ぶようになったのは。



私はもう大人です。

大人なので大抵のことは自分でできてしまうのです。

問題があったときの対処法もいくつかの選択肢を用意して適切を使えるようになりました。




正直に打ち明けたときの反応がコワいのです。

だから全て自分で解決するようにそれなりの知恵をつけました。


これは私のルールです。

とてつもなく苦しくて、憎くて、崩壊しそうになったとしても笑うのです。

そして、1人になったら思いっきり泣くのです。

私は大人。

そうやって何度も何度も心に言い聞かせます。

不思議と落ち着いてくるんですよ。


私は大人だからワガママ言わない。

私は大人だから態度で理解をする。

私は大人だからあなたに頼らない。

私は大人だからあなたの予定を聞かない。

私は大人だからあなたとは曖昧でいい。

私は大人だから明日もあなたの前で笑おう。大丈夫。



しかし、こうやって無理矢理抱え込むことこそ子どもなんですよね。

私は脳みそがまだまだ幼稚なのでこうすることでしか防御ができないんですよ。

だから1番大人じゃないのは私自身なのです。




あなたが愛されているかどうかを知りたかったら、

すべてを任せてしまったあとで、あなたの愛人をよくごらんなさい。

By ルソー



彼女がいる人とか、奥さんがいる人とか、

それを承知の上、もしくは知らないまま好きになっちゃうことは誰にでもあることだと思います。


男は口がうまいから「君の方が好きだよ」って何の根拠もなく平気な顔で言ってくるんです。

でも、「好き」とか「君だけ」とか、たったそれだけの言葉なんです。

もちろんそこにはそれぞれの関係があって、過程があって、シチュエーションがあるんですが、

文字にしたらたったこれだけのこと。

これくらい小学校低学年で習うわ。



「相手に本命がいてもそれでいい、私のことも好きって言ってくれるなら・・・」

って思う女の子もいると思いますよ?

でも実際の実際の本当の本音はもっと複雑で汚いでしょう?

「てめーふざけんじゃねぇよ。さっさとそっちのブスと別れて私にしろよ」

って思うでしょう?

女は純粋ぶることは大得意だけど、心の内側は目も当てられないほどねじ曲がっているもの。



相手に本命がいて、でも自分のことも構ってくれるから、

うまく乗せられちゃって、本当はこういうこといけないってわかってるけど、

優しくされるとのぼせちゃって、抜けられなくて、色んな方向から正当化してしまいますよね。

心はボロボロだけど、「大丈夫!」って言い聞かせて、ほんのひと時の幸せに期待する。



でもね、考えてみてくださいよ。

本当にあなたのことが好きなら、まっすぐにあなたと付き合うでしょう?

彼女と別れて、奥さんと離婚して、「付き合おう」ってなるでしょう?


”付き合ってないのが全ての答え”

結論、そういうこと。




こんなこと言ってるけど、

「好き」って気持ちだけで動ける女の子は嫌いじゃないですよ。

きっと気付いてるんだよ。

私の好きな人は最低な人って。

でもそんなこと気にならないくらいの想いがあるから、

自ら進んで身を投じていってしまうんだろうね。


男性が何人もの女の子を弄ぶのは称えられるのに、


女の子が何人もの男性とどうのこうのっていうのは蔑まれます。


まぁこれは文化なので仕方がないことなのです。

仕方がないから従うしかないのです。


でも近年では女性も強くなってきましたから、

割とオープンに「昨日は○○くんと、今日は○○さんと~」って話す方もいますね。


うーん・・・それはあまり人前で言わない方がいいのではないかなぁと正直感じるのですが。



本人は”私ってモテるのよ”って意味を込め、

周りは「へーすごーい」って賛辞するかもしれないけれど、

確実に 「かわいそうな人」 って思われているでしょう。


世の中はそういうものなの。


いくら信用できる人に「誰にも言わないでほしいんだけど実は…」って話したとしても

基本的に人がどこまで約束を守るかなんて未知数だし、どこで誰か聞き耳を立てていて

知らず知らずのうちに10人先まで広まっている可能性があります。

もう外を顔あげてなんて歩けませんね。



私は別に女の子が何をしようと、それが道徳的にありえないことであろうと、貞操観念がボロボロであろうと本人がいいなら問題はないと思ってます。

その自分の最低さを何の恥じらいもなくペラペラ話してしまうことに問題があると思うのです。


誰に対しても仮面を被り続ける。

清楚で可憐な女の子と思わせ続ける。

自分の最低さは自分だけが知っていればそれでいいのです。