つづき。



完全なニコチン依存症でしたが、禁煙してもう3年になる。


それもたった一日でやめました。



以前、禁煙に何度かチャレンジしたことがある。御他分に漏れずすべて途中で投げ出しました。




そのジィジィがなぜ一日でやめることが出来たのか?

あらためて考えてみた。




背景…、

姉の連れ合いが脳梗塞で倒れ、数年前から寝たきりになっている。だんだん体力も衰え、今はチューブで食物を取っている。病人自身も大変であるが、まわりの人、とりわけその家族の負担が大変だ、と感じていた。




そして、あんな頑強な人が痩せ細ってベッドに寝ている。田舎にいるので、年に一度会うか会わないかの人だったから、途中経過を見てないない。だから会ったときの変化が大きすぎ、ショックを受けていた。



私の女房は長い間、父親の介護、看病をした。2年前その父が94歳で亡くなった。続いて母親の介護もはじまった。今年の2月、その母も亡くなった。そして2年前から“寝たきり老犬”になった愛犬の世話が続いていた。




時々、女房はため息交じりで

『これじゃ私の人生は看護・看病だらけ…』といいながら

『お父さんまで看病するのはいやだからね』とポツリ。

本心か冗談かはこの際わきにおくが、この言葉が意外と私の心の深層部に残っていた。

…などなど。




そして直接のきっかけは…、

疲れると、体の左半身の調子が悪くなるので、近所で評判の医院で診てもらった。医者の診察で脳のMRI映像を撮った。




白衣をきたイケメンの医者が

『このまま喫煙をやめないと脳梗塞の恐れがある』との診断。

   そして、『あなたが病気で倒れるのは勝手…』。

       でも、『他人や家族に迷惑をかけるんだよ…』




『家族に迷惑をかける』…この言葉がグサッと心に響いた。



イケメン医者の『家族に迷惑をかける』という言葉と、

  女房の『私の人生は看護・看病だらけ…』とが結びついて、私の体の中でなにか火花が散った。




これがヘビースモーカーの私が禁煙した原動力になった。



診察を終え車に戻った。

ついさっきまで、診察待ちで時々車に戻ってはいっぷくしていたが、もうタバコが欲しいとは思わなくなっていた。




家についても、欲しいとは思わない。

ライターを処分した。灰皿も処分した。




翌日には買い置きしていたタバコを『私たばこやめたから』と言って、カートンごと友人にあげた。



一日で禁煙した経緯である。

いまでも不思議である。


なんかの暗示にかかっていたのかも知れない。

だとすると一種の暗示療法?



おわり。













































つづき。